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JFL昇格をかけた試合直前のロッカーで呪術廻戦をオススメした話と、「俺、今年は本気を出すから」と宣言する奴がだいたい失敗する理由。

クリアソン新宿にとっての2021シーズンは、奇跡のようなシーズンでした。

関東リーグは半分が終わった時点で、残り11試合で首位との勝点差は11pt 。そこから、引き分けを挟まず 11連勝で逆転優勝。そして、関東という地域リーグから JFL=全国リーグに昇格するためには、他地域の覇者と闘う 地域CLという大会を勝ち抜かないといけないんですが、これが 90分ゲームを3日で3試合 → 1週間空く → 5日で3試合というレギュレーションで、まあ身体がぶっ壊れてもOKというノリの大会なんですけど、クリアソン新宿は 4勝1分1敗で優勝。

8月1日〜 11月28日まで4ヶ月で、15勝1分1敗。まさに確変状態。

通常は これで昇格ですが、今年は JFL下位チームとの入れ替え戦がありました。ご存知の通りJ1リーグは自動降格が4チームで、僕の前所属の徳島ヴォルティスは健闘しながらも、然るべき新陳代謝によって J2に戻りました。一方で、JFLは自動降格が 0チーム。加えて 入れ替え戦も 引き分けの場合は昇降格なし。

このノリもよく分かりませんでしたが、渋々 12月18日、JFL昇格をかけた 運命の1戦を迎えることになりました(しかも、アウェイで)。

僕は、チームのキャプテンとして、試合前のMTGでスピーチをする時間をもらっているのですが、この入れ替え戦のときばかりは「みんなに何を伝えようか」と悩みました。地獄を生き抜いた先のラストマッチ。もし 失敗したら 翌年に始めからやり直し…。悩みました。

なぜ、本気を出すことができないのか?

コーチングを掘り下げていた時期、チームメイトへの声かけは「成果を出そう」ではなく「全力を尽くそう」が正しいというのを、本か何かで読んだ記憶があります。アンコントローラブルな「成果を出すこと」ではなく、コントローラブルな「本気を出すこと」に集中させたほうが、パフォーマンスが高くなるという理論です。

しかし、シーズンを、あるいは サッカー人生を過ごす中で、試合前に本気を出すことを誓いながらも、叶わないことが幾度となくありました。それは「もっと上手にできた」という反省ではなく「もっと必死にできた」という反省です。「できるはずのことを、やらなかった」罪は重く、自己嫌悪したり、外から非難されたりします。

本気さえ出せればまあ勝てる…けど、そもそも それがムズいんだよな…。と思っていたときに、Netflix で呪術廻戦を観ていました。五条先生がめっちゃ良いことを言っていました。

五条先生「恵、本気の出し方、知らないでしょ?」
伏黒「俺が本気でやってないって言うんですか?」
五条先生「やってないんじゃなくて できてないんだよ。」
呪術廻戦 第23話「起首雷同—弐—」

パフォーマンスとは、常に 能力に対して、それをどれくらいの本気%でやるかの計算式で求められます。にも関わらず、僕たちは能力の向上ばかりを志向し、まるで本気の出し方はマスターしているかのようです。しかし、特に重要な試合で、組織として、本気を出し切るということの難しさは、スポーツをしたことがある人に改めて説明する必要はないでしょう。

五条先生の言う「本気の出し方」という概念によって、すべてが解決しました。本気を出していなかったのではなく、出せていなかったのです。つまり、本気を出すには「技術」が必要だということです。

称賛すること、コストパフォーマンスから解放されること

クリアソン新宿は、本気を出す技術の習得に、サッカーの練習と同じくらいの熱量をかけてきました。それは施策というより、文化に近いわけですが、特に重要だったのは二つです。

まず、試合中、誰かが本気でやったプレーに対して、褒めまくっていました。本当は抱きしめてやりたいくらいでしたが、試合中にそうするわけにもいかないので、とにかく大声で褒めていました。成果が出なくてもOKというわけではありません。というより、成果を出すためには 本気を出す必要がある、そして、本気を出すことは難しい。だから、惜しみない称賛を送るという論理です。

