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〔ショートショート〕長袖で会う日の話 1

 子供の頃、祖母の家に行くのが楽しみで仕方がなかった。それは小学生時代の夏休みの恒例だった。自宅から二時間半くらいの田舎町。車から見えるのは、退屈な田園風景ばかりが続く道のりだった。「もうすぐ着くぞ」と、眠ってしまった私を起こす父の声が車の運転席から聞こえる。寝ぼけ眼で見えるのは、いつも決まって同じ場所だった。道が大きく曲がる。そのカーブの先には大きな橋が架かっていた。
 「十円橋」。父は、橋の名前をそう教えてくれた。一年に一度しか通らない橋の名前を子供ながらに覚えていたのは、「十円」という馴染みのある響きと、祖母の家につくのが楽しみだったからだと思っている。
 祖母の家は昔からの農家で、トラクターや耕運機を洗ったりするために大きな駐車場があり遊び場には最適だった。庭に植えられた大木には、セミが止まり夏を謳歌していた。
 そして、その奥に見える隣の家には魔女が住んでいた。

 本人は“見習い”なんだと言っていたけど、子供のころの私には見習いと本物の区別は全くつかなかった。その魔女を私は、「お姉さん」と呼んでいた。私よりも十歳は年上に見えたし、夏なのに黒い長袖を着ていて木登りもできたから、私にとってそれだけで十分に本物の魔女だと信じてしまっていた。そればかりか、大人を疑うということを私はまだ知らなかった。
 お姉さんに誘われて、家にも入れてもらった。当然、魔女の家だ。本がたくさんあって、そのどれもが分厚く綺麗な色の表紙で飾られていた。それから、窓のそばにはほうきもあった。ねじったような木の柄に藁を束ねた箒だった。たぶん、夜はそこの窓から空に飛んでいくんだろうと勝手に想像して、絵本と同じだと変に納得していた。当時の私には、それを本人に聞いてみるという好奇心よりも、自分もどこかに連れ去られてしまったらどうしようという恐怖心に近い緊張感の方が上回っていたので、軽々しく質問することはなかった。でも、もしかすると、年上のお姉さんが見下ろしてくる笑顔に幼い男子心が反応していただけなのかもしれない。それは自分だけが分かるはずの感情のはずなのに、その緊張感が何を示していたのかは分からなかった。これが彼女が魔女だというなによりの証明だともいえるだろう。
 お姉さんは、おしとやかにしゃべる人だった。そして、ドタバタと動きまわらずに静かに座って、私を見ていた。私がたいして運動神経が無いとしても、一端の少年として大人たちを振り切れる元気はちゃんと持っていたはずだが、それとはまったく違うもので彼女の体は満たされているようだった。
 ――異質な熱のような。
 その元気とは全く違う熱は、皮膚の内側ギリギリのところまで満ちているのだけれど、時折それが留まっていられずに溢れて見えることもあった。そんなときは、細くほつれたシャツの糸のような熱がフラフラと揺れているように踊った。そして、私とおしゃべりをして彼女が笑顔を作るとその糸状の熱が、私の頬や首筋を触り、こそばゆい時があった。そんなとき私は、彼女の瞳の中に入っている幸せに満たされ、ひとつの球体となってその場に浮かんでいるだけだった。
 そんな魔女とわたしが会うのは、いつも決まって夏休み。虫たちが息絶える前に珍しいものを一目見ようと地面に顔を出す季節。
 彼女の名前は何だったか、覚えていない。


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