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バズり記事の裏側は? ダメ出し続けたデスクの真意

ネットニュースの世界は目まぐるしい。私たちが丹精込めて取材し、執筆した記事は、ヒットすれば瞬間風速的に読まれるものの、数日もすれば読まれなくなるのがほとんどです。「そういう世界だ、仕方ない」と考えるものの、少し寂しい思いを抱いてしまうのも、確かです。

そこで今回は、共同通信大阪社会部が送り出した過去のバズり記事を振り返って紹介したいと思います。

記事のジャンルや方向性はさまざまですが、記者が書いた最初の原稿は必ず「デスク」と呼ばれるエディター(編集者)が客観的な視点で筆を入れたり再構成したりして完成品に仕上げていきます。その過程では表現や書きぶりをめぐる記者との格闘のような熱い議論も交わされます。

読まれる記事にするための工夫は何か。バズり記事の裏側をご紹介します。
取材/武田惇志・野澤拓矢


■ 読者ファーストを目指す―マスク拒否おじさん

共同通信大阪社会部でウェブ記事のスタイルに精通し、最初のヒットメーカーとなって定期的にバズり記事を生み出し続けてきたのが、現在は本社社会部で勤務する助川尭史記者です。編集を担当した真下周デスクとともに二人三脚で、次々とヒットを打ち続けました。

そんな助川記者のバズり記事といえば、世間を騒がせた「マスク拒否おじさん」の事件を巡る一連の原稿でしょう。

コロナ禍が始まった当初、助川記者は関西国際空港の担当で、2020年9月に「マスク拒否おじさん」の事件に遭遇します。どうにかして本人と接触すると、匿名を条件にリモートでのインタビューに成功しました。「マスク拒否おじさん」の動機がさほど知られてない当時に、その心境を赤裸々に明かした記事は、大きな注目を集めました。

最短時間で作業して、事件直後にこれだけの長文記事を配信させることができたのが、大きくバズった理由の一つだと助川記者は考えています。また、肝となったのがディテールです。

「同時期に新聞用に配信した記事は『マスク拒否男性が取材に応じた』として、地の文を交えながら要点のみ記すスタイルでしたが、ウェブ記事では新聞用記事では採用されなかった記者の質問部分を含め、やりとりのほとんどを描き出しました。構成面では、前半は事実関係や事件概要の問答ですが、後半は『他人に迷惑を掛けずに解決する選択肢はなかったのですか』などと、読者が感じるモヤモヤを質問でぶつけました

助川記者は裁判担当となってからも、マスク拒否事件の公判傍聴を続けて粘り強く取材を積み重ねました。また、法廷でのやりとりだけでなく、再びインタビューを申し込み、公判では氷解しなかった疑問点について「あなたの弁護人もマスクを着けていました」などと質問した上で、2022年12月に続報を配信しました。この続報も大きな反響を呼びます。

助川記者は、次のような問題意識があったとも話します。

「ある傍聴マニアが『新聞の刑事裁判記事は、初公判と判決のときに要点が書かれているだけで、一番面白いところが出ていない。だから法廷に足を運んでいるんです』と話していました。これは大事件以外では、本人尋問や証人尋問などの公判のハイライトとでも呼べる部分について、ほとんど新聞掲載されていないという指摘です。

私も裁判担当として、同様の問題意識を持っていました。「ニュースを結論だけ知りたいというニーズと同じくらい、プロセスを知りたいというニーズが読者にはあるはず」

そうした助川記者の問題意識に応えたのが真下デスクでした。助川記者は続けます。

「初公判から結審までの細かなディテールにこだわろうという真下デスクからの提案は、読者ファーストであるとも言え、大きな反響を呼ぶ一番の原因となったと思います

ディテールにこだわる2人の姿勢は以下のような事件の記事にも表れています。

■ ダメ出しから始める―滋賀・教育虐待事件/行旅死亡人の物語

真下デスクがエディターとして関わったバズり記事は、反響を呼んで書籍化に結び付いたものもあります。しかし、初稿に対しては記者に厳しいダメ出しも。これらの記事はどのようにして世に送り出されたのでしょうか。

