無題

中学の途中から相当精神の調子は悪かったと思う
具体的な名前は出さないけど、正直まともなケアをされた覚えがない
SNSは勝手に特定されて監視されてたし、多分高学歴の職員たちからしたら高校生にもなってバイト以外ずっと布団のなかにこもってるわたしの行動は甘えに見えてたんだと思う。
勉強だけは得意だったのに、文字はまとまりがない図形に見えるし、数字を見ると吐き気がするし、英語の字はぐちゃぐちゃに混ざっていくし、本を読んでも何も頭に入ってこなくて、それがすごく怖かった。わたしって知的障害があるかもしれませんって訴えたけど、なんともないよでおしまいだった。

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高校卒業したから施設を出なきゃいけなくなって、とにかくどっか遠くに離れたかったから大学は京都にした。もともと京都には憧れがあったし、渡されたパンフレットの一番上だったからそこにした、ってずっと言ってるけど、トイレが綺麗だったからっていうのもある。まあ綺麗な校舎は別の学科専用だったって入学してから気付いたわけですが。寮についてからは一週間で自殺未遂をして、そのまま三週間で学校を辞めた。

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やめたといってもいく宛なんてなかったから知り合いのシェルターに保護してもらった

携帯は外部と連絡が取れるから、と没収されたし剃刀を渡すのを渋ってる職員がうざかった。

あとは保護されてる途中に後見人に転移したのが問題になってよくわからない閉鎖病棟にぶち込まれた。毎日泣きながら呪詛をノートに書き綴った。辛かった。

守ってくれる大人が誰もいなきゃ、庇護してくれる大人をどんな手使ってでも味方につけようとするだろ、それってそんなにおかしなことなんだろうか。

結局退院していく宛もないからまた元のシェルターに戻された。

後見人以外の(あんまりおぼえてない)たくさんの大人がきて、色々と説明をしていたけど、結局グループホームか生活保護、それしか選択肢がないみたいな話だった。

異常者みたいな扱いがすごく嫌だった。

スーツケースに何を入れたのかなんて覚えてないけど、消灯が過ぎた後にこっそり窓から脱走した。

お財布はなぜか自室管理で、パソコンもWi-Fiに繋げないならみたいな理由で部屋に置かせてもらってたからそれはカバンに詰めた。

数日間は友達の家に泊めてもらった

そのままどっかで死のうと思ってたけど死ねなかった

尽きていく貯金が怖かった、死ねないから生きるしかなかった。

携帯も家もないし、頼れる大人もいないし、友達の家にはずっといられない
施設出たばかりの18歳が手っ取り早く大金を稼ぐ方法なんて、水商売しかないじゃないですか

お仕事はほんとうに気持ち悪くて自分が大事にしてたことがどんどん汚れていくのが苦しかった。しばらく食事が喉をとおらなかったけど、それでも二日働けば、昔していたアルバイトの月給くらいにはなった。

死ぬつもりでシェルターを出てきたけど、これなら生活費もいつかの学費も稼げると思って、もしかしたらもうちょっと生きられるかもと思った。

最初のお給料でスマホを買った。
あとは事情を話してオーナーの家を貸してもらうことになった

ちょっと家賃をちょろまかされてたのはさておき、安心して一人で眠れる場所が確保できたからまあいいやと思った。

まったいらだったお部屋にどんどん自分好みの家具が増えていくのが嬉しかった。

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少し経てばそんな生活にも飽きたし、どうしてこんなことしてまで生きていかなきゃいけないんだろうって、また自殺未遂をした。18歳で死ぬのが綺麗だと思ってた。

120カプセルくらい飲んだあとにこれじゃ死ねないと勘づいて自分で救急車を呼んだ。この辺は記憶が曖昧だけど。

病院では周りの人がみんな外国人に見えて、全身に刺されたのに注射が全く痛くなかった、世界が真っ白で、心電図の音が心地よかった

まあそのあとも色々あって、何度か死のうとしたけど、うまくいかなかった

20歳になる前にはちゃんと死のうと思ってたけどそれもあんまりうまくいかなかった。

いろいろなことがあってまだ生きてるけど、もういいかなって気持ちがある

たのしかったし、出会えたみんなに感謝♡、だけどもう疲れちゃった

どうせ死ねないけど死にたいくらい苦しい、うっかりしねたらいいななんて思ってる

ラブアンドピースの精神で行こうね

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