井上健吾@京丹後

昭和と緩く闘う平成世代。 IT×マーケ×有機農業×カレー屋×まちづくり。 自分らしく…

井上健吾@京丹後

昭和と緩く闘う平成世代。 IT×マーケ×有機農業×カレー屋×まちづくり。 自分らしく仕事や社会のことを書いてます。 鹿嶋→京都→東京→大阪→京丹後。 アントラーズサポ、ウルトラマラソン、子育て、時々ドラマー。

マガジン

  • 都会で病んだけど、土に触れてたら元気になった。

    ごく一般的な大学生は卒業を期にITの会社に就職。 「ビジネスの世界でバリバリ活躍してやるぞー!」と、 意気込むも何だか上手くいかず、うつ病に。 休職はしたけど、 復帰してからもなんだか調子が戻らない。 自分は結局この程度の人間だったのか? そんな悶々とした日々は、 移住と農業がきっかけに少しずつ変化していきます。 気付けば100kmマラソン完走できるほど、 肉体も精神も元気になっていました。 なにが起こってそうなったのか? 「田舎の雰囲気や自然が元気にしてくれた」 そんな感情的な話ではなくて、 実際に何をして、どんな変化が生まれたのか。 実体験を振り返りながら、 サイエンスの力も借りて紐解いていきます。

最近の記事

  • 固定された記事

あの頃から元気になった自分

「ホント、あの頃に比べたら元気になったよね。」  今でもたまに妻からそんな言葉をかけられる。今は京都府の日本海側にある田舎、丹後半島で楽しく元気に暮らしている。あの頃というのは、都会でサラリーマンをしていた頃のことで、顔色も悪ければ、よく風邪も引いていたし、何より自分に自信が無かった。  大学を卒業後に思い描いてたビジネスシーンで活躍している自分の姿とは遠い存在で、しがないサラリーマン、ツマラナイ大人になりつつあった、あの頃。  このままじゃアカンと思って、何かを変えた

    • 【図解】病んでから移住するまでの状況と変化

       移住をきっかけにメンタル的な変化が生まれ始めました。社会人になって病んでから約4年間の変遷の図解です。過去フェーズごとの図解は以下に詳細記載がありますので、気になる方は図解と前後の記事を読んでいただけますと状況が分かりやすいかと思います。  過去のフェーズも振り返りながら図解するとこんな感じです。社会人1年目に「やったるぞ!」と意気込んで東京で営業職として頑張るも病む。環境の変化や忙しい日々をきっかけに、寝れない、耳鳴り、すぐ泣く、自己嫌悪と、適応障害になり休職。  楽

      • 冬があるから1年間頑張れる農家

         1月に移住をしてきて働き出した冬は、農家にとっては閑散期。オフィスワークから農家に転身して刺激を受けながら楽しく過ごしつつも、仕事自体は落ち着いています。やる気満々で農家生活をスタートして何だか拍子抜けな感じでしたが、季節の移ろいと共に働く農家からすればそういう時期。ずっと忙しく働き続けていたサラリーマン時代とは異なります。  とはいえ、閑散期でもやることはあります。丹後は日本海側に位置しているので、冬になると必ず雪が降って積雪もある地域。僕が移住した年は「10年振りの大

        • 移住してからの住環境(ストレス減る)

           働き方もガラッと変わり、日々充実感を持ちながらの生活がスタートしました。それはあくまで仕事の話で、普段の生活は移住してからどんな変化があったのか。一言で表すと、ストレスがめっちゃ減りました。周辺環境に影響受けがちな僕からすると、都会での生活はストレスだらけだったなと。具体的には、居住スペース、通勤時間、人口密度、の3つが変わったことでストレスが大きく減りました。  移住をして居住スペースは一気に広くなりました。大阪のワンルームマンションから2LDKの戸建て平屋・庭&ガレー

