「龍と苺」の超展開と「進撃の巨人」

5月11日(土)晴れ

昨日は午前中に母を病院に連れて行き、ご飯を食べてから作業場で少し何かしようかと出かけようとしたら庭の池の水が困ったことになっていて、対策の道具を買いにホムセンまで車を走らせ、道具を買って帰ってきたらなんとなく解決しそうな感じになっていて、まあ道具はとりあえずは無駄になったがこういうことが起こったのは初めてだったのでまあ万一の時のために持っておくことは意味があるなと思った。多少の余裕を持って行動していたからなんとか対処できたが、やはりそういう余裕は持っておくべきだなと改めて思った。

昨日は「龍と苺」を15巻まで読み、その先を読む手段がなくて困っていることを書いたのだが、後になってサンデーうぇぶりの「アプリ」であればポイントとコインを使いながら読むことができることがわかり、単行本未収録の148話以降を読むことができた。180話までが竜王戦の顛末、181話からが急に舞台が変わって100年後の世界になるという超展開。180話まででもメチャクチャ名作だったのだが、181話以降は異次元の話になっていて、それでも面白いのがすごいという感じ。サンデー本誌で読んだのが188ー190話なのだが、本編がどのように展開して未来の話が始まったのかと思ったら竜王戦が終わりその後の緊迫した展開の中で舞台が変わっていて、100年後に中学生のままの藍田苺が現れ、再び竜王戦をアマから勝ち上がっていくという完全に予想外の展開になっているのだということをようやく認識した。

今まで途中から完全に設定や舞台が変わったマンガというのは時々読んだことがあるが、序盤の展開がうまくいかなくて途中から変えてみたら当たった、というようなパターンや、やり尽くしたけど連載を続けなければならないという理由からだと思われる冗長な展開になってしまうパターン、話がやたら壮大になっていって収拾がつかなくなるパターンなどそれぞれだったのだけど、そういうパターンの中で一番うまくいったのは「進撃の巨人」だろうと思う。

「進撃の巨人」は「壁の中の人類」の話がずっと続いていて、途中で壁の外にも人類がいることが分かったり、何よりエレンの父のグリシャが壁の外から来た人間だったことが判明したりなど、それなりに用意があってからの壁外人類編、マーレ編のスタートだったけれども、それでも当初はかなりの違和感があったし、その違和感が本当に最後まで解決しない部分も残っていたような気がする。

しかし、そうであってもこれはおそらく当初からの構想であって、予想以上の壁内人類編が当たったために当初の展開をしづらくなったからこその微妙な違和感だったのではないかという気がする。ラストのまとめ方も作者の考えはよく分かったのだが「ポリコレ的に微妙」みたいな批判を受けたりしてちょっと気の毒だったのだけど、人類全体が関わるような壮大な話のまとめ方というのはポリコレ批評が出てきてからより難しくなったのではないかという気はする。

しかしこの「龍と苺」に関してはおそらくは読者のかなりの数が当初は「思いがけない作者の暴走」と取ったのではないだろうか。ある意味王道の将棋マンガを中学生女子を主人公にしてやる、という定義づけに最後の方はなってきていて、師弟愛とか後輩を持つことによって人のことを考えられる成長とか、人の死を知ることによって大人になるとか、本当に王道のビルドゥングスロマンにさえなっていたのが、いきなりクライマックス直後にいわばSFにしたわけだから、読者は相当戸惑ったと思う。

100年後の苺は自分は中学3年生、藍田苺だ、というけれども85年の生涯全てのことは記憶していてその後30年弱のことを知らないだけ、ということになっているのでこの苺が一体どういう存在なのかはまだ読者にもわからない。そういうミステリーを引っ張りつつ、「本編の登場人物のひ孫たち」を中学生でありながらの三段リーグや新四段として活躍させることによって繋がりを生んでいる。今後どう展開していくのは読めないが、苦し紛れの暴走でないことは確かであって、ただこれが本編と同一線上のテーマに戻ってくるのかはよくわからない。

2024年から100年後までのタイトル獲得者の一覧表が掲載されているという斬新なアイデアによって本編の登場人物のその後の活躍もある程度はわかるとか、滝沢と苺がタイトルの取り合いをする年があるとか、苺の活躍にある程度の波があってタイトルが少ない時期はおそらくは滝沢と結婚して出産子育てをしてたんじゃないかとか、まあ物語外のエピソードを想像できるようにしているのも面白いなと思った。過去の経緯をエクセルで表現するという斬新な手法だが、まあ逆に言えば現代の読者たちはこういうものは見慣れているということだなとも思う。

まあいずれにしても読者は作者さんが作った世界を味わうしかないのでこの先を楽しみにするしかないのだが、まあすごい作品があったものだと改めて思ったのだった。

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