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いまを生きる
全寮制の規律もガチガチに雁字搦めの少年たちが出会ったのは「型破りの指導」のジョン・キーティング教諭。その指導の中で生徒たちに「今を生きろ!」「今を掴め!」という。授業中にほんの1項目を破り捨てたりしたのは。詩と言う本義を説く。人生型に嵌った生き方をする人の多い中で、この様にFreeな時分を見つけろとキーリングは言う。自分も型に嵌った生き方を脱して本当の自分の歩むべき道を考えさせられる作品である。一応この作品はレンタルで約1カ月400円と言う破格でYoutubeでレンタル視聴できるので、自分のホントの生き方に疑問を持ったり、もっとFreeな自分になりたいと思うなら観る価値はある。ネタばらしになるのでそれは自分で見て感じてこれからの生き方の糧にして貰いたいと思っている。Live in the moment!Seize the moment! 2024年5月1日 坂本豆廼丞筆
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坂田利夫を偲んで
坂田利夫氏が召されてから三月近くが経つが、最後は家族ぐるみで親交のあった間寛平夫妻に看取られ老衰と言う天寿を全うした。「アホ」と言う言葉は大阪では「慣用句」になっていて日常でもよく使われる。かくいう自分は「アホバカ読み替え機能」を備えているので「アホと言われようがバカと言われようが緩衝する能力」を持っている一時期「アホ」と言う言葉に困惑した坂田氏を藤山寛美氏が「アホは心の優しいものがもつものやで」と諭すエピソードがあり、「アホ」一筋に生きてきた(この「アホ」は侮蔑でもなく繰り言になるが大阪弁区域の「慣用句」であり自分がしくじった時は「あ~アホやってもうた」って言う事もある)当に大阪人の慣用句の「アホ」を背負って立つ人でもあった。かくいう自分も「アホ」だけど、「アホ」は「アホなりに頑張ってる」事を自覚しながら生きている。 2024年3月18日 坂本豆廼丞筆
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レーダーマンと母子受精
この2曲は初めて聴いたのが、ハルメンズの歌で、その後に戸川純が歌った曲が原曲であると知る。 レーダーマン。コレは今の年齢問わず情報社会で生きてる我々の事であろう。 勿論この曲が世に出た時に今の様な高度情報システムが構築されてる訳も無く、今は1人最低1台は持ってるスマホも無い時代。常に情報はスマホ・PC・タブレットで入手できる時代。3コーラス目はそれに取り残されたものが、ブロマイド(新聞)やテレビの情報で認知の違いを矯正させられてる内容。 2曲目の母子受精は夕闇の団地ですれ違った子供、この世に生み堕ちた人が人となる過程を歌った歌かと思えば3コーラス目は明け方のビルの林立する繁華街の情景、夜通し飲み屋で呑んで始発待ちの自分が住む大阪梅田の繁華街を思い出し、酔いを醒ますために駅へと走ってゆく様を思い出す。 戸川純やハルメンズ・戸川純が参画するゲルニカ等好きな歌が多い。 初めて聴き始めたのが高校時分で学校の図書館で「蛹化の女」を初めて聴いた時 パッヘルベルのカノンに巧く曲を合わせた歌詞が印象的で、クラシックも今風に魔改造するというのを聴き戸川純・ゲルニカを聴き倒した若い時代の思い出。
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南海電車の歌(走る電車は緑の電車)伴 久美子
1990年から2000年まで住吉区の南海高野線「我孫子前」駅近くに住んでた当時、 南海電車は未だ本線は鶯色に下はダークグリーンの7000系7100系、特急サザンは10000系が7000系と7100系が連結されてた時代、高野線はアメリカバッド社のライセンスを付与された6100系(台車がP3を装着していた時代で)6000系は冷房化 台車もMc(モハ)(クハ)がS型ミンデン(方押し型踏面ブレーキ)T(サハ)が ミンデンドイツ式台車(クラスブ式踏面ブレーキ)でバッド社のライセンス返上で6200系と共に無塗装のステンレス車。山獄地帯を走るズームカーに今や過剰生産した2000系が登場した時代で在来の21000系(ひげ新ズームカー)と22000系角ズームによる「大運転」(なんば~極楽橋の通し運転)急行に活躍していた時代 関空開業前の僅かな期間南海電車は「緑の電車」の最盛期で支線区では1521系が京阪でしか採用例のないシンドラー式エアサス台車に旧国鉄63系のモーターを組み込んだ電車が闊歩していた。今はCI化と共に塗装変更されグレーにダークブルーとオレンジラインの入った1000系の台頭、空港特急ラピートの登場で緑の電車は「京阪電車」になってしまい。今はこの歌が嘗ての南海電車を偲ぶ歌となってしまった。時代と共に電車も変わる。