小田島裕一「オダジ」

札幌にて15年間中学校教師として勤務。2006年から2年間ウガンダ共和国にて、青少年に…

小田島裕一「オダジ」

札幌にて15年間中学校教師として勤務。2006年から2年間ウガンダ共和国にて、青少年に野球指導を行う。著書に「日本人という生き方」が ある。㈱インディヴィジュアル 代表取締役 https://www.individual.co.jp/

最近の記事

誰もやらないことをやる

「誰もやらないことをやりたい」 心の奥底から湧きあがってくる 思いがある。 ここでいう「誰もやらないこと」とは、他人との比較ではない。 ご先祖の誰もできなかったことを やりたいということである。 他人からみて難しいことのように 見えても、本人にとっては、容易い ことがある。 それは、ご先祖の誰かが、成し遂げたことは、子孫のための道筋がついて いるので、できるのである。 反対に、ご先祖が成し遂げる ことができなかった、あるいは、 回避してきた未踏の道については、 他

    • 経年優化

      経年劣化とは、時間の経過によって 品質が、低下することをいう。 時間とともに、性能が悪くなる 経年劣化に対して、時間がたつほど、性能が良くなり、質が高くなる ことを「経年優化」という。 どうせ仕事をするならば、経年優化となる仕事をしたいものである。 どうせ生きるならば、経年優化のような生き方をしたいものである。 そのために大事なことは、時代の 流れ、時流に乗らないことなので ある。 目に見える対価とは反対方向に 舵を切る勇気なのである。 自らの心の奥底にある純粋な

      • 転職の理由

        転職が当たり前の世の中となり、 転職の理由を考えるわけである。 思うに、入社した未来に 希望がもてないからと考える わけである。 なぜ希望がもてないかといえば、 それは、理想のロールモデルが、 職場にいないことに起因する わけである。 ロールモデルとは、 「考え方や言動、行動などが 自分にとって模範となる人物」の ことを指す。 この憧れの存在がいないならば、 長居は不要と考えるのが、 当然のことである。 給与や待遇などで一時的に とどまることはできても、 ロールモデ

        • 恐怖の奴隷

          「私たちは、自分の恐怖の奴隷になっていると思うの。きっと何か悪いことが起こるに違いない。失敗するに違いないって、いつも思い込んでいるの。だから、本当に悪いことが起きると、ほとんど満足感のようなものを感じるようになっているの」 シャーリー マクレーン~ 「アウト オン ア リム」より これまで、「悪いことが起きないように」、つまり「恐怖の回避」を目的として努力してきたわけである。 つまり、「恐怖の奴

          狭き門より入れ

          「狭い門から入りなさい。滅びに 通じる門は広く、その道も広々と して、そこから入る者が多い。 しかし、命に通じる門は、なんと 狭く、その道も細いことか。それを 見いだす者は少ない。」 マタイ7章13-14節 世の中の仕組みを学ぶにつれ、この 聖句の意味がよく理解できるわけで ある。 つまり、この世の中の仕組みに 盲目的に従い、大衆の価値観に 染まり、ただただ生きてゆく。 その道の先に、命の輝きは ないと

          勇気と恐怖

          勇気とは、ものおじせずに 立ち向かう気力のことをいう。 自らの人生を振り返ると、 勇気というたいそうなものは 持ち合わせていなかったのである。 あったのは、ただ恐怖だった わけである。 それゆえ、安全地帯に居座り、 できれば、現状維持に努めたいとする消極的な態度で生きていたわけである。 しかし、安全地帯に留まっていれば、恐怖が収まるかといえば、 決してそうではなかったのである。 「ここに留まっていたら絶対に後悔 する」 挑戦しなかったことによる後悔の念。 この恐怖

          それでも人生にイエスと言う

          「いつまでも信じていたい。 最後まで思い続けたい。 自分が生きる意味があるはずと」 ~反町隆史「POISON」より~ 自らの深いところから湧きあがって くる思いを言葉にすると、これだったわけである。 「自分は生きる意味があるはず」 これを信じて生きてきたのである。 だから、周囲や自分自身の期待に 応えられない。 そのような状況になった時には、 死にたくなったのである。 自分には、生きる価値がないと 信じ、絶望してしまっていたからで ある。

          それでも人生にイエスと言う

          人生のソムリエ

          天の下の出来事には、 すべて定められた時がある 生まれる時、死ぬ時、泣く時、笑う時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時 求める時、失う時、黙する時、語る時 愛する時、憎む時 ~伝導の書より引用~ 「天の下の出来事には、定められた時がある」 この意味を本当の意味で理解できる。 そのような人間になりたいもの である。 そのために、人生の喜怒哀楽を、 とことん味わい尽くさねばならない のである。 美味を味わうだけで

