心郎太

皆様、はじめまして心郎太と申します。 僕には胎内記憶や赤ちゃんの頃の記憶があります。…

心郎太

皆様、はじめまして心郎太と申します。 僕には胎内記憶や赤ちゃんの頃の記憶があります。 それらを物語風の文章にしたり、みんなの質問に答えたり、考察したりしたいなと思ってます。 メンバーシップにて僕のおじいちゃんの従軍日誌を公開しています。 ぜひ見てみてください。

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僕の祖父は昭和12年9月から昭和15年4月までの支那事変従軍日誌を残してくれました。 行軍約1000日間の内、約600日の日記があります。 この日記を公開します。 末永く残せたらと思い、noteを始めてみました。 当時にタイムスリップして読んでいただけるとうれしいです。 また、考察や情報交換など掲示板にてお待ちしています。 最前線の様子や行軍、警備、次期作戦の準備、野戦病院のことなどが兵隊目線でしっかりと書き残されています。 なお、実名で公開していますので、メンバーシップにて有料公開とさせていただいております。 活動頻度は内容により不定期になりますが、最低でも週に一度は更新したいと思います。

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マガジン

  • 胎内記憶と赤ちゃんの記憶

    僕の書いた、<僕の胎内記憶>と<赤ちゃんの頃の記憶>をまとめています。 お暇なときにでも読んでください。

  • 陣中に生きるマガジン②<昭和12年9月10日~>

    いよいよ本編スタートです。 これから長い旅路になりますので、メンバーシップになって応援してください!

  • 陣中に生きるマガジン①<タイトル・もくろく・宿願・まえがき>

    陣中に生きるマガジン第一弾です。現在無料公開中!

  • 川に流されて生き延びた話<体験談>

    僕が少年時代に体験した実話です。 川に流されてしまった僕は如何にして生き延びたのか? 全8話+番外編!最後まで読んでください!

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僕の胎内記憶 ― <世界は壁なんてなかった>

#創作大賞2024 #エッセイ部門 まどろみの中、夢かうつつか、僕は意識と無意識のはざまで世界を感じていた。 自分という存在がうっすらと認識できはじめたころ、ほとんどの時間をぼんやりと過ごしていた。 ほんの少しの時間だけ確かに考えることができた。 <自分は何者で、なぜどうして、いつから、どうやってここにいるのだろうか?> 考えられるのはわずかな時間だ。 だからいつも答えは出ない。 体が時おりわずかに動いている気がしていた。 いや、動いていた。 意識のあるタイミン

    • 赤ちゃんの頃の記憶―5

      ども、心郎太と申します。 いつも読んでいただきありがとうございます。 前回、哺乳瓶で白湯を飲まされた思い出を書きました。 今回もその続きの話となります。 本編の前に、僕は言いたいことがあります。 白湯なんていらない! 喉の渇きは母乳で十分だ。 白湯を飲ませるにしても一口だけでよい。 お風呂上りは喉が渇いていると思っているかも知れないが、お風呂の水をすでに飲んでいるのだ。 それでも元気に白湯を飲んでいるのは体が勝手に動くからなのだ。 失礼しました。 当時の僕の愚痴です。

      • 赤ちゃんの頃の記憶―4

        ども、心郎太と申します。 前回は『始まりの記憶』のお話でした。 10歳の時にお風呂で後頭部をつけたお湯の温度や感触と<ぞわぞわーっ>っとした感覚が、0歳の僕が沐浴した時と同じだったので思い出しなのだと思われます。 今回から、記憶が蘇ってくる様子を描いてみました。 この感覚がうまく伝わってくれることを願います。 胎内記憶を読んでおくと理解がより深まるはずなので、まだの方はぜひこちらも読んでみてください。 そして、思い出した これが10歳の時に初めて思い出した記憶だ。

