車で横浜へ/「帰ってきた橋本治展」:小説の神聖さとか「よくわからないものが好き」とか/「モディ化するインド」:ポピュリズムから権威主義への長くない道のり

5月20日(月)雨

昨日はブログを書いた後、10時ころに車で出かけた。セブンでコーヒーと水を買って地元のインターで乗り、境川PAまで走って豚丼弁当を買う。いつもなら石川PAで休憩するのだが昨日は横浜に行ったので手前の藤野PAでトイレに。八王子ジャンクションで圏央道に入る。こちら側は初めて走ったがずっとトンネルが続いていて印象がかなり違った。ナビを見ると圏央道で東名まで行き、東名を降りた後国道16号に入るとナビに出たのでコンビニでもあるかと思ったらそういう道ではなく、有料ではないだけでほとんど自動車専用道で、要は東名と横浜市内を結ぶ道ということなのだなと思う。厚木PAでトイレに行っておけばよかったとあとで思った。

神奈川のこの辺の道路体系は全然理解してないので、ナビがなければたどりつかなかったとは思うが、東名まで南下する必要があったのかどうかとかいろいろ疑問はなくはない。新山下の出口も少し勘違いして左に折れてしまったので本牧の方まで行ってしまい、やや遠回りになったが、目的地の港の見える丘公園駐車場にはほぼ予定通りでついた。駐車場が二つあって手前は満車だったが隣は空があり、止めることができたのはラッキーだったと思う。

トイレに行ってそのまま県立神奈川近代文学館まで歩く。ちょうど薔薇のシーズンで公演の中は薔薇と人に溢れていた。よく行っていたカフェも混雑していて、昨日はパスしたのだ。


https://www.kanabun.or.jp/exhibition/19579/

近代文学館で「帰ってきた橋本治展」を見る。これは正直言ってかなり良かった。橋本治という人は、わりと自分の中でも位置づけが難しい人なのだけど、以前はかなりよく読んでいたのだけどここ10年くらいは読むものにあまり感心しなくなっていたので、自分の中ではやや過去の人感があった。

しかし子どもの頃の写真、縁側に座って妹たちと笑っている写真を見ると、自分が子どもの頃に妹と弟と撮った白黒写真を思い出して、年齢は私より14歳上なのだけど、昭和30年ころから45年くらいまでの東京郊外の子どもたちの風景というのは、どこもあまり変わらなかったのかもしれないと感じて一気に引き込まれた。彼は杉並区で私は府中市だが、東京西部の郊外というのは似たようなものだったのだろうなと思う。

彼の経歴と私のそれの共通項としては東大文IIIから文学部へ進学、というあたり。歌舞伎が好きでよく見ていたというのも共通するが私は小劇場演劇から歌舞伎へ行きついたのに対し、彼は最初から歌舞伎研究会(そんなものがあったのだな)で歌舞伎を演じているのだからちょっと程度が違う。駒場と橋本治と言えばもちろん駒場祭のポスター、「とめてくれるなおっかさん せなかのいちょうが泣いている」なわけだけど、私の中では橋本のイメージのかなりの部分を占めてはいたのだが、これは彼の多彩な一面がぽろっとこぼれ出たに過ぎないんだなと展覧会を見てよくわかった感じである。

橋本が歌舞伎に詳しいということは彼が歌舞伎の本を出す以前から知っていた、というのは私が大学時代に演劇をやっていた時にスタッフの人で六本木のギャラリーに出入りしていた人がいてその縁で何度かそこには行ったのだが、そこの月報のようなものに彼が江戸歌舞伎について書いていたのを読んだことがあったからだ。江戸時代の歌舞伎は朝から始まって全部見る人はあまりいないとか、へえっと思うことが書いてあってこれが「せなかのいちょう」や「桃尻娘」の橋本治なんだ、と思ったことがあったからだ。

