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蛙の王様の言葉

好きな格言

井戸の外の世界が知りたくて。
私は井戸の底から這い上がろうとしました。

井戸の外の世界が知りたくて。
何度、滑り落ちて全身を打ち付けても上り続けました。

でも気付きました。

上れば上るほどに落ちる時の高さと痛みは増すのです。

外の世界への興味と全身の痛みが同じくらいになった時、
私は初めて蛙の王さまの言葉の意味がわかりました。

 言い得て妙です
世の中の本質を捉えてる

別に
痛みが怖けりゃ
痛みが嫌なら
最初っから井戸の底でもいいんですよ

何の問題もない

そこから下に堕ちるという恐怖と
さよならできる
登るためのエネルギーも要さない
底には底の良さがある

でも人間は不思議
人間社会こそ不思議の国

なぜか皆
井戸の外にこそ
幸せがあると信じる

井戸の上の方だけを崇拝する

良い部分だけを見聞きして
単純にその部位だけを
井戸の底と比較してしまう

多くの者は
不平不満、文句、愚痴、誹謗中傷
などで井戸の底から
自分達は一切登る事もせずに
ただ上に向かって石を投げて終わる

時に自分から登ろうとする者もいる
が、
登った者はすぐに気づく

登ったら登っただけ
当然
井戸の底よりも高くなる

そう
そこではじめて
堕ちる恐怖と出合う

一気に怪我のリスクは上がる
さらに
常に堕ちる恐怖と向き合う事となる

井戸の底にいれば
一切分からない事

それを乗り越える。
なんて美学みたいな視点があるが

乗り越えて
そこより更に高く上がれば上がる程に
堕ちた時には怪我では済まない

今度は骨折する程の高さに
下手すれば複雑骨折になり
もう歩けない程の再起不能の危険もある

しかも
井戸の底からは
ただただ嫉妬、妬みによる
石をなげられる

登ってしまえば取り返しはつかない

それでも
高く高く
井戸の外に向かおうとする者も
1%程度いる

もうその高さになってくると
堕ちた時は
それは死を意味する

確実に助からない高さ

もう堕ちる事は決して許されない

井戸の外に出るか
死ぬか
であろう

そして。
井戸の外に出れた者は
何を見るのやろう?
何を聞くのやろう?

本当に
井戸の外には
幸福があったんでしょうか?

世界は
そんなに単純なモノなんでしょうか?

それは分かりません

昇った者にしか分からない

そんなに金が欲しいなら
地位や名誉が欲しいなら
賞賛が欲しいなら
承認が欲しいなら
そしてそれが幸せやと
本気で思うのなら

やることは1つ。

登りだせばよい

ただ、忘れないでください

少しでも登れば
堕ちた時の怪我が発生します
堕ちる恐怖とも向き合う必要がでます
堕ちるという新たな恥とも出合います

その覚悟をもち
登りはじめるのも良いでしょう

僕はずっと
井戸の底から
それを眺めます

僕には他人の洗脳が効きませんし
登る必要を感じないからです
外の世界ってのにも興味がありません

きっと誰もが
登っていく途中で

それが他人の洗脳であった事
やっと気づくのでしょう

僕はそう思います

蛙の王様の言葉ってのは、
一体
どのようなモノやったのでしょうね




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