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鹿嶋に在住して25年以上。東京には高速バスで2時間弱でありながら、自然豊かで暮らしやす…

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鹿嶋に在住して25年以上。東京には高速バスで2時間弱でありながら、自然豊かで暮らしやすい。50代になって新たに発見している生活の魅力や旅行の忘備録。

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2022.11.30-12.1 50代女子旅の始まり箱根温泉

第1回_旅のお題子供が巣立ち、やっと訪れた 自由時間を満喫しようよ! 毎年、女子旅をする事にした。 栄えある第1回目の 女子旅忘備録 ちょっと観光・ゆっくり温泉 初めての二人旅。 お題は、 旅行支援を利用して 近場プチ贅沢な温泉旅行 公共の交通機関で行けて 東京の近く 美味しい食事がある 選んだのは、箱根温泉。 美しい自然と温泉が調和した魅力的な観光地。 日本の伝統と風情を感じることができる 老舗の温泉旅館に1泊2日となりました。 1日目観光 小田原東京から東海道

    • ママ母ババ 1~19

      祖母が94歳で他界し、身辺整理をしていた時、 1冊のノートが出てきた。 明治生まれの台湾育ち。 祖母が歳をとってから書いた人生の記録。 最後までなかったのが 残念だった。 歴史に残る人生ではなくても、 人の生き方は誰もが面白い。 私から見た母を書いてみようと思った。 ママ母ババ1~7_昭和の夢のオンボロ一軒家1.母の人生 母は、昭和16年1月21日生まれ。 今年83歳になる。 5人兄妹上に3人のお兄さん。 下に1人の妹がいる。 若い頃にお見合いで結婚。 父方の祖父

      • 2024.5.21-22 50代女子旅 東京再発見 青梅温泉

        第3回_旅のお題子供が巣立ち、やっと訪れた 自由時間を満喫しようよ! 50女の二人旅の忘備録です! 休日に人気の温泉を平日に安く 利用する!! お題は、 安・近・短・小旅行 早速、東京から近い場所から 人気温泉宿を選択! 青梅市 おくたま路 ”青梅市、東京。行った事ある?” ”行った事ない!!” ”交通費、安〜い!” 行って見ようよ!青梅市! 飲み放題だよ! 温泉入って!飲もう!飲もう! 1日目観光 御岳山・御岳渓谷青梅市公式観光 モデルコース ”のんびり、たっぷ

        • ママ母ババ14~19/緑のドアの古民家

          孫に願いを込めて 私は結婚し鹿嶋市に住む。 すでに結婚していた姉は東京。 弟はオーストラリアで ワーキングホリデーで働いていた。 二世帯住宅は、2階に両親 1階に祖母だけになった。 気丈な祖母も介護が必要になった。 姉も離婚した。 子供を育てながら、 近くのマンションに住む。 母は、介護の人達と仲良くなり、 孫を可愛がってはいたけど、 明るかった家も先の見えない 暗闇にいる。 この先どうなるのだろうか・・・ 私の次女を出産する事が 希望となっていた。 そんな事もあ

        2022.11.30-12.1 50代女子旅の始まり箱根温泉

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        • 老後の準備のエトセトラ
          3本
        • 鹿嶋市
          3本

        記事

          ママ母ババ19_緑のドアの古民家/母から学んだ事

          母から学んだ事 「相手の立場になって考えてみなさい」 「遠くから自分を見てごらん」 「健康であれば何でも出来る」 私が幼い頃から言われている言葉。 母は、自分自身に言っていたのかもしれない。 私も人生の後半になり 自分の過去を振り返れる歳になった 今の所、私の人生は波乱万丈ではない 順風満帆かと言えばそうでもない 少しは、さざ波も訪れた そのさざ波が大波にならなかったのは、 一重に母の言葉があったから 相手の立場になって考えてみると 怒りが収まる事が多くあった 遠く