共同通信大阪社会部が生み出した最初のメガヒットが、2021年3月に配信された滋賀・教育虐待事件を追ったウェブ記事です。

当時、裁判担当だった齋藤彩記者が、公判傍聴で事件の背景を知り、取材を開始。控訴審判決前の2021年1月、被告人が接見取材に応じたのを機に「自分のしたことを後悔している」という被告人の言葉をメインに据えた新聞用記事を配信しました。

ただ、新聞記事には目立った反響がなく、齋藤記者は真下デスクにウェブ記事にできないかと相談を持ちかけました。

しかし、草稿を読んだ真下デスクは再取材を求めました。

「最初、齋藤さんが拘置所に行って2回ぐらい被告人と会ってきたという原稿だったんですよ。そのときは『何回も行ってじっくり会ってみないか?』と提案しましたね」

齋藤記者は拘置所での接見や手紙のやり取りなどによって深い取材を重ねました。そうして被告人の思いや人生に迫り、“教育虐待”の実態をあぶり出すことに成功します。 配信した記事は47リポーターズ始まって以来と言われるほどの爆発的な反響を巻き起こしました。書籍『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)の出版にもつながり、さらに話題を呼びました。

さて、それから約1年後の2022年2月に再び、爆発的なバズり記事が大阪社会部から生まれました。行政が身元不明として発表する死者「行旅死亡人」を追跡した2本の記事です。

当時遊軍担当だった、このnote記事の筆者でもある武田と、同僚の伊藤亜衣記者が取材・執筆を担当。この記事もまた、真下デスクがエディターとして企画段階から参画しました。

取材の発端は、武田が官報にあった「行旅死亡人」の記載を読み、多額の現金を残して亡くなったという内容に興味を持って自治体に問い合わせたことでした。それから行旅死亡人の財産を管理する担当の弁護士に取材して詳しい情報を得た上で、同僚の伊藤記者を誘って身元の解明に乗り出します。

この件もまた、相談を持ちかけられた真下デスクは、「ダメ出し」から始めました。

「社会性が乏しいのでは?」
「本当に特異性がある話なのか?」
「身元を確定したと言い切れるのか?」
「まだまだわからないことが多すぎる」

少なからずショックを受けましたが、それでも「1人の死者の人生を丁寧に追うことは、本当に大切な仕事だと思いますよ。期待してます」との言葉に奮起。約半年の追加取材を経て、書き下ろした完成原稿を真下デスクに手渡しました。

原稿を読み、「これは面白い」と太鼓判を押してくれたことで、記事配信までこぎ着けました。追加取材の間、各地の現場で話しかけた人数は、のべ100人程度には達するのではないかと思います。
この件も後に書籍化し、『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)として出版されました。

その後に尋ねると、真下デスクは「自分にはあえて『ダメ出し』をしている側面もある」と明かしてくれました。

「熱意のふるいにかけてるんです。一度、ダメ出されて諦めるような記者が、本当に面白いものを書けるはずがない。齋藤さんとか君らみたいにさ、真に情熱があれば何度でも食らいついてくるはずでしょう」

■ 当事者の肉声と訴求力―大津・女児虐待死事件


最後に紹介したいのが、2023年8月に配信された、上・中・下の大作記事です。大阪社会部の山本大樹記者と、大津支局員だった吉田有美香、小林磨由子、三村舞各記者らの取材班による記事でした。

大津市の小学校に通う6歳の女児が、17歳の兄に暴行され命を落とした事件で、2021年の発生当初から大きく報道されました。

山本記者は言います。
「私は取材に入った段階で、最終的にウェブ記事として書くしかないと思いました。じゃないと収まらないんです。事件の構造も問題の射程も、家族構成も非常に複雑だったので、これを新聞で100行の記事の連載などとして詰め込んでも、なかなか描き切れないだろうと

別の事件で勾留されていた母親の接見取材に成功した取材班は、行政の問題点などについても盛り込んで原稿を上・下の2編にまとめました。そして虐待問題や教育・福祉のテーマで長く取材してきた真下デスクに編集を依頼します。

しかし、そこで真下デスクから受けたのは次のような指摘でした。
「もっと母親の肉声にフォーカスすべきだ」

山本記者が振り返ります。
「真下さんからは『彼女の言ってることって、すごく身勝手な部分がある。だけど、それこそが本人の肉声で、事件の真相に迫るもの。だから、行政の問題点と抱き合わせるのではなく、母親の接見録だけで1本の記事をしっかり書くべきだ』と指摘されました」

