見出し画像

記憶は呼び起こされて再び意味を持つ

息子さんが自分の作ったお弁当を家に忘れていってしまった、というエピソードを耳にして、私はいくつかの記憶が呼び起こされました。

1  妻の作ってくれたお弁当を忘れたこと
恥ずかしながら、妻にお弁当を作ってもらいながら、間違えてお昼に仕出し弁当を頼んでしまい、お昼に仕出し弁当を食べ、家に帰る前に公園で妻の弁当を食べ、何食わぬ顔で夕飯も食べたことを思い出しました。
また、妻にお弁当を作ってもらいながら、間違えて別の職員が注文した仕出し弁当を食べ始めてしまい(人のご飯を食べてしまうという、ああ、何てひどい人‥)、私のお弁当をその職員に代わりに食べてもらったこともありました。言わなければいいのに、それを正直に妻に話してしまい(お弁当の感想を聞かれて、食べてないからゴニョゴニョしてバレた)、「何で他人に食べさせるの!恥ずかしいでしょ!」と妻から怒られて、お弁当を作ってもらえなくなったことがありました。忘れっぽくてごめんなさい。

2  長女にお弁当を作ったがダメ出しされてがっくり
長女が小学1年の頃、妻が入院していたことがあり、夏休み中は給食がなかったので、私が毎日お弁当を作っていました。確かにおかずは冷凍食品を解凍したものが中心だったのですが、長女に「冷凍食品ばっかり」と事実を指摘されてがっくりしたことを思い出しました。一応、厚焼き玉子とかはパパが作っていたのだよ。

3  自分もかつて母親が作ってくれたお弁当にダメ出しをした
中学生の頃、母親が自分の作ったお弁当のフィードバックを私に求めたことがありました。その日のお弁当にはハンバーグとかも入っていて、母親がいつもより頑張って作ってくれていた感じでした。良い点も伝えたのですが、まだまだ子どもで生意気で共感性も低かった私は、ダメな点もしっかり伝えてしまったのを覚えています。当時は母親に良い点だけ伝えるのが恥ずかしかったのかもしれません。しかし、それ以来、母は二度と私にお弁当のフィードバックを求めることはありませんでした。

母親に申し訳なかったな、忙しいなかお弁当を作ってくれた母親への感謝が薄かったなと反省しています。

誰かのエピソードや自分の新たな体験から、過去の自分の記憶が呼び起こされることがあります。幸いなことに、それは、自分の過去をより豊かに意味深くしてくれるようなありがたいことが多いです。

今回も妻や母親への感謝の気持ちを改めて噛み締める貴重な機会をいただいたような嬉しい気持ちです。当時の母親の気持ちをより具体的に想像できるようになった嬉しさもあるでしょう。きっと長女にダメ出しされた自分と同じように、母もモチベーションは上がらなかっただろうなと。また、時を経て母親や妻の愛情が私に届くようなあたたかい感覚もあります。

私の娘やこの息子さんも、将来自分で誰かのためにお弁当を作るようになったとき、父親が作ったお弁当にダメ出ししたことや、お母さんがせっかく作ってくれたお弁当を家に忘れてしまったことを思い出してくれるといいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?