kimura noriaki

茨城県在住/自然科学分野の研究者/写真の話が多いです

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それを「写真」と呼んでもいいですか?

今日、1台のカメラを持って、 世界で一番大切なものを撮りにいきます。 --- 何のために写真を撮っていますか? 以前なら、写真は特別な瞬間を残すものでした。冠婚葬祭、こどもの成長、友達との旅行。それらの写真はプリントされ、アルバムに貼られ、あとで見返されました。もちろん、そういう写真は今でもたくさんあるでしょう。 でも、昨日のお昼の海鮮丼の写真、それをあとで見返しますか? 最近の写真の多くは、見返すために撮られていません。わたし自身のことを考えても、心を動かされたも

    • ふたりの夜、光る波

      5月6日 21時 娘との大竹海岸。だれもいないゴールデンウィーク。

      • フィルムにしか写らないもの

        フィルムだとデジタルよりも撮る枚数が減ります。 それだけでなく、撮るものも変わります。 なぜでしょう。フィルムでしか撮らないものがあるのです。 --- それは、持つカメラによって見えるものが変わるということです。 デジタルで撮るときは、目の前のものをためらうことなく「記録」していきます。感覚の表面が反応する感じ。それができるのは「何枚撮ってもタダ」だからです。 --- フィルムカメラを手にしている時は違います。 1枚撮るごとに70円。単なる記録のためにシャッターは

        • もしも「SLやまぐち」がなかったら

          もしも「SLやまぐち」がなかったら、 夢に地福駅が出てくることはなかったでしょう。 篠目の春をなつかしく思うこともなかったでしょう。 津和野は稲荷神社だけの町だと思っていたでしょう。 --- もしも「SLやまぐち」がなかったら、 カメラを手にしていなかったでしょう。 もしも「SLやまぐち」がなかったら、 「写真を撮りながら考える人」になっていなかったでしょう。 もしも「SLやまぐち」がなかったら、 いまより「真っ当な人」になっていたかもしれません。 きっと「S

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        それを「写真」と呼んでもいいですか?

          モノクロフィルムと「春」の問題

          春を甘く見てはいけません。

          モノクロフィルムと「春」の問題

          「桜なんて咲かなければいいのに」 なんて言わないよ絶対

          桜が咲くと気持ちが焦るのです。 見ておきたい桜がある、一緒に見たい人がいる、咲き始めから散り終わりまでちゃんと見届けたい。そんな強迫観念にも近い気持ち。でも、その全てを叶えることはできない。そのもどかしさ。 桜の季節はいつも「やり残した気持ち」を置いて過ぎてゆきます。 --- 今週は用事があって山口にきています。 昨日の朝の嵐で桜が一気に散りました。 桜は3割くらい散った頃がいちばんきれいです。 とくに嵐のあとはきれいです。 --- 桜は声を発します。 自分

          「桜なんて咲かなければいいのに」 なんて言わないよ絶対

          「春の雨の香り」を探して

          おいしいマグロは「春の雨の香り」がする。 それを知ってから、世界が少し広がりました。 --- 瀬戸内の出身なので、マグロを食べ慣れていません。 魚と聞いて思い浮かぶのはアジ、メバル、カレイ、カワハギ、タチウオなどで、こどものころにマグロを食べた記憶はありません。 だからかどうかわかりませんが、大人になってもマグロをおいしいと感じたことがほとんどありません。質の良い本マグロの赤身などはおいしいのでしょうけど、普段、口にできるレベルのマグロに感動することなんてめったにないの

          「春の雨の香り」を探して

          神の宿る2本の40mm:江之浦測候所余話

          24mm, 50mm, 135mm。 主にこの3つの焦点距離で写真を撮っていますが、たまに40mmを使うことがあります。それは「できるだけカメラを軽くしたい時」か「気合いを入れて最高のレンズを使う時」です。 軽さを求めて使うのはキヤノンのEF40/2.8です。 たったの130g。最高です。 一方、気合いで使うのはシグマの40/1.4 Art。 1295g。EF40/2.8の10倍。 「1.3kgの40mm?バカじゃないの?!」と思いながら、発売直後に買いました。 ---

