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亀戸餃子から亀戸天神へ〜ゴールデンウィーク最終日

二年前に義父の墓参帰りに亀戸餃子を訪れたことを書いた。ゴールデンウィーク最終日の朝、思い立ってお墓のある船橋法典まで出かけた。

お墓参りの後は、近くにある「楽天地天然温泉 法典の湯」に立ち寄る。墓参が主なのか、スーパー銭湯が本当の目的か。。。。

GW最終日ということもあって、疲れを癒そうとする人で大盛況である。さっぱりしたところで、ランチをどうするか。駅前の「讃岐饂飩 まるは」は入店待ちの人が相当いる。うどんは「釜竹」で食べたばかりでもあるので、いつものPlan B、亀戸まで戻り「亀戸餃子」亀戸本店に。

流石に連休中、それなりの行列で12:40到着、13:05入店だった。店はいつも通り、詳細は二年前の記事を参照して頂きたい。変わったこと、世間の流れの通り値段は上がった。

余談だが、麻布台ヒルズに出店したらしい。下町の名店が、森ビルに入る。多様性の時代である。

この日は夕方から東京ドーム、井上尚弥vsネリ戦含む、ボクシング観戦予定。時間があるので、亀戸天神に行ってみようと考えた。

亀戸餃子には、何度となく来ているのだが、亀戸天神に参詣したことはない。理由の一つは、中途半端な距離にあること。駅そばの亀戸餃子から亀戸天神までは徒歩12分、ちょっと面倒だった。

歩き始めて驚いたのは、駅から北に走る大通りが歩行者天国になっていること。祝日ではあるが、さほどの人通りではない。

亀戸天神に向かう途中、「鳥長」という屋号のちょっと良さげな鶏肉惣菜店があった。通りを挟んで向かい側には、“うなぎ鳥料理“と謳った同名の立派なお店「鳥長」。系列なのかどうなのか?

ちなみに、メニューに鰻と焼き鳥などの鶏料理の双方が並ぶ店は、この「鳥長」以外にも、茅場町「鳥徳」、渋谷「森本」など、散見される。

これについては、土田美登世「やきとりと日本人」(光文社文庫)に記述がある。取材先の築地「宮川食鳥鶏卵」のすぐ近くに、同じ“宮川“を冠する「宮川本廛(本店)」があるので、筆者が関係性を問うた。

<「初代が宮川本廛に丁稚で入ったんです 。そのあとかしわ販売部門ができて 、そこを任されました 」うなぎ屋にどうして鶏肉販売部があるのか 。聞けばうなぎと鶏肉は問屋が同じで 、符丁も同じだったそうだ 。〜(中略)〜 2009年の 「週刊新潮 」に 「屋号の探検 」という連載があり 、そこに 、うなぎと鶏肉を販売する 「稲毛屋 」の話が出ていた 。江戸の頃に多摩川の川魚を売っていた人がいて 、やがて神田に店を構え 、 「稲毛屋 」を名のった 。川魚は夏の商品なので 、冬に売れるものとして鶏肉の販売も始めた ― ― 。>

横道に逸れてしまった、亀戸天神を目指そう。境内に入ると、立派な結婚式場もあり、なかなかに立派な神社である。本殿後方にはスカイツリーが見え、絶好のフォトスポットにもなっていて、外国人の方が記念撮影していた。

本殿前には太鼓橋、亀や鯉が泳ぐ池、それにかぶさるように藤棚があって、花の咲く季節はさぞかし綺麗だったろう。

一角には神社の“ご縁起“が刻まれた碑がある。1646年太宰府天満宮の神官菅原宣祐(祭神、菅原道真の末裔)が、神のお告げにより梅の枝で天神像を刻み、信仰を広めるために諸国を巡り歩き、この本所亀戸村にたどり着き、祠を築いた。1657年明暦の大火後の復興開発地として、本所が定められ、天神様を信仰する徳川家綱が社地を寄進。1662年、本殿などが建てられ、菅原宣祐が初代別当となったそうだ。

なるほど、足を伸ばした価値はあった。

墓参し、身を清め、餃子でエネルギーを充填し、天神様を勉強。

いざ東京ドーム、ボクシングだ!!


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