SPAC-静岡県舞台芸術センター              ふじのくに⇆世界演劇祭2024について

初日は、石神夏希氏演出「カチカチ山の台所」から始まった。私は、2回観劇した。回遊型の演劇は、それほど、珍しい手法ではないが、戯曲には独創性があり、俳優の身体性の高さを含めた演技力には並外れたものを感じた。

瀬戸山美咲氏演出「楢山節考」は、まさに鈴木忠志氏SCOTの作風そのもので、私は、さほど独創性を感じなかった。俳優の発声や身体表現は、卓越したものがある。しかし、かつて名優・緒形拳が演じた同作品が、多くの人々の涙を誘う不朽の名作だったので、どうしても比較してしまう。

中島諒人氏演出「友達」は、はっきり言って台詞過多。ストーリーは明快でコミカル、しかも人間関係の本質を鋭く抉っているが、情報量が多すぎて、作品を深く理解することが難しかった。私が自閉症スペクトラム障害であるという特性のためかもしれない。

メルラン・ニアカム氏主演「マミ・ワタと大きな瓢箪」は、もはや神域。神技といっても過言ではない神秘的な作品。こちらは、すでに詩を書いたので、そちらも読んで欲しいが、私は神が眼前に顕現したのかとさえ感じた。

オスター・マイヤー氏演出「かもめ」は、芸術家である私にとっては、身に詰まされる作品だが、2018年に観た「民衆の敵」に比べると、戯曲の性格の違いもあってか、観衆の感情を揺さぶり、嫌がおうにも、舞台に巻き込まれてしまうという巨匠ならではの方法が弱いと感じた。あの血の滴るような野生は、どこへ行ったのか。もちろん、作品のクオリティーは高い。しかし、あの至近距離での観劇を要求するのなら、もっと俳優と観客が一体化できる仕掛けを考えても良かったのではないか。

宮城聰氏演出「白狐伝」は、岡倉天心の幻のオペラをSPAC様式で構成したもの。"The Book of Tea"『茶の本』を出版した天心だったが、日本文化の欧米への普及が不十分と考え、"The White Fox"『白狐』という戯曲を書いた。しかし、この戯曲は、天心の死により、上演されることはなかった。私は「復元する会」の作品を観に行ったことがある。楽器は、西洋の楽器で、オペラ、そして物語は日本の伝統的な昔話。ここに、天心が成し遂げたかった「東西の融合」がある。

SPAC版は、ムーバーとスピーカーを分ける常套表現言語で、安定感はある。しかし、よくある日本の昔話になっており、天心が果たしたかった「東西の融合」が成し遂げられたのかには、疑問が残る。

かつて、ク・ナウカ「サロメ」で宮城聰氏が、美加理さんがムーバー演ずるサロメのスピーカーに興じていたのを観て、感動したことがある。「ヨカナーンの首」をというサロメの台詞を宮城氏が発するのだが、何とも、色気と艶があり、性差を超えた超人的で神秘的な何かを感じた。今回も、かつての宮城氏を彷彿とさせる妖艶な色気を漂わせていた。

最後に、ストレンジ・シードから2作品。
「パレードとレモネード」は、平田オリザ氏の現代口語演劇にならった作品だった。オムニバス形式での構成は、不条理劇とも言えるハプニング性を帯びており、興味深い。

ふたつ目は、のあんじー「待たない」。
圧倒的なエネルギーと独創性。今回の演劇祭は、この作品と出会えたことが、最高の収穫だった。特に、あんじーさんの演技は、病的な要素を含んでおり、その病的さゆえに、人を魅惑してゆく。今後も、注目していきたいユニットである。

全体を通して、ちょっと元気がないなと感じたのは、私だけだろうか。かつての祝祭性は、やや薄れた感がある。ストレンジ・シードやフェスティバル・ガーデンは盛り上がっていたが、どこか疲労感がにじみ出ているようにも思われた。

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