彼の才能はやはり絵が描けるという部分がかなり大きいなと思う。文学館の展示なのにやたらとビジュアルが優れていて、こんな人はなかなかいないだろうなと思う。彼は手編みのセーターでも有名だけど、なぜセーターなのかという問いに「イラストは着れないから」と答えていたのは凄いなこの人はと思った。いまならイラストをプリントしてTシャツにしてしまうだろうけど、それを毛糸で編み込んでセーターをつくるという発想は普通出てこないだろうし、イラスト入りTシャツというものは一つの文化に成長しているけれどもセーターはさすがに大変すぎて文化として定着させるのは無理だろうなと思った。そういうことをやってしまう人なんだなと思う。

あとは大量の原稿が展示されていて、作品ごとに原稿用紙が数十センチの高さに積まれていて、ああこれが作家というものかと思う。大判の原稿用紙に大きな特徴のある、それでいて読みやすい字で書かれていて、これは編集者も原稿を受け取るのが楽しかっただろうなと思った。

ワープロも初期から使っていたようだけど、ワープロで書くと文章書き通攻撃的になるから小説を書くのには向かない、と手書きに戻したのだそうだ。これはよくわかる。ワープロだと考えたことがそのまま文字になるから、書きながら自省する部分が減ってしまうからだと思う。ツイッターなどですぐバトルが展開するのもそういう部分はあるのだろうなと思う。口に出す前に深呼吸してみる、みたいなことをスマホでもやれば結構違うのかもしれないなと思った。

今図録を見ながら思い出して書いているのだけど、彼が死去したのは平成31年1月、つまり令和改元の直前で、やはり戦後ベビーブームの時期に生まれて令和になる年のその直前に亡くなった私の叔父のことを思い出した。いろいろなことを連想するけれども、令和というのは彼らがいなくなった時代なんだなと改めて思う。

今図録で見つけられないでいるのだが、小説というものは神聖なものだと思う、ということを言っていて、ああこの人は「神」を持っていた人なんだなと思った。まあ小説の神というものかはわからないが、私もその周りで回っていて奥には入っていけていない感じはするから、そういうことが多分私にとっても必要な、大事なことなんだろうなと思った。

「歌舞伎がなぜ好きか」と聞かれるのが一番困る、みたいなことを言っていて、これは「よくわからないものが好きだから」と答えていたのだそうだ。確かに近代というものは何にせよ無理やり「わからせられる」ところがあるわけで、よくわからないものをよくわからないまま描き出す、それが彼の小説でありあるいは「原っぱ」なのかもしれないなと思った。彼はおそらく鋭利な言葉で「相手が分かるように書く」ことはいくらでも可能だったのだと思うのだが、そのようにしないところに彼の作り出すものの意味があったのだろうと思う。同じように「8歳の頃にはラファエロと同じように描けた」というピカソだとそれが前衛的な方法的工夫の方へ行ったわけだけれども、橋本の場合はイラストとか小説とか評論とか敢えて古典的な方法を自己表現に選んだところに意味があるのだろうと思った。まあつまり天才なんだろうと思う。

自分が書くものは「15歳の本は読まないけど頭のいい少年」に向けてだ、というのもとてもよくわかり、展示を見ているうちにこの本持ってるな、あ、この本も持ってるなと思ったのはほとんどが評論なのだけど、そういう子たちが読んでおもしろい本というものを書くのは本当にうまいとは思った。ただ自分の中から少年的な部分が抜けてくると、そういうものに感心した自分というものもいなくなっているわけで、だから後になると読まなくなったのだろうとは思った。

彼は野田秀樹さんとかにも似ているところがあり、東京の頭のいい才能にあふれた少年というものがそのまま年を取ったという感じがある。令和になって時代がより困難になってきたときに橋本さんが生きていたらどんなだったかなあとは思うが、演劇の人たちのようなコロナ時の炎上をせずに済んだのは、橋本さんは幸運だったのかもしれないという気もする。