          神の宿る2本の40mm:江之浦測候所余話

          江之浦測候所:「意味」を生み出す場所

          はじめて江之浦測候所に行きました。 杉本博司さんが設計した、全体が杉本さんの作品とも言える場所です。 以前の記事で、『杉本さんの展示に、表現とは「意味」を与え「場」をつくることだと気付かされた』みたいなことを書きましたが、江之浦測候所を歩いていると『「場」が事物に「意味」を与えている』ことも強く感じました。 様々な時代、様々な場所、様々な目的で生まれたものたちを散りばめて、「意味」が生まれるための「場」を作っている。ここは「意味」のための肥沃な大地と言ってもいいかもしれま

          江之浦測候所:「意味」を生み出す場所

          桜が咲きそうなので中平卓馬展をおすすめしておきます

          4月7日まで、東京国立近代美術館で開催中です。 きっと、中平卓馬のもっとも重要な作品は「個々の写真」ではありません。その生き方、「思想と視点の変遷が描き出す曲線」が作品なのです。 そのダイナミックな曲線を一望できる素晴らしい展示でした。

          桜が咲きそうなので中平卓馬展をおすすめしておきます

          花との秘め事

          ファインダーの中にチューリップを見つめる背徳感。 花を撮る時、背面モニターを見ながら撮ってはいけません。撮影は秘め事。ファインダーの中、ふたりだけの暗がりの中ですすめられるべきことです。

          花との秘め事

          旅する遺伝子とモノクロフィルム

          目的地がないから「旅」なのです。

          旅する遺伝子とモノクロフィルム

          デジタルには「存在」が写り、フィルムには「不在」が写る。

          2024年はフィルムで撮ることにしました。 それは「フィルムならではのトーンが好きだから」みたいな理由ではなく、この世界ともっと丁寧に向き合いたいからです。 フィルムは信じられないほど高価になりました。 (300円台だったTri-Xが2000円超…) もうバカバカしくて使ってられん!その通りです。 でも、悪いことばかりではないかもしれません。 バカみたいに高価なおかげで、一枚一枚を大事に撮るようになったからです。それはつまり「この世界との関係を大切にするようになった」と

          デジタルには「存在」が写り、フィルムには「不在」が写る。

          ニコンF3:いちばん遠くにあったカメラ

          ずっと「ダメカメラ」だと思い込んでいたニコン F3への贖罪の意味を込めてこの文章を書いています。 1980年代、それはnew F-1の時代 1980年代、世界の頂点にはキヤノン new F-1がありました。 それは(カメラをよく知らない鉄道ファンだったわたしにとって)広田尚敬さん、真島満秀さんという2大写真家が使っているカメラであり、撮影地で「いかにも気合の入っていそうな人たち」が使っているカメラ。疑う余地のない最高のカメラでした。new F-1は絶対的存在だったのです

          ニコンF3:いちばん遠くにあったカメラ

          りんごを食べたことはありますか?

          1月はじめの三連休、紋別の小学生と一緒に「今年はいつ流氷がやってくるか」を予想するワークショップをしました。その最後の質問の時間に、ひとりの女の子が手を上げてこうたずねました。 「りんごを食べたことはありますか?」 え? 「えーっと、あります」とわたしは答えました。他の参加者にきいてみても、みんな食べたことがあるという返事でした。「りんごはみんなが好きなんだね」。 そう。改めて考えるまでもなく、りんごはとてもメジャーな果物なのです。 --- ところが、それ以来わた

          りんごを食べたことはありますか?

          はじめての雪と共通テスト

          共通テストの1日目が終わる頃、今年はじめての雪が降りました。 「まだ大学に行く気分じゃないから今年は練習!」と気楽なことを言っている次女は、テストの出来よりも本降りになった雪に浮かれていました。志望校も「雪がたくさん降る街の大学」らしいです。 わたしも、大学は「どこに住みたいか」で選びました。大学のレベルや教育内容よりも、住む場所の方が人生にとって大切だと思ったからです(そして、それは一番間違いの少ない選び方だと思っています)。 もしいま好きなところに住めるなら山陰を選

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