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本当に今さらですみません(その2)〜平野啓一郎「ある男」は必読の小説である

(承前)

平野啓一郎著「ある男」(2018年文藝春秋)である。あまり深く考えずに、私が初めて読んだ平野作品である。凄い小説だと思った。本当に今さらで申し訳ないが、同時代に生きる作家の傑作として、“読まずに死ねるか“である。

Amazon Audibleで聴き始め、「これは!」と感じ、電子書籍版も購入し並行しながら読んだ。平野啓一郎の小説は、活字で読まなければならない。一人一人の名前に使われた漢字、表現の中で使用される文字、すべてに神経が通っている。

「ある男」の“序“は、平野自身を想起させる“私“が、立ち寄ったバーで遭遇した「城戸(きど)さん」について語る。「城戸さん」は、私に自己紹介するのだが、その時に彼が告げた名前・経歴は、実はすべて嘘だった。「城戸さん」は、私が小説家であることを知り、「すみません」と、<先ほど教えた名前は偽名で、本名は城戸章良(あきら)というと明かした>(「ある男」より、以下同)。

なぜ、彼は偽名を使ったのか。<城戸さんは実際、ある男の人生にのめり込んでいくのだが、私自身は、彼の背中を追っている城戸さんにこそ見るべきものを感じていた>。

“私“は、ルネ・マグリットの「複製禁止」という作品に言及し、<この物語には、それと似たところがある>と書いている。読者は、「ある男」を見るのか、「ある男にのめり込む城戸」を見るのか、それとも彼らの人生をつぐむ“私“を見るのか。

しかし、物語は<その前に里枝(りえ)という女性について書いておきたい>。

<ー愛にとって、過去とは何だろうか?…>

人というのは、どのように作られていくのか。先天的なもの、後天的なもの。他者から見た“ある男“とは何なのか。過去とはいかなるものか、「マチネの終わりに」の主人公蒔野は「未来は常に過去を変えてるんです」と言った。本当なのか。

「ある男」を読みながら、こうしたことを思った。さらに、この小説は一種のミステリーとして成立しているところも凄い。とにかく、先へ先へと導かれる。

さらに、小説の中には、さまざまなテーマ、それだけで一冊の小説を作ることができそうな題材が散りばめられている。「ある男」が批判されることがあるとすれば、ビートルズの「ホワイト・アルバム」のように、アイデアが盛り込まれすぎていることだろう。

「マチネの終わりに」を経て、平野啓一郎は新たなステージに到達した。前述の通り、私の読んだ順は「ある男」→「マチネの終わりに」だったが、強くそう感じた。

このとてつもない小説を象徴している一文があるので、それを紹介して終わりにしたい。繰り返しになるが、未読の方は、絶対に読むべき小説である。

里英がこう考える。

<彼女は、文学が息子にとって、救いになっているのだということを、初めて理解した>


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