        • 陣中に生きる—27

          楊家楼陣地での十日間 落着くと、昨日までの楊家楼生活が、遠い昔のことのように、いわば何とも懐しく、思い出されてくるのだった。 最初陣地侵入をした時は敵弾が雨霰のようで、櫓網湾東端にさしかかった時など、敵十五榴の猛撃で進めなくなった。 陣地に着いて卸下(馬にのせた大砲の部品を卸して組立てること)を始めると、敵弾がいよいよはげしく危険きわまりない。 身辺をかすめる飛弾の音を聞きながら、付近の地面につきささる弾丸を見ながら、背伸びして駄載物を鞍上にさし上げなければならない。

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        僕の胎内記憶 ― <世界は壁なんてなかった>

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          7本
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          22本
        • 陣中に生きるマガジン①<タイトル・もくろく・宿願・まえがき>
          4本
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          9本
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          陣中に生きる—27

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          楊家楼陣地での十日間 落着くと、昨日までの楊家楼生活が、遠い昔のことのように、いわば何とも懐しく、思い出されてくるのだった。 最初陣地侵入をした時は敵弾が雨霰のようで、櫓網湾東端にさしかかった時など、敵十五榴の猛撃で進めなくなった。 陣地に着いて卸下(馬にのせた大砲の部品を卸して組立てること)を始めると、敵弾がいよいよはげしく危険きわまりない。 身辺をかすめる飛弾の音を聞きながら、付近の地面につきささる弾丸を見ながら、背伸びして駄載物を鞍上にさし上げなければならない。

          陣中に生きる—27

          陣中に生きる—26

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          十月二十一日 晴 第二回目こ家橋陣地 ― 砲百門での一斉射撃 ―

          陣中に生きる—26

          陣中に生きる—24

          「スタンダードプラン」に参加すると最後まで読めます

          十月十九日 晴 ― 没我の境地 ― 四時頃、敵の十五榴がほえ出し、付近一帯が地震になった。 しかし兵隊たちには、このゴー音が暁つげる鶏鳴ほどの反応もなく、みんなグウグウスヤスヤである。 やがて、砲声がやむと、またよどんだ静けさにかえる。 なんとなく起きてみると、はるか右側方と左側方には、大激戦が展開されていた。 まるで断崖上から、無数の砂れきが落下するようである。 壮烈というか、凄絶というか。 時折、太鼓のような音も交って聞える。 月は西にかたむき、このあたりはいよい

          陣中に生きる—24

          陣中に生きる—23

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          十月十八日 晴 ― 私物命令 ― 真夜中に、自分を呼ぶものがある。 起きてみるとD伍長(第O分隊長)だ。 彼は、◎隊長の命令で来たのだという。 「今晩はこの方面の敵の逆襲がもの凄く、若松六十五聯隊がささえきれずに退却をして、敵は四、五百米のところに接近しているそうだ。いま前線の兵隊が一人クリークを伝って逃げてきて、僕の分隊にいる。第〇隊長(A・2尉)にも話したのだが、零距離(敵が目の前に突っ込んで来てたときに撃つようにしかけた砲弾)で一発こめておいてくれ。兵隊もみんな起

          陣中に生きる—23

          陣中に生きる—22

          「スタンダードプラン」に参加すると最後まで読めます

          十月十七日 晴 ― 神嘗祭・敵の集中攻撃 ― 敵十五榴のさく裂音で目をさます。 昨夜はこれまでになく、寒い晩であった。 足の先がつめたかったのも、この秋になって初めてである。 空はじつによく晴れ、一片の雲もない。 大陸晴れの秋空とでもいうか、無限の広さに感じられた。 やがて、金色さん然たる日の出だ。 今日は神嘗祭である。 ゆたかな稔りの秋をむかえて、かぐわしい新穀もできたことであろう。 津々浦々までも、平和な気分のみなぎる故国の、なんとなつかしいことよ! 百舌が鳴いた

