320 抱腹は報復

JOKER を見たのは先月か先々月あたりで、感想を書くのをすっかりサボっていた。ここらでちょいと書いてみることにする。

https://youtu.be/C3nQcMM5fS4?si=BioMvAVotgdMIW8K

The same way that you decide what’s funny, or not.(同じさ。自分で決めればいい、笑えるか笑えないか)

胸糞悪くなるタイプの映画かと思って観始めたのだが、とても痛快で爽快、アーサーと一緒に小気味よく踊りたくなったくらいだ。というのが、率直なところ。で終わっても味気ないので、引き延ばして考えてみる。仮面と笑いの話。

ウェインが地下鉄殺人犯について「仮面なしでは人を殺せない卑怯者だ」と評していた。では、絵の具を塗らず生皮を晒している人間は素顔なのだろうか? 違うな。ゴッサムが炎上する中で暴れる人々、みな同じ顔をしている、彼らは自分を隠したのではない、むしろ社会的なツラを剥がして素顔になった。本来の自分の顔で愛想ばかりしている人には、それこそ仮面だからだ。
人間はいつでも笑いたがっている。正直に笑いたいと夢見ている。ゴミと金が積み上がり、英雄が盛り上がる街で、圧し潰されて笑えない人々。彼らも偏に笑っていたいのだ。壊してでも笑いたい、壊されたこともいっそ笑いたい。そうした人々にとって、あのピエロ面は実に解放的な正直な笑顔だ。
この仮面を被って本性を表すこと。なにかしらSNSをやっているなら心当たりもあるだろう。初期アイコンの捨てアカで殺人に興じる人を見かけることも多くなった。同じ顔して同じ方向に動く、なにも蟻だけの話じゃない。複雑巨大の社会を運営するため役割を分担する、個々に特性を養うのであって、そうでないなら個性など要らないし生まれもしない。社会を破壊する時、最も自分らしくいて欲望に忠実な時、人間の素顔はみな同じということだ。

アーサーはとにかくよく笑う。病気で笑っているシーンもあれば、期待されたリアクションをしているだけだったり、周囲に合わせていたり。壇上では抑えきれずに噴き出し、自分の過去について泣き笑い、暴徒に歓ばれてはにっこりと笑む。
笑いは、人間を縛り付けもする、解き放ちもする。揶揄を誘うことも。笑い飛ばすなんて言葉もあるように、苦しみや怒りを遠ざけ、または乗り越える力でもある。
最近よく思うのだ。抱腹絶倒は、報復だと。それは己を悲劇的にするものすべてに対する報復だろう。血を吐きながら、その血で口角を引っ張り上げるように。踏みつけてきた者たちの血を引きずりながら、踊るように。積み上げてきた悲劇を笑い飛ばす時代は、もう来ている。
ハート(慈愛)、ダイヤ(富)、クローバー(知恵)、スペード(騎士)、はたまたジョーカー(笑劇)。選択を迫られている、なにを掴んで死ぬのか。
ジョーカーを引く? 見苦しく逃げ回るのがオチだと分かっていても? 一緒に笑えない、それは一緒に居られないわけとして充分だ。

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