          生きる意味と人生の価値

          「いつまでも信じていたい。 最後まで思い続けたい。 自分が生きる意味があるはずと」 「反町隆史~POISONより」 自らの深いところから湧きあがってくる思いを言葉にすると、これだった わけである。 「自分は生きる意味があるはず」 これを信じて生きてきたのである。 それゆえ、自分には生きる価値が あるはずと納得しようと、あれこれ 躍起になって生きてきたのである。 だから、周囲や自分自身の 期待に応えられない。 そのような状況にな

          生きる意味と人生の価値

          孤独でなければならない

          人間は孤独でなければならない。 孤独になってはじめて、 自分は一人ではないこと、 ずっと一人ではなかったことに 気づくことができるからである。 人間は孤独でなければならない。 孤独になってはじめて、その 独り言が、実は、誰かとの対話で あることに、しかもずっと そうであったことに気づくことが できるのである。 ヴィクトール・フランクル 「苦悩する人間」より つまるところ、神の愛。これに気づくために、孤独が必要となるのである。

          孤独でなければならない

          生きることは義務である

          人間は、「楽しみのために生きているのではない」 また、「楽しみのために生きてはならない」 ナチ強制所を生き延びた精神科医 ヴィクトール・フランクルは、こう 喝破している。 死刑囚が、処刑の数時間前に、 最後の食事の献立を好きなように 考えて良いと言われたとする。 しかし、この男にとって、 ほんの数時間後に、死体になる 運命のこの有機体の胃の中に、 美味しい食べ物をつめこもうと、 つめこむまいと、まったく どうでもいいことなのである。 それゆえ、どんな申し出も はねつ

          生きることは義務である

          自分を知るということ

          自分を知るということは、 どのようなことなのか。 これをいつも考えるわけである。 「自分は、この程度の人間だから、 このくらいの暮らしぶりが、 身分相応であり、まずまず満足で ある」 自分自身に対するこのような 態度は、自分を知ることとは、 たいそうかけ離れていると考える わけである。 では、自分を知るとは、いったい どういうことなのか。 それは、「自分はなぜこの時代に、 日本国に、日本人として生まれた のか」 そして、「自分はなぜこの家系に 生を授かり、この両親

          自分を知るということ

          人生の目的地

          目的地とは、これから行こうとするところであり、めざす場所のことで ある。 自らの仕事において、この目的地が わからなかったのである。 いったいどこを目指すのか。 これが、はっきりとしなかった わけである。 だから、ただ目の前のことに集中したのである。 ただ我が身に降りかかってくる 問題の解決に努めたのである。 このような場当たり的な 生き方で良いのだろうか。 目の前の課題に対処しながら、 ひとり思い悩んでいたのである。 心熱く燃やすことができる。 そのような

          原点回帰

          原点回帰とは、基本に立ち返る こと、初心に立ち戻ること。 そもそもの事の起こりに再び 忠実になることをいう。 では、この原点とは、「いったいどこにあるのか。」ということになる。 「どこまで戻れば、基本に立ち返る ことができるのか」ということに なる。 思うに、自らの原点は、失意どん底の時にある。 すべてを捨て、あるいは失い、 裸一貫となりし時にある。 「何もないから」 隠れていた自らの原点が 見えてくるのである。 何もないから、失う恐怖がない のである。 何

          顧みて悔いのない人生

          「我が青春に悔いなし」は、激動の 時代に生きる者にとって、示唆に 富んだ映画である。 主人公の幸枝は、旧友の野毛に東京で再会し、自らの思いを吐露するのである。 「三年になりますわ。その間に私、 三つも職場を変えてきたのですわ。 それだってただ食べてゆくための仕事っていう意味しかありませんでしたわ。私、何かこの身体も心も何もかも投げ出せる。そういう仕事がしたいんです。家を出る時、父が言いましたわ。華やかに見える自由の裏には、 苦しい犠牲と責任があることを知れと。私、そういう

          顧みて悔いのない人生

          砂の上の足跡

          ある晩、男が夢を見ていた。 夢の中で彼は、神と並んで浜辺を 歩いているのだった そして空の向こうには、彼のこれまでの人生が映しだされては、 消えていった。 どの場面でも、砂の上には、 二人の足跡が残されていた。 一つは、彼自身のもの、もう一つは、神のものだった。 人生のつい先ほどの場面が目の前から、消えてゆくと、彼はふりかえり、砂の上の足跡を眺めた。 すると、彼の人生の道程には、 一人の足跡しか残っていない 場所が、幾つもあるのだった。 しかも、それは彼の人生の中