まあとにかくいろいろ考えさせられて、とても面白かった。6月2日(日)までやっているのでお勧めです。


見終ってから車に戻り、境川PAで買った豚丼弁当を持って公園に戻って昼食。もう2時を過ぎたくらい。港の見える丘公園は広いので人がいないスペースがどこかに必ずあるからベンチを探してそこで食べた。食べ終わってから坂を下り、元町を少し歩く。ここもかなり人出があって、ほとんどの人はもうマスクをしてない。タリーズでコーヒーだけ飲み、ユニオンというスーパーで夕食の買い物をして、汐汲坂を上がって山手本通りに出て駐車場まで歩いたが、かなり遠かった。まあこの道も久しぶりだったのでよかったのだが。

駐車代は1800円、3時間いた計算になるが、これだけ払うならもう少し不便でも安いところがあったのではないかという気がしたけれどもまあいいやと。坂を下りて元町の駅前あたりを何度か信号待ちをしつつ高速に乗る。横浜ベイブリッジを初めて渡った。ナビの指示に従いつつ、このまま湾岸で帰るかなと思ったらどうも走っているうちに東京都心に向かっていることに気づき、結局銀座と箱崎を通っていつもの木場インターで降りた。湾岸をずっと行って新木場で降りるコースになるかと思ったが、ナビをちゃんと確認しておけばよかったのだが、第一候補をそのまま採用したのでそうなったのだが、まあどちらにしても初めて走る道だったからそれはそれでよかったかなとは思う。

自宅に戻ってしばらく休憩したが、「モディ化するインド」を買っておきたいと思い、6時半過ぎに出かけた。セブンでモバイルスイカにチャージし、銀行で記帳して大手町まで。丸善で探したが見つからず、店員さんに調べてもらってようやく入手できたが、平積みのものが無くなっていたようで、かなり話題になっているのかもしれない。そのあと二階で「龍と苺」の単行本を探したが見つからず。サンデーコミックスはコナンとフリーレンは大体あったが他のものは迫害されている印象があった。丸善が充実していないのか小学館が部数を絞りすぎなのか、まあいろいろ思うところはある。

帰りは地元の駅で線路付け替え後初めて降りてみたのだが、東西にはなれた改札が一つになっていて、ものすごく不便になった印象がある。ただ、東西にかなり遠い改札の両方から駅員さんが駅を管理するのは大変だったんだろうと思っていたから駅員さんには便利になったのではないかと思う。ただ、乗客のことも考えてもらいたいと思った。

夕食はユニオンで買った大阪王将の中華弁当というのを食べ、ぼーっとしていたら眠くなってしまい、歯も磨かないうちに寝落ちしてしまった。

朝はまた3時過ぎに起きだし、「モディ化するインド」を読んだり関連のことをネットで調べていたりした。モディのインド人民党政権は当初からポピュリズムと言われていたが、実際のところかなり問題があるらしいという内容で、ロシアやトルコ、ベネズエラやブラジルなどの権威主義といわれる政権とかなり近い状態にあるということがいろいろな事例で語られていて、なるほどと思う。「インドは世界最大の民主主義政権」というのが最近喧伝されていたから何となくそんな気になっていたが、実は権威主義化しつつあったからこそそのような側面を強調していたのだなということがよくわかった。

昨日ツイッターで「東京駅百周年スイカ」が使わないと無効になる、という話を読んでいたので朝出かけたときにセブンで残高照会したら1500円入っていた。サラダを買いものしたので一応使ったからしばらく無効にはならないと思うが、スイカというものは10年使わないと無効になるらしいので、他のカードも極力使うようにしないといけないなとは思った。モバイルスイカ以外にびゅうカードとルミネカードがあるから全部で4枚持っていることになる。

帰りにローソンでジャンプとスピリッツとヤンマガを買い、戻ってきた。雨の朝である。

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