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30年日本史00861【建武期】多々良浜の戦い 謎の勝利

 建武3(1336)年3月2日。敵の大軍を前にした尊氏が自害しようと言い出す一方で、弟の直義は
「頼朝公は石橋山の戦いに敗れた後、たった7騎でしとどの窟に隠れたというではありませんか(00462回参照)。頼朝公はその後平家を滅ぼしたわけですから、我々もまだまだ諦めるべきではありません」
と言って必死に励まそうとします。
 直義は250騎を率いて敵陣に向けて出発しました。香椎宮(かしいのみや:福岡市東区)の社殿の前を通ったとき、杉の葉を咥えたつがいのカラスがやって来て、直義の兜の上にその葉を落としました。直義は
「これこそ香椎宮のご加護が得られることを示す吉兆だ」
と言って、この杉の葉を袖にさして出陣しました。
 両軍が対峙すると、まず菊池勢が次々と矢を射かけます。直義軍は隙をついて斬りこもうとあえて矢を射かけずに様子を見ていたところ、誰が射たのか分からない鏑矢が1本、直義軍の方から菊池勢の上を過ぎてはるか遠くに飛んでいきました。これを見た直義軍の士気は大いに上がりました。
 やがて菊池勢の中から騎馬武者が一人、抜け駆けして来ました。いかにも強そうなその武者を、直義軍の白石彦太郎(しろいしひこたろう)があっという間に馬から引きずり下ろし、首をとってしまいます。それを見た菊池勢がわっと駆け寄せて来て、戦場は大乱戦となりました。
 乱戦の中、なんと数にまさるはずの菊池勢は徐々に押されて、逃亡していきます。
 「太平記」では、尊氏・直義の驚異的な強さが強調されるばかりで、小が大を破った原因については書かれていません。漫画「逃げ上手の若君」はこの戦いについて、
○僅か500騎で九州にやってきた尊氏軍。敵は数万。
○砂嵐が敵を阻むなど、神の加護が多数あり。
○最後に尊氏が出陣すると、敵は皆降伏か逃亡して、なんか勝ってた。
と面白おかしく要約していますが、本当にこんな具合なのです。
 よく分からない戦いですが、どうやら菊池勢から多くの裏切りが出たことは間違いないようです。武士に所領を出し渋る後醍醐方に対して、大盤振る舞いを約束してくれる足利方の方が魅力的だったのでしょう。そうだとしても、有利な側から不利な側に寝返る者が続出するとは不思議な話で、謎が多い戦いですが、これ以上のことは分からないのでとりあえず先に進みます。
 菊池武敏・阿蘇惟直は味方から思わぬ裏切りに遭い、命からがら肥後(熊本県)に逃れていきました。

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