        • 固定された記事

        あの頃から元気になった自分

        マガジン

        • 都会で病んだけど、土に触れてたら元気になった。
          76本

        記事

          農家として働きはじめる

           移住してから荷解きも落ち着き、農家としての生活が始まります。有機野菜を作っている農家さんで研修生としての受入れです。ITから農業という振れ幅に面白みを感じつつ、身体を動かすこと、食べること、料理をすることが好きな僕にとって期待の膨らむお仕事のスタート。  出勤すると自分のデスクもPCもありません。荷物を置くロッカーがあるくらいで、身体が資本のお仕事。仕事の流れとしては、午前中に収獲~出荷作業を行い、午後が畑作業となります。朝イチ作業場に行くと、その日の収獲予定量がホワイト

          農家として働きはじめる

          移住する瞬間の気持ち

           移住を決意してから半年以上の準備期間がありましたが、あっという間に時間が過ぎて、いよいよ引っ越しの日がやってきました。タイミングとしては、1月アタマ、今思うと大雪リスクがある中、よくぞこのタイミングで引っ越しをしたなと。。  夫婦共に会社は辞めていたので、年始の帰省から戻ってくると共に引っ越し作業です。既に物は減らしていたり、引っ越し業者との段取りも済んでいたので、あとは期日までに荷物を梱包するのみ。帰省前に梱包できるものは終わらせていたので順調に作業が進み、あとはお世話

          移住する瞬間の気持ち

          オフィスワークから肉体労働になって起きた変化

           新卒で入った会社を辞めてから、派遣で物流倉庫や工場で働いたり、酒蔵で日本酒作りをしたりと、オフィスでPC触る仕事から身体を動かす仕事へと変化しました。元々身体を動かすことは好きだったので、働き方の変化自体を楽しみながら仕事をする日々。多くの時間を費やす仕事の内容がガラッと変わり、自分の中でも色々な変化がありました。  まずは肉体疲労によって、夜よく眠れるようになりました。PC作業やお客さん先へ営業に行く運動量から、現場で重たいものを運んだり、立ちっぱなしでの作業、時には走

          オフィスワークから肉体労働になって起きた変化

          日本酒づくりの現場で初めて働いた経験

           派遣労働期間も終わり、いよいよ京都伏見区にある日本酒蔵での仕事がスタートします。大阪市内に住んでいたので通勤には1時間半かかり、7時から勤務スタートする日も多く、ガッツリ早起き生活のスタートです。  勤務の始まった10月はまだ日本酒づくりの始まる前段階で、道具や蔵の掃除を中心に行いました。派遣労働から引き続きオフィスワークではなく現場作業が主。酒蔵の中はお米を洗う作業場や蒸し器の設置されている機械が多い作業場、木造で麹をつくる蔵、瓶詰めをする作業場、など、作業内容に応じて

          日本酒づくりの現場で初めて働いた経験

          派遣労働で学んだ3つのこと

           初日に働いた物流倉庫での業務は衝撃的で、今まで自分が知っていた社会はほんの一部だったのだ、と気付きました。そんな気付きや学びが、2週間ほどの限られた時間の中に実はたくさんありました。当初はスキマ時間を埋めるように稼ぐ手段として選んだ派遣労働でしたが、振り返ってみると良い経験だったなと。学びとしては大きく3つ。  1つ目は、様々な社会が存在するということ。新卒で入ったIT業界はイチ業界に過ぎませんが、色々な業界の広報やマーケティング担当者と仕事をさせてもらい、何となくホワイ

          派遣労働で学んだ3つのこと

          初めて物流倉庫に派遣された時の衝撃

           新卒で入った会社を退職し、移住するまで約3ヶ月の時間があります。やりたい仕事をやろうと決めて、大好きだった日本酒の酒蔵での勤務は10月~12月末までの3ヶ月間と決まりました。退職が9月上旬だったので、酒蔵勤務スタートまで少し時間があり、とりあえず派遣会社に登録をしてその日ある仕事をしに行くことにしました。  移住してから農業をするということもあり、出来る限り身体を動かす系の仕事が多い派遣会社に登録をして、色々な現場で経験値を積めたらな、という感じで空いてる予定をどんどん登