          ママ母ババ19_緑のドアの古民家/母から学んだ事

          ママ母ババ18_緑の玄関の古民家/名誉の負傷

          名誉の負傷 父は母より4歳年上。 2024年87歳となる。 現在は、外では車いすで生活。 数年前の父が車いすになる前の話。 久しぶりに帰省すると、 父は手首に包帯を巻いていた。 ”どうしたの?”という私の問いに ”これは、名誉の負傷だよ”と父。 勢いよく母が話し始めた。 当時、実家の向かいには老夫婦が住んでいた。 ご主人は、数年前から寝たきり。 とある日、奥さんが、我が家にのりこんできた。 母に、”この泥棒ネコ!”と罵声を浴びせる。 ”知らぬ間に家に上がり込んでどう

          ママ母ババ18_緑の玄関の古民家/名誉の負傷

          老後のお洒落について考える~Wamilesイベント参加

          Wamilesイベント 友人がWamilesサロンを開いたという。 Wamilesサロン体験に続き、 Wamilesイベントにも参加しました。 Wamiles側から友人をサポートする人員 が2人。 参加者が4名という形で始まる。 90分のコースが午前の部・午後の部  と2回。 Wamilesイベント前半_施術体験 前半は、 通常のWamilesサロンの施術を 顏ではなく自分の手に 自分でしてみよう!というもの Wamilesサロンで受ける施術とは、 肌が生まれ変

          老後のお洒落について考える~Wamilesイベント参加

          ママ母ババ17_緑の玄関の古民家/お洒落な仕立て屋さん

          お洒落な仕立て屋さん 子供が成長し、 帰省するのは年に1回程度になった。 緑の玄関の古民家風の実家。 トイレのスリッパには野の花が描かれ のれんには、スズメ 姪の部屋の入り口にイルカ 白い付近には シャガールの模倣絵 家の中のいたる所に 母のお絵描きがある 庭の花も飾ってある 同居している姉・姪・母 は同じ様な部屋着を着ている ”すごく楽なのよ”という 母愛用の洋裁本”スタイルブック” から作るワンピース スカート、パジャマ 母の工房となった 出窓付きの廊下では、

          ママ母ババ17_緑の玄関の古民家/お洒落な仕立て屋さん

          ママ母ババ16_緑の玄関の古民家/外と繋がる!!

          外と繋がる!! 父と母も、 時間に余裕が出来、 外食ランチを始めた。 暫くすると、 我が家が一番!となり外食は終了。 母は、習い事も始めた。 多少の絵心のあった母は、 絵の教室へ。 しかし、毎回、 出された課題+αを描いてしまうらしい。 ”見たものだけ描きましょう”という先生。 その日の課題は、彼岸花 母の本日の+αは、阿修羅像。 先生は怒り、母は絵の教室を辞めた。 母は、自由すぎた。 先生の描く素敵な”アート書道” に憧れ書道教室へ。 しかし、 ”アート書道はまだ

          ママ母ババ16_緑の玄関の古民家/外と繋がる!!

          ママ母ババ15_緑の玄関の古民家/大人の付き合い

          大人になると分かる事 母が絶対的に正しいと信じていた 幼少時代。 スナック菓子を敵視していた母が カールだけはくれた。 ”ママの魔法だよ。後ろ向いていて”と 呪文を唱えてながら、 私と姉に数個のカールを手に乗せる。 私は本当に母が呪文で出したと と思っていた。 大人になると分かる。 大人だからって、 何でも知っている訳ではない。 すべてが正しい訳でもない。 母は、病弱だった私に カルシウムを買って飲ませた。 ”お家一軒建てられる程、お金を使った” という。 家を建て

          ママ母ババ15_緑の玄関の古民家/大人の付き合い

          ママ母ババ14_緑の玄関の古民家/孫に願いを込めて

          孫に願いを込めて 私は結婚し鹿嶋市に住む。 すでに結婚していた姉は東京。 弟はオーストラリアで ワーキングホリデーで働いていた。 二世帯住宅は、2階に両親 1階に祖母だけになった。 気丈な祖母も介護が必要になった。 姉も離婚した。 子供を育てながら、 近くのマンションに住む。 母は、介護の人達と仲良くなり、 孫を可愛がってはいたけど、 明るかった家も先の見えない 暗闇にいる。 この先どうなるのだろうか・・・ その時は、私の次女を出産する事が 希望となっていた。 そん