そこで、事件の詳細な事実関係と経過/接見録/行政の問題点をそれぞれ上・中・下の3回連載にまとめ直し、構成を大幅に変更して配信。大きな反響を呼びました。

当事者の肉声や彼らの見ていた光景こそ、読者が知りたいことであり、そこにアクセスしうることがメディアの存在意義である、という真下さんの編集観に説得されたんです」

原稿にまとめる上で最大の焦点となったのが、亡くなった女児の実名報道でした。

山本記者は「彼女の実名を出したいという気持ちは常にあった」と明かします。ただ、母親への意思確認がうまくいかず、漢字の字解がわからずに逡巡していたといいます。

山本記者が真下デスクの意見を求めると、返ってきたのは「どんなに時間がかかってもそこは諦めずにこだわり抜くべきだ。その訴求力、インパクトをもって読者に伝えないと意味がないんじゃないか」という答えでした。その後、取材班は時間をかけて母親に確認を取りました。さらに関係者から写真を借りて、顔にぼかしを入れざるを得なかったとしても「名前と写真は絶対に出そう」という方針を決めました。

そうして配信された連載の末尾には、異例とも言える取材班の“思い”が記されています。改めて、ここに再掲します。

私たちは取材を通じて、6歳の少女が生きた証を示したいと考えた。明らかにできたことはごくわずかだが、せめて実愛ちゃんのことを知る人には、その記憶をとどめていてほしい。そう願って、彼女の名前を記すことにした。

山本記者は当時の思いをこう打ち明けます。

「取材において、どこまで真に迫れたかというと、亡くなった彼女の声はもちろん聞こえないし、少年院に入ってる加害者の肉声は直接取材できていない。それでも、これだけ長尺の記事をなぜ書いたのかというところ、その一点をやっぱり読者に知ってもらいたい

「それは、6歳のあの子がいたんだよということです。人生の大半を施設入所でずっと暮らしていたから、特定の施設の中でしか存在を知られない子で。ようやく小学校という社会に出たと思ったら、わずか1学期の間で亡くなってしまった。だから、ほとんど社会に認知されていない存在だと思っていて」

「でもそういう命っていうものが現にあった。そして、あんな亡くなり方、生の在り方を、この社会において許容していいのか。そういう思いを全て表現するために、最後の一文を付け加えたんです。それが私の思いであり、真下さんのアドバイスもあって、生まれた一文でした

■ バズる理由

編集を担ったデスクは毎回、バズらせようと工夫しているのでしょうか?
「バズらせる秘訣やコツというものをつかんでいるんですか?」
 尋ねてみると、真下デスクは以下のように説明します。

「私は、面白かったり、考えさせる内容だったりしたら、バズるんちゃうかな?みたいに思ってるだけなんですよ。しいて言うと、バズる記事ってライターが取材に執着してるケースが多いですよね。なんか、こだわりがあるとか。ここまでしつこくやるか?という」

事実、教育虐待事件や行旅死亡人のケースなど、エディター側がライターに「執着」させる方向付けをもたらすことさえしていると言えます。

真下デスクによると、そうした執着の結果として、初めて到達できるのが「ユニークさ」です

社会でいまだ表明されてないものが、この記事で表明されている。あるいは、当たり前だと思って放置されていることが拾われており、社会に問題として提示できているとか。それを私は『ユニークな記事』と呼んでいます。
たとえば障害者強制不妊手術の問題とか、数十年前はみんなスルーしていたわけです。それが当事者が訴訟を起こしたことで、社会問題として注目されていったわけですよね。でも、そうやって注目を浴びる以前から、当事者は泣いていたわけです。そういうところに気づいて取材し、社会に対して表明する力。それが、社会部の記者としては極めて大事なんじゃないかと思うんです」

■ 全人的評価の場としてのウェブ記事

実はさかのぼれば、私(武田)や「マスク拒否おじさん」取材の助川記者、大津虐待死事件取材班の山本記者などがウェブ記事を書き始めたきっかけは、真下デスクによる“布教”でした。

