見出し画像

うつ病を発症して人生転換したこと

これからのシリーズは、僕が経験してきた人生の中で最も同じような症状に苦しんでいる人たちの励みになればと思い書きます。
精神疾患」といっても色々ありますが、その疾患を患ったことで社会的に弱者になるわけではないのです。
ただ、見た目は「健常者」と変わらずに生活が出来るので普通の人たちよりも疲れてしまうことも多いでしょう。
けれども、それが悪いわけではないし、少しつづでも寛解していけば良いのです。そして、二度と同じ過ちを繰り返さぬように日々を過ごせばいいだけです。

僕が「うつ」を患ったのは30代半ば。その頃の僕はもう殆ど、休み無しで仕事をやっていた。しかし、ある日を境に突然の体調不良が現れたのでした。
とにかく、朝が辛い。仕事に行くと思っただけで吐き気がして朝食すら喉が通らなくなっていた。幸いに、なんとか目眩や耳鳴りを感じても通勤しその日は業務をこなし続けていた。
「ちょっと、疲れているだけ」と思って、内科に受診しても悪いところは見つからず…。けれども、とうとう壊れかけて来た矢先に「精神科」への受診を勧められて「取り越し苦労」なことだと思いながら受診。そこで、診断された結果は、「反復うつ病症候群です。」、「えっ??うつ病??」となりました。
そこからは、地獄の日々が始まりました。最初は通院だけでやり過ごせたが、とうとう精神疲労が蓄積MAX。入院となりました。
「こんな馬鹿げた話があるか!!」と思いながらの入院生活。孤独感に苛まれて段々と自分が分からなくなる日々。
「早く復職しなければ」という焦りと「僕の仕事がなくなる」という不安感の連続の日々。少し、元気になったことから無理に退院して復職を嘆願した。
けれども、それが間違いの元。復職すればしたで何ら業務形態は変わらずに心が闇に覆われて行く毎日。それで、とうとう、2回、3回と休職を余儀なくされてしまった。
ここに来て、事の重大さを認識して「4回目はない」ともう悟りの生活。
「もう、突き進むのはやめよう」、「身体と心が資本でゆっくりしよう」、「焦りは禁物」、「この後の人生はもう自分だけを大切にしよう」と人生観を変えた。
そうしただけで、心が軽くなって少しずつ自分と見つめ合う時間が多くなってきて「野となれ山となれ」という感情が噴出して改善に向かい始めた。
なにせ、自分で自分を追い詰めて、自分で自分を傷つける。この病状が悪化してPTSDと適応障害を併発して散々な状況に陥っていたのです。
自殺願望もMAXになって、リストカットやオーバードラックなんて日常茶飯事。危険運転極まりなくガードレールへ直進したこともあった。
今の主治医と出会って、カウンセリングを受けながら日常生活が出来るようになったのでした。そこから、僕の人生観が一転しました。
「出生街道を突き進み、何が何でも偉くなる」なんて考えはなくなり、自分の好きなように生きようと思った次第。
しかし、復職叶えたら、今度は、何をするにしても「ポンコツ」扱い…
結局は、閑職生活と周囲が毛嫌いする配属先で社会人生活を殆ど費やす事になったのです。

まぁ、今ではそれが「不幸中の幸い」で、人並み外れた技術と社内政治の裏の顔、誰にも頼ることなく業務を果たせるまでの資格習得など、身につけたサバイバル技術でゆっくり社会人生活の余生を送っています。
これだけの自分自身の強みを持つと、「言いたい奴には言わせておけ」、「そんな人間に構っている暇はない」、「結局は、自分たちで出来ずに泣き事を言われてもわかりません」と周囲の喧騒を気にしている暇はないと思って生活をしています。

まずは、僕がこの疾患を患った背景を皆さんに知ってもらうことでおしまいにします。
気長に今日このごろの思いを書き足していきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?