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ロープが片付けられない。

いつか首を絞められた時、くるしいあついとかよりもまえに目の奥が熱した針で刺されるように痛くて、身体が死にたくないって叫んでるのがよくわかった。

それでも一年くらい前から吊るされているロープがどこかお守りのようで、触っていると少し安心する。

死ぬ気合もなければ生きる元気もないです。

いつから嫌われたくないひとに嫌われないためのTwitterをやるようになったんだろう。

仲のいい友達が、周りの5人が自分の平均値で、ほとんどそれは精神疾患で風俗嬢だっていう投稿をみて、ああそうだよねという気持ちになった。

一人で立ちたいって思うのに、結局むずかしくて、縋れる先や手を伸ばせる先なんてたかが知れてて。みんなのこと当たり前に好きだけどさ。好きで、情があって、友達じゃなかったらそれはちょっとって思ってることもああそうなんだねって傷の舐め合いみたいなことばっかりしてる。

職業に関わらず、強い目的意識とメンタルと体力があれば誰だって幸せになれると思います。

なのにマンコ売りって幸せになれんの?っていう捨て垢からのDMがいつまでも脳裏にちらつきます。

どうすればいいんだろうね。本当に。

毎日毎秒、現実と認識と納得させるために捻り出す言葉の乖離がひどいです。

精神疾患だろうと毒親育ちだろうとどんなトラウマがあろうと弱さがあろうとお前はお前だよ。って、わかってても環境に呑まれるので精一杯、呼吸がうまくできないです。

もはや早朝を迎えるような時間帯に彼氏が誰かを、もしくは私を詰める怒鳴り声のこと。
ああそういえば昔から頭と首を守って蹲る癖があったなあとか、そういうのが過ぎ去ってやっと朝になって、彼氏が連れてきた友達がこぼした灰やゴミを片付けて、怪我をして仕事にも行けない、というのをいいことに誰もいない部屋でぼうとしている

ヨレるなんてシャブなんてロヒなんて詰める攫う殺すなんて。煽ってんの?とか舐めてんじゃねえよとか、そんな言葉日常でききたくないよ。

そこまで追い込んだのはわたしだよねってわかるよ。お母さんもお父さんも弁護士のことも彼氏のことも。もうでも自分の人生の責任取れるのは自分だけだから。別に誰のせいでもなければ自分のせいでもないよ。ただ自分のこと守れるのも自分だけだからさもういいよね、

塩が崩れる頻度が明らかに増えたのって気のせいかな、なんてスピリチュアルみたいなことを考えながら、意味があるかもわからない盛り塩をしている。

友達じゃなくてお客さんの方が、あったこともないフォロワーの方が気が楽です。

依存じゃなくて共存がしたいだけなのに、みんなを怒らせないように、嫌われないように、なんでこんなに窮屈なんだろう。

死にてえなら死ねよって殴られて蹴られて壁際に詰められながら怒鳴られたのが、お前の大事な人たち全員詰めるか死ぬか選べってライターの火を近づけられながら脅されたのがずっとフラッシュバックしておかしくなりそうです。別れたらいいじゃんって、ね、そりゃそうなんだろうね。実際濁流の中じゃ選択肢なんてないんですけどね。

みんなのこと大事だと思ってたけど自分のことしか大事じゃないのかもしれない。もう現実逃避も現実見んのも飽きました。自分の意識から肉体から解放されたくてそれだけ。

はやく全世界から距離をとってお前らなんかからは到底見えないところでお星様になりたい。惑星にはハムリオンとテリーヌちゃんとぱんだのぬいぐるみがいたらいいな。

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