          初めて物流倉庫に派遣された時の衝撃

          最終出社日の感じ。

           移住するまで残り数ヶ月。会社を辞めた後の期間の過ごし方も見え始め、いよいよ感が出てきたところで、最終出社日を迎えました。新卒から入って約3年半働かせてもらった会社を退職です。  引き継ぎややらなければいけない業務はだいたい終わらせていたものの、当日になって思い出した業務があったり、物理的な片付け、退職手続きなど、バタバタと過ごしました。ちょうど社長もいたタイミングだったので、一言だけ挨拶もさせてもらい、何だか節目という感じです。  僕自身にとってはこの会社で過ごす最後の

          最終出社日の感じ。

          会社を辞めてから移住するまでの間の仕事探し

           会社に退職の意向を伝えてから何度か面談を重ね、退職日は9月末に決まりました。有給消化も考えると業務をするのは8月まで、それまでに引き継ぎやら業務整理をしないと、という感じ。移住のタイミングは1月と決めていたので、4ヶ月ほどの時間があります。さて、何をしようか。  妻と二人で移住までにある程度貯金をしておくことを決めていたので、働かずにダラダラ過ごすつもりは無く、派遣なり割の良さそうなアルバイトでもしようかなと考えていました。大阪市内に住んでいたので、探せば仕事はいくらでも

          会社を辞めてから移住するまでの間の仕事探し

          退職を伝えた日のこと。

           会社を辞めようと決意をした翌日にはマネージャーと面談の場を設けてもらいました。おそらく疲労が溜まっていたのが僕の表情から伝わっていて、気遣っていただきながら朝イチに二人で話をしました。この時の緊張は復職初日と同様レベルで、ドキドキし過ぎて口から心臓出るんちゃうかと感じました。  マネージャーも僕が退職を切り出す可能性を多少は感じていたと思います。最初の会話で、業務的な話というより、自分が今後会社で何をしていきたいかや今どんな気持ちで仕事をしているのかを聞かせて欲しい、と投

          退職を伝えた日のこと。

          退職を決意した日のこと。

           移住先を京丹後に決めて月イチ通いをしながら移住準備を進めている最中も、平日は普通にサラリーマンをしています。移住のタイミングは明確に決めていたので、いつ会社に退職を伝えるか、という時期にきていました。年度も切り替わるタイミングで、営業チームの再編があったりと変化の時期です。  僕自身の仕事は特に変わらず大阪と福岡の営業担当であり、定期的に福岡へ行くスタイル。3年目となり、チームに入ってきた1年目の後輩をサポートする係になり、自分の過去を思い出しながら出来る限り相談しやすい

          退職を決意した日のこと。

          移住前に月イチで通いながら情報を集める

           移住することを決めた後も、丹後には月1回くらい通い続けていました。住む場所と仕事はタイミングよく見つけることができましたが、まだまだ知らないことだらけで不安も多い。そんな気持ちを解消したい気持ちがありつつも、結果的に出会った人たちに遊びに誘われたり、面白そうなイベントを案内された事もあったりで、なし崩し的に月1回通う結果となりました。  月1回くらい通っていたので、帰るタイミングで移住相談員の方からも「次はいつ来るの?」と聞かれるので「◯◯頃です」と答えると「その週末はち

          移住前に月イチで通いながら情報を集める

          スポーツが僕を成長させてくれた話(福知山ユナイテッドの理事になりました)

           2024年4月より、一般社団法人福知山ユナイテッドの理事に就任させていただくことになりました。京丹後に暮らしている自分がなんで福知山に?と感じる方もいると思いますが、就任のきっかけや想いについて今回は書いていきます。公式のリリース情報はこちらです↓(Xフォローしてくれますと喜びます!) 社会人1社目の先輩、片野さん  きっかけはこの方、片野さんの存在。僕が社会人生活をスタートさせたシナジーマーケティングという会社の先輩であった片野さんの存在が無ければ、今回の縁をいただく

          スポーツが僕を成長させてくれた話(福知山ユナイテッドの理事になりました)