          ママ母ババ14_緑の玄関の古民家/孫に願いを込めて

          ママ母ババ8~13_不格好な二世帯住宅

          不格好な二世帯住宅同居先の祖母の家は、2階建て。 1階は、茶の間・寝室・応接間・キッチン 2階は、3つの部屋。 庭は池がある小さな日本庭園。 3K庭付きオンボロ1軒屋から6K日本庭園和風住宅になり 1階に祖母が住み、2階に私達家族が住む。 という形で同居はスタートした。 玄関は、お客様。私達は裏口から出入り。 2階では、跳んだり跳ねたりしてはいけない。 という母を悩ますルールがあった。 子供の成長と共に母は働き始め、 2階の部屋と台所を増築。 不格好な二世帯住宅とな

          ママ母ババ8~13_不格好な二世帯住宅

          ママ母ババ13_不格好な二世帯住宅/子離れ・親離れ

          姉と私は進学校に入学。 勉強は難しく、今まで狭い世界での 上位だったのだ。と実感。 勉強と部活に忙しかった私に 家族との記憶はない。 大学受験は国立を合格出来ずに 私立に進学。 昭和から平成になる バブル期最後に就職を決めてOLに。 よく遊び、喧嘩もした姉とも 可愛くてしょうがなかった弟とも 両親との記憶もない 自分の事しか考えていなかった 未来が不安でたまらなかった 家を出たくてたまらなかった その間も母は、 仕事をし仕事の合間に祖母の 面倒をみて、 家族の面倒

          ママ母ババ13_不格好な二世帯住宅/子離れ・親離れ

          ママ母ババ12_不格好な二世帯住宅/母の教育・転校生のS子ちゃんと私の受験

          母の教育・転校生のS子ちゃんと私の受験 家から徒歩3分の母の勤務先は、 学校帰りに通る場所にあった。 家に帰る前に母の働いている姿を 見つけると安心した。 時々、目が合うと小さく手を振ってくれた。 小学6年生になると、 近所に越してきた転校生のS子ちゃんと 遊ぶ様になり、 放課後おひとり様生活ではなくなった。 幼稚園年長になった弟はどうしていたのだろう・・・ 弟は可愛かったけど、 友達の方がいいに決まっている。 S子ちゃんは、アパート暮らし。 裏に住むS子ちゃんのおばあ

          ママ母ババ12_不格好な二世帯住宅/母の教育・転校生のS子ちゃんと私の受験

          ママ母ババ11_不格好な二世帯住宅/母の外での初仕事、私の駄菓子の初体験

          母の外での仕事初め、私の駄菓子初め 内職・自宅販売を経て、母が外で働き始めた。 子供達が成長し、余暇を祖母とお茶する 生活がどうも退屈だったらしい。 最初に働き始めたのは、多分、家政婦? 近くの家の家事をしていたと思う。 歳の離れた弟は、私が面倒を見る事に。 幸か不幸か、相変わらず、放課後おひとり様の 私にとっては、全く問題ないお手伝い。 母は、2人分のおやつ代を持たせてくれた。 食育を心掛けていた母の おやつは、ずっと手作り。 カラフルなお菓子をみると、 ”いやぁ

          ママ母ババ11_不格好な二世帯住宅/母の外での初仕事、私の駄菓子の初体験

          ママ母ババ10_不格好な二世帯住宅/母の内職と仕入れ販売

          母の内職と仕入れ販売 子供の手が離れると、母は働き始めた。 志半ばとはいえ、 母は、ドレメ専門学校に在籍していた。 新聞紙から型紙を作って 洋服を作る事が出来る。 その腕前を活かし、 自宅で制服を作る内職をしていた。 これは長くは続かなかった。 が、その経験から 姉も私も高校の制服は母が作ってくれた。 ファッションデザイナーを目指していた。 だからなのか。 こうするとおしゃれよ。 高校の制服を少し改良し仕立てた。 こうするとおしゃれよ。 と中学生の私にパーマを

          ママ母ババ10_不格好な二世帯住宅/母の内職と仕入れ販売