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くつは人となりをあらわしているとわが足もとを見て納得する(1)

(2024.5.9加筆)


はじめに

 ヒトのふり見てわがふり直せという。もともとはずかしがりやのわたしは人前に出るのを得意としないし、初対面の方をみつめられずなかなかおぼえられない。なにを話すかすぐにあたまのなかからとんでしまい、いつももごもごになりがち。相手の方を見つめるのが苦手にちがいない。

表題の行動はなかなか起こせない。そしてある機会にふと気づいてしまう。自分自身の身なりや容姿に関して。とくに足もと。

きょうはそんな話。

(タイトル写真:さかんに生育するとうもろこしの茎葉)

気にしない

 このところやさいづくりをやめている。いまはもとのすみかにのこした数本の果樹のみ。毎日野菜たちを相手を世話してきたころがもはやなつかしい。そこでは自由にうごけてよごれるのをいとわない。あたまのてっぺんから足のさきまで。

当時は家にあるよごれてかまわない着古したもの主体に、こちらもぬれてかまわない運動靴でうごきまわっていた。すると娘がひと一言。「ワー◯◯ンはいいよ。うごきやすいものがいろいろある。」と言う。街で出あるくふだん着にすらできるという。

父親のはたけに向かうようすが、あたかもぼろ布が歩いているかのようにしか見えなかったようで、それで思わず発したことばとみた。

わたし自身も

 たしかにそう。中山間地のしかも山ぎわのはたけ。くわをふるっても見かけるのは動物ばかり。ヒトに出会うことはまずない。7年間でヒトと出会ったのは山で作業する父と1回きり。そんな場所なので「どんなかっこうをしていてもかまわない」ぐらいに思っていた。

そういえば同性の方がはたけでどんな格好なのかまったくあたまに浮かばない。ヒトのふり…はまったく眼中になく、てもとのやさいばかりに気がむいていた。

わがふり

 ヒトのようすが気にならないならば自身はなおさら。めったにかがみの前に立つことがないわたし。みずからのはたけしごとのようすなどそれこそ意識がおよばない。ぼろぎれをまとう身なりをいくら動物たちとやさいに見せても返事ひとつ帰って来るわけではない。娘からひと言アドバイスされてようやく多少は気をはらうかとなった。

そこでまずはくつ。それまでは運動靴主体だったが、作業中のはたけや山はいろいろと危険。そこでブーツタイプの作業靴をえらんだ。もちろん足さきをまもるタイプもある。

はたけしごと主体のわたしには重く、体力をうばいむしろつかれを増長させ集中力がもたないおそれがあり避けた。それよりは作業範囲となるはたけとあぜでの危険をじゅうぶん整備・整とんすることで未然にふせぐ。

わりと足を屈伸作業の連続。そのためブーツの靴はかがむたびに足の甲の部分が折れ曲がる。その部分が柔軟でないとすぐに切れてしまう。かかとも同じ。一般の長靴ではあっといまにかかとがきれる。そういえば父はいちばん集中を要するときは、地下足袋にはきかえていた。

おわりに

 それらの理由から作業用のブーツは比較的上質なものからサイズを入念にえらんで購入。

そののちはたけ仕事以外にも足もとを気にするように。くつ選びを入念にしはじめ、ほかもよりましなものを選ぶように根本から変わるきっかけとなった。

それはまたの機会に。

(つづきを掲載しました⬇️)


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