というのも数年前まで、真下デスクは「ウェブ記事を書かないか」と部内で声をかけて回っていたのです。泊まり勤務の際にふらっと現れ「1回やってみいひんか」と声をかけられた時のことを、私は今でも覚えています。

こうした誘いがなければ、今回ご紹介したような記事が生まれることはありませんでした。彼はなぜ、そんなことをしていたのでしょう。改めて、その理由を聞いてみました。

自分の仲間が欲しかったんです。1人だけだと、みじめですから。あとは、従来の記者の働き方ができなくなっている人たちがいるんですね。子育てで泊まり勤務ができないとか、急な事件・事故の発生に対応できないとか。そういう人たちが、自分のタイミングで取材を進め、活躍できるツールとしてデジタルを推進していたというのもありました。(シングルファザーである)自分自身もそうだったんだけどね

一方で、「勘違いされるかもしれないが、自分はデジタルが命だと思っているわけではない」とも言います。

長文のウェブ記事における全体の構成や展開、合理性やそれに伴う説得性を見たら、ライターの力量がどんなものかわかるんですよ。バックグランドとか知識量とかも含めて、全人的なものとして評価される場なんです。だから重要なんです

■ 複雑な世界×執着

ただ、そうした視点にたどり着くには、紆余曲折を経る必要があったと言います。

真下デスクは記者時代の2003年に大阪社会部に転勤し、殺人事件などを担当する大阪府警捜査1課を受け持つようになりました。ただあくまで捜査1課が扱う事件に関心があっただけで、捜査官に対して関心があったというわけではないとして「1課担当ではなく、1課事件担当と呼ぶようにしていた」と言います。

人の生き死にに関わるような犯罪行為がなぜ起きるのか?

そこにこそ自分が抱く関心の中心があるのだと取材を通じて気づきつつあったころ、2005年に大阪姉妹殺害事件に遭遇します

事件担当として現場取材や遺族取材、捜査関係者への取材などに明け暮れた後、遊軍に異動しても山地悠紀夫元死刑囚の背後にある発達障害の問題を追いつづけました。

そして大阪社会部の池谷孝司デスク(現編集委員)が声をかけてくれたのを機に、計50回の連載を書きあげます。連載は書籍化し、『死刑でいいです』(新潮文庫)として出版されました。ただ、連載も書籍も評価はされたものの、「それでもまだ、事件の詳細を描くには不十分だった」と感じざるを得なかったといいます。

なぜ、不全感が消えないのか? その原因だと感じていたのは、ディテールを省略して要点を優先する慣例的な新聞業界の語法、文体や、行数の制限でした。その後も、さまざまな取材の成果を長期連載などに詰め込んで書き続けましたが、不全感は消えないままでした。

そうこうしているうちに2014~15年ごろ、共同通信のウェブサイト上で、2人ぐらいの社内の年配の方々がほそぼそと、長文記事をコラム的に書いているようなコーナーを見つけたことが、転機になったといいます。

「そこにお願いして、書き始めたんですよ。現在の『47リポーターズ』の前身に当たるわけですが、当時はそんな名前でさえもなくて、ほんまに隙間的なコーナーでした」

当時は、今のようにバズり記事が生まれることもありませんでした。「それでもウェブに載ってるだけマシで、誰か拾って見てくれへんかな、みたいに思っていました。世界が急に広がった感じがしたんです」

それから約10年が経った現在、47リポーターズは社会的に大きな反響を呼ぶような記事が数多く生まれる場に成長しました。大阪社会部だけでなく、さまざまな部署から日々、注目される記事が生み出され続けています。

真下デスクは、これまでのエディターとしての仕事を次のように振り返ります。

「複雑な世界を単純化したら、そこからどうしても、こぼれ落ちてしまうものがある。複雑な世界を複雑なまま見せることで、この世界を生きるヒントを読者と共有し、考えることができるんじゃないか。これまでエディターとして、私はそういうスタンスで取り組んできました。その姿勢がライターの“執着”と組み合わさることで、反響を生む仕事ができたのではないかと思っています」

真下デスクは3月末で共同通信を離れ、これまで取材者として関わってきた福祉・教育業界に飛び込みました。齋藤彩記者は2021年から、伊藤亜衣記者と山本大樹記者も23年から、それぞれの新たな道を歩んでいます。

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