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生きづらさを愛と光へ!NO.30 俗に言う、「そうはなりたくないよね」って思っていたことがそうなりかけたって話。


ここ数年、自分の人生と向き合い、やりたいことをやる、他人軸ではなく自分軸で、と思いやってきたのだったが、ここへきて、少し違っていた、と言うか、何一つ実は変わっていなかったのではないか?なんて、この数日思っていた。

私の弟が、30年間東京の某会社で働いていたが、一年半ほど前に、長崎にUターンしてくる事が決まり、そうなった。

初めはとても驚いた。
しかし、弟はよく、東京から長崎へ帰省した時、うちにも泊まったり、飲み会したり、温泉へ行ったり、良くうちの家族とは関わってきたのだ。
恐らく一般的な姉弟として考えると、仲の良い方だと思う。

結局、弟は東京からUターンしてきてからも、色んな所へ飛び回り、Zoomなんてものは、お手のもの。

言っていた通り、合同会社を立ち上げ、動いている。
それはすごくて素晴らしい事だとは思うが、やはり、姉の私が聞いてた内容とはかなりズレが生まれてきている。

そう思いだすと、もう止まらなくなった。

よく私が、そして皆さんも聞いた事がある話だとは思うが、兄弟や、友達と商売を始めてもうまくいかない。
もしくは、上手くいくことは難しい。
(中には上手くいっている方もたくさんいらっしゃると思いますが)

私の知り合いの中にも、飲食店を始めて一年足らずで、そんなに長くは続かず、私がその店に食事に行く間もなく閉店した、ということがあった。

私はその二人も知ってるって言えば知っていて、私よりもまだ少し若い。

一人の人とは仲は良いが、本当にたま〜に連絡をしてすぐに話せる安心できる仲と言うのであろうか…

話によると、やはりお金が絡んでいた。
結局、そんなもんだよなって思った。
初め、店を始めると聞いた時、何か勝手な違和感を感じていた。

その二人はとても仲良かったが、何か違うと直感で感じた。


うちの場合、弟は人の上に立ってやっていける人、私はそれはできない人。

弟は組織向き、私は個人向き。
そんなこんなで、心理カウンセリングのコミュニティーも、私は脱退した。

私がやりたかったこととは、少し違う。
結局、カウンセリングの先生が仰るように、違和感のあることを始めると、苦しみが生まれる、それもそう、ごもっともだ。
そのことではないがやっていることの一つは、違和感を感じていた。
その違和感のもと、今は活動中止している状態に近い。

いくら血の繋がった弟とは言え、見てきた世界が違いすぎている、まあ、それはそれで良いとして、弟はそれ以外にも、ネットワークビジネス、不労所得に繋がること、とにかく、色々な場所に行き、顔を出し、人との繋がりが多いため、色々声もかけられるのだと思う。

もちろん、私もそれなりに、弟や姉も一緒にやっている。

人はたった5%しか見えていなくて、残りの95%は見えていない世界らしいって話も聞く。

本当に自分なんて、狭い中で生きていると感じる。

人は知らない95%のことを話したとしても、中々信用しない、それが極々普通のことらしい。

しかし不思議なもので、一つのことを手放すと、やりたかったことに目が行くようになり目が行き届く。

これも私がカウンセリングの時に言われたことでもある。
全てお見通し、と言った感じだ。

今の時代、この先どうなるのか、不透明であり、どうしても不安になることもある。
これは、他の人がどう思っているか謎だけれど。

弟は数個のことを同時にやっている。
私もそうだけれど、少しづつ、一歩づつでも前に進んでいけたら良いのではないか、ここ数日、気持ちに余裕も生まれ、少し離れたところから、客観視してみると、やはり、色々な気持ちの変化というものはあるものである。

仕事だってそうかもしれない、勢いよく辞めたまでは良いが、一旦辞めてみて、外から、客観視すると、その仕事が意外にも良いものにも見えたり、それでも辞めて正解だったなと納得できたり、そんなことを繰り返して、自分もアラフィフまで生きてきた。

アラフィフまで生きてくるって、それなりの地でそれなりに頑張ってきたから、今生きていられる。
これは決して当たり前ではないのである。
この私でもタダで生きてきたわけでもなく、それなりに頑張って、生きてきたのである。

これだけ仲良くしていた姉弟であっても、疎遠になることはあり得る話である。

義母のことを思い出した。
義父が亡くなった時は、忌明け法要まで、七日、七日に、ずっと義母の妹さんたちは来ていたが、やがて、来なくなった、それと共に歳も重ねていったが、義母曰く、何番目の妹はこうでああでと、色々と話を聞かされたので、何となくこの妹さんはこんな感じというのは把握できている。

それからは義母の姉妹はほとんど会っていない。

世の中には本当に兄弟かわからないほど会わない人もいるだろうけど、その方たちを、兄弟ならもっと仲良くすればいいのに!と思っていたまだ、未熟者の私だった。

しかし、今ならわかる。
私もそれなりに経験を積んだということである。
今やっていることで、弟と一旦心が凄く遠いところまで離れてしまった。
そうなってしまって、お互いが、連絡を取らず、違う方向に向かい出したら、もう、それまでだろう。
それでは流石に大人気ない行動。

姉も弟も関係ないし、他人と言われれば他人、ほかの人なのである。

疎遠にしようと思えばいくらでもできることであるが、私はそうなることを望んではいない。

金の切れ目が縁の切れ目とも言うが、正しく、知り合いのお店の話は、それが当てはまる。

片方が、お金のことは水に流して、普通に付き合おうと言ったらしいが、結局は、もう片方の人が、違う考え方や、気持ちになってしまうと、付き合いは、それまでとなる。

良く聞く話、あんなに仲良かったのに、と言うこと、まあ、どんな状況であれ、どんな情報であれ、色々な友達や知り合いがいたとしても、最終的に100%信用できるのは、自分自身ただ一人なのではないだろうか。

色んな話をした時に長男が言ったひと言だ。

「最終的に本当に信用できるのは、自分自身一人だけ」

その時はピンと来なかったが、今は、確かに確かに、ある意味そうだ、いや、本当に最終的にはそうだなって思う。

26歳にしてもうそんなことが言えるとは、大きな会社で揉まれてるだけのことはあるのだろう。

それぞれが頑張っている中、私もまだまだと思う。

介護から手は離れたが、娘のことではまだまだ心配は絶えない。

心配は絶えないが、悩んではいない、悩んではいないが気が重い、心軽やかに、それが今の私の願いだったとまた我に返る。

今年は色んな波が押し寄せ、変化が凄い。

まだ半年足らず、これからも何か急な波が来そうである。

いざ介護から、子育てから、手が離れ、地区の役員、学校の役員もそこそこに、結局、一生懸命になってやってきたことも、終えてしまうと、自分の記憶の中と、その思い出を共有している人の記憶の中にしか残らない、もしくは、日々色んなことに追われていると、その記憶さえ失われていくのかもしれない。
しかし、本当はそれで良いのである。

今できることを、日々積み重ね、やっていくことが、今後のことに繋がるはずだ。

自分の人生を歩んでいくとき、誰かの人生と横に並んでいくとき、やはりお互いがお互いを思いやり、寄り添い、話し合い、お互いが言いたいことを言える仲でなければ上手くいかないのだと思う。

夫婦にしても姉弟にしても。


「そうはなりたくないよね」

せっかく4人きょうだいがいるのだから、できる限り寄り添っていきたいと思う。

勿論、夫婦にしても、親子にしても。



今日も最後までお読みいただき、心よりありがとうございます^ ^











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