たいいりょう
生きるということ それは 苦しみを ありのままに 受け入れること 生きざま それは どう生きたかではなく どう生きるかということ 今を生きる このかけがえのない生命(いのち)を ほんのひとときも 無駄にせず 懸命に生ききる それが 生きざま わたしの生きざまは 言葉 拙い言葉を紡ぐしか 生きるすべをしらない でも たどたどしくても いいじゃないか 純粋でさえあれば 濁ってさえなければ わたしの生きざまは わたしの生 わたしの生きざまは わたしの死 そんな生きざま いちどきりの 乗り物 たいいりょう
今日は、芸術家と酒について、話そうと思う。 芸術家には、酒乱と呼ばれる人が多々いる。 代表的なのは、画家フィンセント・ファン=ゴッホ。 彼は、アプサントという麻薬に近い酒を、毎日煽るように飲んでいた。 そして、片思いの恋人に会いたいために、彼女の家の玄関のガス灯に手をかざして「この灯に手をかざしている間だけでも、会わせて欲しい」と言って、家人に追い払われている。 また、ゴーギャンとの決裂の後、自らの耳を切り、娼婦に届けるという、いわゆる「耳切り事件」を起こしている。 これは、
幻覚が現れた。
野獣の目にも涙。
もう一度、あの人に会いたい。
網膜に映ったのは、狂気だった。
初日は、石神夏希氏演出「カチカチ山の台所」から始まった。私は、2回観劇した。回遊型の演劇は、それほど、珍しい手法ではないが、戯曲には独創性があり、俳優の身体性の高さを含めた演技力には並外れたものを感じた。 瀬戸山美咲氏演出「楢山節考」は、まさに鈴木忠志氏SCOTの作風そのもので、私は、さほど独創性を感じなかった。俳優の発声や身体表現は、卓越したものがある。しかし、かつて名優・緒形拳が演じた同作品が、多くの人々の涙を誘う不朽の名作だったので、どうしても比較してしまう。 中島
不思議な夢をみた。
記憶は、海底の深いところに沈んでいた。
失われた記憶は、宇宙の塵となって、漂っている。
今日も、私は生きる。
自然の秩序が乱されている。
死は、生の輝き。
私は、光を求めて、歩いてゆく。
我の罪は、どのように贖えるか。
ずっと空を眺めていた。
洞窟には、あの子の面影だけが残されていた。