本気を出すことは、とても恥ずかしいことです。なぜなら、本気を出したのに、成果が出なかったときにダサいからです。だから人類は「本気を出してないだけやし…」という保険をかけながら生きています。合唱祭のとき意地でも真剣に練習しなかった 中2時代から、何も成長していません。そんな男子が集まっている以上、本気を出した奴がクラスの人気者!という雰囲気を作るしかないのです。

本気を感じるプレー、最高。

あと、「なぜ、サッカーをやっているのか?」を確認しまくりました。トレーニング終わりのMTGのたびに、この問いを立て続けました。連戦中のホテルでも、夜は1時間くらいかけて「なぜ、サッカーをやっているのか?」を、全員がプレゼンテーションする企画をやっていました。

パチンコをする人は、お金を稼ぐために それをしているわけではありません(パチプロを除く)。パチンコをしていること自体 に魅せられているはずです。ボタンを押した瞬間に、一定の確率で現金が出てくる施設であれば、あれほどまでに多くの人を惹きつけることはないでしょう。

サッカーもそうです。言語化されているかはさておき、僕たちは、サッカーをしていること自体に価値を感じてきたはずです。それを、挑戦、成長、快楽、どう認識するかは自由ですが、とにかくサッカーをしていること自体が価値だったはずです。

しかし、僕たちは、すぐにそれを忘れます。そして、試合に出ること、試合に勝つこと、あるいは金銭を稼ぐことだけが価値であるかのように錯覚します。そうすると「頑張ったのに、報われなかった」みたいな発想が出てきます。投資した分だけの報酬が回収できていなかったという感覚、つまり、コストパフォーマンスの概念です。

この論理でいくと、優れた状態とは、効率良く 試合に出れたり勝てたりする状態になります。つまり、本気を出さずに成果を出したとき、それは失敗ではなく、成功体験になります。めちゃくちゃヤバイ(!)

本来、僕たちは、本気でサッカーをすることによって、自分に変化が起きる、そういう部分に価値を感じてきたはずです。そうした価値観を思い出し続ける必要があります。自分は なぜサッカーを始めたのか、続けているのか、そして 辞めないのか…。それを内省し、発信し、共有することによって、本気を出すことの尊さを忘れずにいることができます。

・・・

そうして毎日毎日、全員で、本気でやることで、本気の出し方が上手くなります。だから、大一番、仮に劣勢に立たされたとしても、クリアソン新宿は本気を出すことができるはず、そうすれば勝てるはず。入れ替え戦のとき、そんなことを伝えました。五条先生が言ってたから間違いないし、まだ見てない奴は全員観ろと。

結果は4-0。自分たちの持てるものをすべて出し尽くした、これ以上ない試合でした。

試合後に号泣し血も涙もないキャラ設定がブレた筆者

「俺、今年は本気出すから」

なめんな。絶対 無理や。

僕たちは、いつでも 思いさえすれば 本気を出せると、そう勘違いをして生きています。組織でも個人でも、同じことが起きています。だから「今年は本気出す」とか、そんなことが言えてしまうのです。そして失敗して、できるはずのことができなかったという挫折を味わって、自信を失い、いつもと変わらない1年を過ごしてしまうのです。ここまで書いてきた通り、本気を出すのには、技術が必要で、練習が必要です。

無謀という意味では「俺、今年は 本気出すから」と「俺、今年は 4回転半飛ぶから」は、本質的に何も変わりません。普段から練習してないやつが、新年に決意したくらいで4回転半飛べるわけないやろと。何日も何日も、何年も何年も、スケートリンクに通って、挑戦して、失敗して、それでもまた立ち上がって、そうやって練習し続けた羽生結弦だからこそ「俺、今年は4回転半飛ぶから」と言えるし、言っていいわけです。当たり前です。フィギュアなめんな。

全力を尽くすこと、本気を出すことに対して、僕たちは認識を改めるべきです。宣言すべきは「俺、今年は本気出す練習するわ」です。練習しないとできるようにならないし、逆に言えば、練習してないのにできるわけない。だからこそ、本気を出そうと思ったのに出せなくて、出せなかったという失敗をしてしまっても 全然 OK。

まずは スケート靴を履け、ということです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。