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読書記録「天国の本屋」

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

今回読んだのは、松久淳さん+田中渉さんの「天国の本屋」新潮社 (2000) です!

松久淳+田中渉「天国の本屋」新潮社

・あらすじ
夢を見ていた。小さな男の子が、病室で横になっている老婆の隣で絵本を朗読してる。たどたどしい声ではあるが、老婆だけでなく、同室の患者や看護婦さん、医者までが男の子の朗読に聞き入っていた。

22歳のさとしは深夜のコンビニにて、これまでの人生で最も大きなため息をついた。かれこれ20社ほど就職面接を受けているが、秋も終わりの時期にもかかわらず、未だに採用通知1つ来ていない。

もう一つため息をしようとしたその時、突如アロハシャツを着た初老の男に声を掛けられる。噂通りの冴えない奴だと言われたのもつかの間、さとしは全身の力が抜けていくのを感じた。

目を覚ますと、そこは本屋さんだった。しかし、ただの本屋さんではなく「天国の本屋」だという。

初老の男(ヤマキ)曰く、この世界の寿命は100歳と設定されており、100歳未満で亡くなった者は、残りの人生をこの天国にて過ごすらしい。

まぁ天国と言っても現世とさほど大差ない。ともかく100歳に達した時点でこれまでの記憶を消去し、赤ん坊として現世に転生するのが理だという。

最初こそ、突拍子もない真実を突きつけられて困惑するさとし。しかし本屋さん(ヘブンズ・ブックサービス)で数日働く頃には、ここでの生活にもすっかり馴染んでいった。

しばらくして、お客さんから本を朗読してほしいと頼まれる。最初は子どもたちのために絵本が多かったが、徐々に噂が広まり、大人のために朗読をしてほしいという声もちらほら。

自分が誰かの役に立っているという実感を、嬉しく思うさとし。しかし、一つ気がかりなことがあった。レジ担当のユイが、朗読の時間になるといつも席を外していた。

本なんて大嫌いだと言う彼女は、天寿を全うする資格がないとされる緑色の目をしていた。

そんな彼女に淡い恋心を抱くさとし。なぜ彼は天国の本屋に呼ばれたのだろうか。なぜそんなユイも、天国の本屋で働いているのだろうか。

先日の東京読書倶楽部の読書会にて紹介されたのをきっかけに、連休中の井の頭公園のベンチにて、ゆっくり紐解いていた次第。

本を読むようになったきっかけとか、心に響いた作品、人生の転機になった著書というものは、一人ひとり異なる。

読書会でも、最近話題になったから読んだという話よりも、そういう思い入れのある本の話のほうが、会話にも深みが出てくる印象がある。

なぜなら、物語を通じてその人となりが出てきたり、いわばその人しか語れない感想や思いが出てくるからだ。

(朗読してもらいたい)本は、多かれ少なかれ何かその人にとって意味のあるものが多いんだよ。それを判っている人と無意識のうちに持ってきている人といるんだけれど、そんな書物に絡まっている気持ちや記憶のようなものを手がかりに、大切な思い出を引っ張りだしちゃうんじゃないかな?

同著 64頁より抜粋

同じ本を読んでも感想が異なるように、その人にとって、かけがえのない一冊になることもある。

内容が良かったからとかではなく(場合によっては、物語自体はさほど面白くなかったという人もいる)、何か自分に刺さるものがあったのだという。

先日の読書会では、中学時代の自分が唯一赤線を引いた節を紹介し、当時の自分はなぜここに線を引いたのだろう、そして今の自分はどうして響かなくなったのだろうかと語る方もいた。

心に残るという点では、逆に、嫌な意味で、自分の心の棘として残る本だってありうる。

過去の嫌な体験が、読書嫌いを生み出していることだってありうる。天国の本屋でユイが本なんて大嫌いだと言ったように。

なにか、ひとつの、めぼしいことをやりとげるには、きっとどこかで、いたい思いか、そんをしなくちゃならないさ。だれかが、ぎせいに、身がわりになるのでなくちゃ、できないさ。

浜田広介「泣いた赤おに」偕成社より

だけど、良くも悪くも、そんな本が自分の心にあるって、とても素敵なことなんだと思う。

今の私にとって、死んでもなお読みたいと思える本はなんだろうか。

お恥ずかしながら、愛読書と言える本が思いつかない人で、面白かった本はあれど、心に残った本というと、パッとは思いつかない。

それゆえの"自称"読書家と名乗っているのもあるけれども、このまま自分の中に古典を持てないままでいるのは乏しい。

いずれ天国の本屋さんで心に残る本に出会うべく、本の海を泳いでいこう。それではまた次回!

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