          陣中に生きる—22

          陣中に生きる―21 

          「スタンダードプラン」に参加すると最後まで読めます

          十月十六日 晴時々曇 ― 友軍機大活躍 ― 夜がながくて、寝あきて苦しむ。 相棒の二人は、まるで眠りの病患者のように、眠りつづけている。 耳をすましていると、やはりかすかに銃砲声が聞える。 なかなか夜が明けない。 入口からのぞくと曇り空だ。 <射撃準備>の声が、風のまにまに聞えてきた。 六時になったがまだ暗い。 しかし、他の陣地では射撃を始めた。 敵弾雨飛で、うっかり頭も上げられない。 <三家村諸元>をとって、第三分隊だけ、榴散弾六発、榴弾七発をうち込む。 ちょうど

          陣中に生きる―21 

        記事

          赤ちゃんの頃の記憶―3

          皆様こんにちは。心郎太と申します。 今回は、前回の続きで一番最初に思い出した記憶を紹介します。 僕はこの記憶を『始まりの記憶』と呼んでいるのです。 今ある記憶の中では最古級の父との思い出でもあります。 もし、まだ読んでいない方がいたら胎内記憶の話も読んでみてください。 始まりの記憶 ゆっくりと下がっている感覚だ。 ゆっくりと仰向けの状態で空から深い谷に沈んでいくような—―――-。 後頭部がお湯に触れた。 全身に<ぞわぞわっー>と、寒気のような不思議な感覚が全身に走った

          赤ちゃんの頃の記憶―3

          赤ちゃんの頃の記憶―2

          皆様、こんにちは。 今日も読んでいただきありがとうございます。 この話は前回の続きです。 今回はどんなことを思い出したかについて書いてみます。 また、こちらも本編を読む前に読んでおくとさらに理解しやすいと思いますので、まだの方はぜひ読んでみてください。 そして、思い出した 自分は誰かに抱えられている。 仰向けの状態で・・・・・。 首元とおしりのあたりを支えられている。 そのままゆっくりと下に降りていく感覚だ。 ゆっくりとおりた先に待っていたのは・・・・・。 後

          赤ちゃんの頃の記憶―2

          陣中に生きる—26

          十月二十一日 晴 第二回目こ家橋陣地 ― 砲百門での一斉射撃 ―

          陣中に生きる—26

          赤ちゃんの頃の記憶―1

          以前に書いた「僕の胎内記憶-<世界は壁なんてなかった>」は記憶を時系列に並べてみた集大成みたいな話なのです。 実は、僕の記憶はずっと覚えていたのではなく、思い出したのです。 記憶を思い出す話を、こっぱずかしいので物語風に今回も書いていきます。 赤ちゃんの頃の記憶を思い出したきっかけ ずっと忘れていた。 あんなに忘れたくないと、忘れまいとしていたのに。 でも、思い出せた—――――。 ------------------------- 僕が小学四年生、10歳のときの話

          赤ちゃんの頃の記憶―1

          陣中に生きる—25

          十月二十日 晴 ― 野戦用便 ― 昨夜は、歌ってはしゃいだおかげで、近頃になくぐっすりと眠れた。 歩哨の話によると、夜通し敵の砲撃がつづいて、付近にも相当落ちたとのことであった。 それはまったく知らなかったが、一、二度眠りの浅瀬にかかったとき、水のあふれ落ちるような音が、耳に入ったような気もした。 どうやら左側方での、激戦らしく思われた。 壕の中はひどい砂ぼこりで、大口あけて歌ったせいか、口の中がジャリジャリである。 起きて口をすすぎたかったが、たとえ湯ざましでも、病気

          陣中に生きる—25

          赤ちゃんの頃の記憶―まえがき

          僕の胎内記憶<世界は壁なんてなかった>の続きみたいな話 ども、心郎太と申します。 前回、胎内記憶から出産直後までの記憶を時系列にそって文章化してみました。 これから、その記憶をさらに詳しく、または記憶の解説、考察、その他の記憶の話などを前後の脈絡なく、思いつくままに書いていこうと思います。 もし、質問などありましたら、コメント欄にて随時募集しています。 「こんな時のこと覚えていますか?」 「○○について覚えていますか?」 「私もこんな記憶があるんです!聞いてください!

