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嫌われる勇気を細かく読んでみるメモ④

ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」をスッと読んでも頭に入らないので、細かく読んで個人的な感想と浮かんだことを書いてみようと思う。4回目。

短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているからです。 嫌われる勇気 p.63
「もしも赤面症が治ったらわたしだって・・・」と、可能性のなかに生きることができるのです。
告白できずにいる自分への言い訳として、あるいは彼から振られたときの保険として、赤面症をこしらえてると 嫌われる勇気 p.65

もっと明るい性格だったら友達も多く、楽しい毎日が過ごせるのにな。
こういう想いは誰でも一度は持ったことがあるだろうし、ずっとその悩みに苦しんでいる人も多いと思う。僕もそう。
これをアドラー的に言うと、”もっと明るい自分だったら”という言い訳を自分に用意してあげていることになる。

もし、もっと明るい自分になれたとして、そしてそれでも友達ができなかったらどうだろう。絶望してしまうかもしれない。暗くても、明るくても友達ができないという事実に耐えれるのだろうか。

挑戦することが怖い人の全ては自分を擁護するための言い訳を用意する場合が多い。僕自身、言い訳を用意する天才なのではないかと思うことが多々ある。
口下手な僕が、なぜこんなに言い訳だけは饒舌になるのだろう。
この「言い訳」への客観視、俯瞰した目線が重要だと思う。今、僕は言い訳が頭に浮かんでいるという状態を俯瞰して考え、それに飲み込まれないようにしなければいけない。
あくまで「言い訳」は自分に対する過保護機能である。過保護な親ってよくいるけど、そもそも人間は等しく自分には過保護である。
その過保護機能は自動であるから切ることはできない。かなり修行したら切れるかもしれないが。
ただ、切れないからと困る必要はない。発生したら、冷静に対処して抑えればいい。切れないが、抑えられるのである。
そして、抑えないと言い訳の先にある実行には移せない。これを少しづつ練習する必要がある。セーフティーゾーンにいて、何かを手に入れることはできない。

さて、「自分を好きにならないでおこう」と決心しているとあるが、僕はなぜ好きにならないでおこうとしているのだろうか。
ずっと書いてきたように自分が大好きになれたのに世界に否定されることに恐怖を覚えており、そうならないようにしているからか。そう思うと、世界に否定されるくらいなら自分が嫌いでいいとなりそうな気もする。
ん。あれ。世界に嫌われていても、自分が自分のことが好きであれば幸せなのだから、自分が幸せであれば世界とか関係ないのではないか。
世界に嫌われる可能性を取ってでも、自分を好きになった方がいい。世界に嫌われる可能性も数%以下だろう。

ここまでの認識はできた。あとはここを越えられるかどうか。か。
リスクを取れるか否か。そもそもリスクがあるのか。

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