「天国に一番近い島」の大暴動と植民地支配を続けようとするフランス/君塚直隆「イギリス国王とは、なにか 名誉革命」を読んだ:財政軍事国家についてと多彩なエピソード群

5月17日(金)晴れ

昨日は午前中はなんだかんだと会計処理をやってもらったり近くはじまる近所のガス管工事の人といろいろ話をしたり。なんだかいろいろある。

昨日は君塚直隆「イギリス国王とは、なにか 名誉革命」を読んでいて、今朝読了。新しく知った、というか確認したこととしては財政=軍事国家についてだろうか。公債を引き受ける中央銀行という制度をオランダから持ち込んだのがウィリアム3世だ、というのは名誉革命の重要性をさらに高める話だなと思った。ジョン・ロックがメアリ2世と同じ船で帰国したという話も面白いし、名誉革命だけに絞って一冊の本にしてもよかったのではないかと思うが、著者はイギリスの「国王像」というのはこういうもの、というのを描きたかったのだろうなと思う。

細かいことで言えばハノーヴァー朝最初の王であるジョージ1世は何度もハノーヴァーに里帰りし、死んだのもハノーヴァー領で、百年戦争中のヘンリー5世以来の「外国で死んだ王」になった話など、自分が読みながらいろいろ調べたことも加えるとエピソード満載になったので、その辺りはとても面白かった。私はもともと世界史を高校で教えていたので、今授業をしたらこれも言いたい、あれも言いたいみたいなことがたくさんあるなと読みながら思った。高校生や世界史の先生が読んでもとても参考になる本だと思う。

以下時間がないのでツイートしたものを羅列してみます。


・イギリス・スチュアート朝最後の王であるアン女王はデンマーク王子と結婚して17回妊娠したが流産・死産・早世で一人も育たず、又従姉妹であるハノーヴァー選帝侯妃ゾフィーが王位継承者となったが、アンより2か月早く死去したためその長男選帝侯ゲオルクがイギリス王ジョージ1世として即位したと。

・スチュアート朝初代ジェームズ1世が議会と衝突した理由はいろいろあるが娘のエリザベスの婿プファルツ選帝侯が三十年戦争で領土や位を奪われオランダに亡命したりしてたのでそれを助けるために戦費を必要としたという話は初めて認識した。

・北米のオランダ植民地ニューアムステルダムは第二次英蘭戦争でヨーク公ジェームズに奪われ、彼にちなんでニューヨークに改称されたと。彼はのちに即位し名誉革命で追われるジェームズ2世だったと。

・アン女王の時代にイングランドとスコットランドの合邦が進められたのはイングランドにおいては王位継承法によってカトリックのジェームズ2世とその子孫の継承を排除したもののスコットランドではジャコバイトの勢力が強かったため、スコットランドが違う判断を下さないようにするためだったと。

・ジョージ2世は治世中12回ハノーヴァーに滞在し、1743年にはオーストリア継承戦争中自らイギリス・ハノーヴァー・オーストリア連合軍を率いてフランス軍と戦った(デッティンゲンの戦い)。自ら軍を率いて戦った最後のイギリス(グレートブリテン)王になった。

・第二次英仏百年戦争は1688プファルツ継承戦争=ウィリアム王戦争、1701スペイン継承戦争=アン女王戦争、1744オーストリア継承戦争=ジョージ王戦争、1756七年戦争=フレンチ・インディアン戦争などがあるが、私が高校生の頃はファルツ継承戦争と習ったが今ではプファルツ継承戦争・(アウグスブルク)同盟戦争・9年戦争などと呼ばれているのだな。

・ジェームズ1世の娘エリザベスはプファルツ選帝侯妃となるが、三十年戦争で領地も称号も失うのだがウェストファリア条約で息子が回復する。しかし孫娘のリーゼロッテがルイ14世の弟オルレアン公フィリップの妃となったため、リーゼロッテの兄が死ぬとルイ14世は彼女の継承権を主張してプファルツ継承戦争を起こす、という形でつながっていく。

・ウィリアム3世が政治・軍事的には勢力均衡政策を進め、経済・財政的にはイングランド銀行を創設して軍事費を賄う公債を発行し議会が保証する仕組みを作ったために植民地帝国を築く軍事費が調達できたと。財政=軍事国家。

・「長い18世紀1688-1815」の間の日本の政権は江戸幕府だが、将軍で言えばほぼ5代綱吉~11代家斉の前半に当たる。この間に国力はどれくらい伸長したか、あるいは衰えたか。富国強兵策の萌芽はほぼ田沼時代に限られ、他は緊縮型の改革が何度か行われたのみ。主要な政治家は綱吉・新井白石・吉宗・田沼意次・松平定信。まあ戦争相続くヨーロッパは全く別世界ではある。


最後はエリザベス2世の英連邦内の統合の「生きた象徴」としての行動や、外交における存在感、ダイアナ事件で国民の支持を失いかけた時に積極的に王室を広報する戦略に転換し、崩御の際には国民の信頼を回復したことなどが書かれていたのだけど、残念だったのはサッチャー時代の新自由主義政策やマルビナス(フォークランド)戦争において女王がどのようなスタンスだったのかなど、よりリアルな局面についてのコメントがなかったことかなと思う。でも全体にはとても面白かった。


いろいろここ数日は日光や松本の山間の家での緊縛強盗事件の犯人がベトナム人だったらしいとかあったのだが、今朝ニュースを見ていてそんなことが、と思ったのがフランス領ニューカレドニアの暴動だった。

最近ちらっとTwitterで「ニューカレドニア」という文字を見かけてはいたが、フランス系住民の投票権を拡大するニューカレドニア憲法のパリの議会における採決に反発した暴動が起こっているのだという。住民の意思が反映されない憲法改正って普通にすごいことをやるなフランスも、と思う。

ニュースでは当局がTikTokを遮断したとか言ってるけど、そんなこと簡単にできるのかなと思う。千葉県だけTwitterを遮断するとかは可能なんだろうか。

フランス領ニューカレドニアは「天国に一番近い島」だったか、日本では観光地としてしか認識されてないけど、独立運動が盛んな地域でもある。フランスの植民地支配は昔から下手で、インドシナもアルジェリアも独立の際に揉めまくったけど、まだ似たようなことやってるのだなと思う。イギリスがさっさと引き上げて混乱を後に残すのに比べ、フランスは最後まで自分が関わろうとして憎悪の対象になってしまい、独立後も関係が悪くなるという感じ。

へえっと思ったのは、ニューカレドニアは人口27万でそのうち4分の1が白人(フランス人だろう)で、日本移民の子孫が1万人いるということ。これはあまり知られていないだろうし、研究はあるのだろうかと思う。近年は中国の進出が著しいとのことだが、この暴動の背景に中国の動きはあるのかということも気になる。

日本は、というか岸田外交は中国の太平洋進出に対抗してフランスをこの地域の安全保障に引き込もうとしているのだけど、肝心のフランスがこういう形でもたもたしているのではなかなか大変だなと思う。ニューカレドニアが独立すべきなのかどうかはともかく、中国側に追いやるような政策はフランスにはしてほしくないし、日本外交も気をつけてもらいたいと思う。

アフリカ植民地からフランスが引き上げたときも行政官たちが書類一枚残さないで去ったとか、フランスは結構めちゃくちゃなことをやることがあるので、なかなか不安な部分があるのも確かなのだけどと思う。

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