          赤ちゃんの頃の記憶―まえがき

          陣中に生きる—24

          十月十九日 晴 ― 没我の境地 ― 四時頃、敵の十五榴がほえ出し、付近一帯が地震になった。 しかし兵隊たちには、このゴー音が暁つげる鶏鳴ほどの反応もなく、みんなグウグウスヤスヤである。 やがて、砲声がやむと、またよどんだ静けさにかえる。 なんとなく起きてみると、はるか右側方と左側方には、大激戦が展開されていた。 まるで断崖上から、無数の砂れきが落下するようである。 壮烈というか、凄絶というか。 時折、太鼓のような音も交って聞える。 月は西にかたむき、このあたりはいよい

          陣中に生きる—24

          陣中に生きる—23

          十月十八日 晴 ― 私物命令 ― 真夜中に、自分を呼ぶものがある。 起きてみるとD伍長(第O分隊長)だ。 彼は、◎隊長の命令で来たのだという。 「今晩はこの方面の敵の逆襲がもの凄く、若松六十五聯隊がささえきれずに退却をして、敵は四、五百米のところに接近しているそうだ。いま前線の兵隊が一人クリークを伝って逃げてきて、僕の分隊にいる。第〇隊長(A・2尉)にも話したのだが、零距離(敵が目の前に突っ込んで来てたときに撃つようにしかけた砲弾)で一発こめておいてくれ。兵隊もみんな起

          陣中に生きる—23

          陣中に生きる—22

          十月十七日 晴 ― 神嘗祭・敵の集中攻撃 ― 敵十五榴のさく裂音で目をさます。 昨夜はこれまでになく、寒い晩であった。 足の先がつめたかったのも、この秋になって初めてである。 空はじつによく晴れ、一片の雲もない。 大陸晴れの秋空とでもいうか、無限の広さに感じられた。 やがて、金色さん然たる日の出だ。 今日は神嘗祭である。 ゆたかな稔りの秋をむかえて、かぐわしい新穀もできたことであろう。 津々浦々までも、平和な気分のみなぎる故国の、なんとなつかしいことよ! 百舌が鳴いた

          陣中に生きる—22

          陣中に生きる―21 

          十月十六日 晴時々曇 ― 友軍機大活躍 ― 夜がながくて、寝あきて苦しむ。 相棒の二人は、まるで眠りの病患者のように、眠りつづけている。 耳をすましていると、やはりかすかに銃砲声が聞える。 なかなか夜が明けない。 入口からのぞくと曇り空だ。 <射撃準備>の声が、風のまにまに聞えてきた。 六時になったがまだ暗い。 しかし、他の陣地では射撃を始めた。 敵弾雨飛で、うっかり頭も上げられない。 <三家村諸元>をとって、第三分隊だけ、榴散弾六発、榴弾七発をうち込む。 ちょうど

          陣中に生きる―21 

          陣中に生きる—20

          十月十四日 晴 ― 猛砲撃戦 ― 「第三分隊 ― 」と呼ぶ声に目をさます。 まだ夜明け前だ。 昨夜の空はうそのように晴れわたって、不思議なほどのみ力があった。 「射撃準備のため五時五十分起床」 という命令がでた。 五時二十分なので、また横になる。 射撃開始の時は、標定点が見えなかった。 朝食前に、十七発撃つ。 夜が明けるにつれて、敵弾はへっていった。 それでも、まだなかなかに激しい。

          陣中に生きる—20

          陣中に生きる—19

          十月十三日 晴後曇 ― 蛇と一夜 ― 体のあちこちが痛くて、真夜中に目がさめた。 寝るときは、眠くて気がつかなかったのだが、下に凸凹があって、それが次第にこたえてきたのである。 それに、脚を折り曲げていたので、腰のあたりがうずき出したのである。

          陣中に生きる—19