青井 泉

会社がしんどい方のメンタルコーチ/対人支援経験2,300人/ワークショップ60回以上開…

青井 泉

会社がしんどい方のメンタルコーチ/対人支援経験2,300人/ワークショップ60回以上開催/Voicyスポニチニュース公式パーソナリティ/大手外資系企業へ転職後、過重労働で退職 転職・学びを重ねコーチに

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たったひとりで、たったひとりであることにも気づかず、必死で会社生活を闘っているあなたへ

毎日、仕事がキャパオーバーで、 でもそのキャパがない自分が悪いんだと 一分一秒を惜しんで業務をはいて 疲れきっているあなたへ。 頑張りながら、自分を責めながら、でも 全力で、全身全霊で業務にあたっている自分がいて だからそれでもやっぱり自分は悪いのだろうかと 誰かに確認したくなることがある、あなたへ。 私もそんな時がありました。 私は、 きっと私が悪い、厳しい指摘もあるかもしれない、 でもここはよかったとか、 ちょっとでもできているところも見つけてもらって あなたはこれは

    • 私が提供できること

      セッションを受けて 今回もまただいじな気づき。 私は学生の就活支援をしていた時、 ゾーンに入っていたのではないかと。 (職場環境ちょっとよくなかったけど学生にフォーカスして気にならなかった) そして“キャリコン”なんて枠の中だけではない 私が持ってるもの全部使って 毎回学生を迎え、また学生に向かっていた。 私の新卒の就活は氷河期でもあり大変だった。 恥ずかしながら途中からはやけのやんぱちだった。 だからその時に自分が受けたかったサポートを 学生に全力で提供した。 学生のいい

      • 自分を責めることによる「メリット」

        何かよくないことが起こった時に「自分を責める」「反省する」 が癖になっている人は多い。 自分が至らなかったところに着目して、そこを埋めて伸ばすことで 成長しようとするのは、決して悪いことじゃない、 むしろ、崇高なくらい素晴らしいこと。否定したいのじゃない。 ただ、これだけ自分に聴いてほしい。 実は心のスミのスミに 「自分を責めておけばいい」「反省しておけば正しい」という気持ちが 潜んでいるのではないだろうか、と。 習慣とか無意識とかの、もう思考しないレベルで 自責・反省が

        • コーチングの意味、気づきの意味

          私はスポーツ観戦が好きだ。 でも、自分がスポーツをすることが好きなのではない。 体育の成績は3の小学生の私が なぜスポーツ(最初はプロ野球)に興味を持ったのか。     とくに掘り起こすことなく大人になったある時、 ふと純粋に疑問に思い、 コーチ仲間とのセッション時にテーマにしてみた。     そうしたら、問いかけによって私の気づきが引き出された。 ”反男尊女卑”が根っこにあった、と、わかったのだ。     小学校に入って、名簿が男子が先、その後が女子、 とされていたのが「不

        たったひとりで、たったひとりであることにも気づかず、必死で会社生活を闘っているあなたへ

          「気づき」の大事さ

          私がコーチングに惹かれ学んだのは、 自分だけでは気づかない自分のことに気づけるからだった。 自己理解が進むことや、「そういうことか」というアハ体験に、 お金に替えられない価値を感じた。 理屈でないところで感じる「心地よさ」もあった。 コーチが質問等で気づかせてくれる、一人ではできない機会を提供してくれる、 そこにコーチングの意味を感じた。 有名な、エイブラハムの「感情の22段階」。 何度も何度も見ているはずなのに、一番上の1に 「気づき」が入ってたことに気がついた! ちなみ

          「気づき」の大事さ

          過去を乗り越えるということ

          人生の中で、後悔していることはありますか。 私はたくさんあります。 ほとんどが仕事に関すること。 悲しいかな後悔があり過ぎて、 あのサッカーの試合は20××年だ、とか あの事件は20××年だ、とか 自分の後悔の記憶と結びつけて正確に言えてしまったりするくらいに。 新たな環境で理不尽だと思うような事に出会うと、 「あの時に闘わなければ、頑張らずに流していれば 今は逆に楽で有利な場所にいられたんだ」 という、自分の中で完了できたはずの思いが、時を経て時を経て、またふっと 頭を

          過去を乗り越えるということ

          発信を躊躇するナゾの根源

          私がやりたいことは 「仕事がしんどい、会社が大切なのに辞めたいくらい辛い人のサポート」     これをどこか真っ直ぐに発信してこれなかったのは どこかもどかしい思いを抱え続けていたのは きっと 私自身がまだ、自分を恥じているからだ。     あの時会社を辞めた自分 会社員人生で勝つことを目指すことから降りた自分を 恥じているのだ。     やっと、向き合えた。とらえられた。 この思いは、もう消えないかもしれない。     でも、この方がいいのかもしれない。 この自分は 同じよ

          発信を躊躇するナゾの根源