黒木の終わり

黒木の終わり 2017年振り返り

2017年

とても幸せな年でした。

幸せは相対的なものとして捉えてしまいますが、2015年、2016年の二年間と比べて、本当に幸せとはこういうことなのか、と再認識できる1年でした。生まれてから20年以上、幸せを享受してきて、甘え続けてきた。2015、16年も他の人からしたら、「なんだ、そんなもんで不幸とか言ってんのか」と言われるほどの出来事しか起こってないのかもしれないけど、生まれてからずっと温室で育ってきた不幸耐性が皆無の私からしたら、世界が終わったくらいの不幸を感じた。

2017年 1月

再び教壇に戻った私。運だけで生きてきた男は、こういう人生の節目に、最大の運を発揮する。出会いに恵まれた、本当に良い学校だった。こんな情けない男の人生を話すだけで、感動してくれる本当に良い人たちに巡り合えた。3月の卒業式には、たった二か月程度の付き合いだったとは思えないほどに感動した。その卒業式に、私はなぜか自分の人生が重なったのだ。この卒業式で、私も何かから卒業する。そんな気がした、いや、そんな確信があった。

再び、と言うべきか。違う、おそらく28年生きてきた人生で初めて、自分の足で人生を歩んでいる実感と、これから歩いていく決意、そして、歩いて行ってもいいんだという自信をくれた。呼んでもいいという許可をもらえるのであれば、今年の1月~3月の間にいた学校は、たった3か月しかいなかったけど、第2の母校と呼びたい。というか、心の中ではそう思っている。

私は実際、この2017年1月~3月の間で、なにかを掴んだ。その「なにか」が、具体的なものではなく、具体的な言葉として表せるものでもない。ただ、これからの人生で、これから私が享受する「生」というものへ、どんなに暗い影を落とそうとも、一筋の光を照らし続けてくれる「なにか」。

例えるなら、完全暗転した舞台上で光る蓄光テープのようなもの。照明さんが、舞台監督さんが、あるいは、気の利く小道具さんが、貼ってくれた蓄光テープ。真っ暗な舞台の上でも、自分の立ち位置を教えてくれる、誰かが貼ってくれた蓄光テープ。明るいと見えないけど、暗いところでは確かに光ってくれる。それに似た「何か」を掴んだように思える。

さて、4月。新しい職場。

これもまた、学校だ。私は教壇に立っている。立ち続けられている。奇跡だ。大きく体調も精神も壊すことなく、12月を迎えている。本当に、去年、一昨年からしたら、考えられない回復っぷりである。まぁ、人生の中で一番風邪をひき、熱を出した回数も歴代トップクラスではあるが、そこはまぁ、目をつむろう。

教師が天職だとは思わないが、とりあえず、自分の話を思いっきりできる。この職業の一番いいところだ。だんだん、このトークスキルが上がっているのか、下がっているのか、最近わからなくなっているが、とりあえず話すことは大好きだし、人を笑かすことも大好きだ。気持ちいい。

自分なんかが、教師をやっていいのか、という葛藤は持ち続けている。また、自分のやっていることが、日本の学校で一般的に言われている教師とは、全くかけ離れているとも思っている。いつ、今の職場から、「契約満了、ということで」と、実質的な解雇宣告をうけるかはわからない。

しかし、今の自分なら、まぁいいか。と完璧に割り切ってしまえる自分がいる。「ちょっと待ってください!」と食い下がるのもまた一興かもしれないと思ってしまえるほどに、自分の人生を楽しむ余裕がある。

少し脱線したが、新しい職場に来て、一番始めにやってきた大きな仕事。私としては、これは学校祭であったと認識している。そこでやったことはなにか。合唱でもなく、作品展示でもなく、バンドでもない。これがまた「演劇」なのだから、私の人生には演劇がまとわりついて離してくれないのだ。嬉しい限りだ。この時に、去年、一昨年とお世話になった、私の演劇の師匠とも呼べる方に再会できたのだ。これだから、人生は面白い。世界は広いのに、世間は本当に狭いし、人の縁っていうものを、本当にいつまでも大切にしたいと改めて思うことができた。

改めて、演劇って面白いなって。演劇って最高だなって。演劇、やりてーなって。思わず、カーテンコールに出てしまった。褒めてくれたのは、たくさんいる上司のうちの1人だけで、あとは非難ごうごうだった。でも、出たくなっちゃったんだから、しょうがないよね。

演劇っていうものに、本当にいろいろな形があるということも実感できたし、自分が一番面白いって思えるものって、やっぱり万人受けしないんだなっていうことも再認識できた。楽しく笑い合えることが一番の正義だと思ってしまう以上、演劇にも向いてないのかもしれないけど、まぁこればっかりは好きなものだから許してほしい。

そして、人生で初めて、外国に行ったのも今年。しかも、約3週間。私からしたら長期滞在だ。英検どころか、漢検すら持っていない私は、あれよあれよという間に、問答無用とニュージーランドに連れてこられてしまった。

やはり、外国に行くなら英語は喋れないとダメだということがわかった。当たり前だが。oh yeahとsorryだけでは、限界がすぐに来る。現地に住んでいる日本人の方と、行動をほとんど共にしているから、どうにかはなったが、自分1人で海外に行くには、大きな壁があるなとわかった。しかし、危ないところだった。この海外に行く経験が無ければ、英語すら通じるかどうかも怪しいドイツとか、フランスとかにうっかり1人で行くところであった。ヨーロッパへの憧れが、またも淡くなった経験である。

現地の学校の先生と、通訳(現地の日本人の方)を介して、お話ししたことはとてもいい経験になった。やはり、日本の教師という職に自分が就いていることがおかしいこともわかった。別にニュージーランドの方が優っているとかの、優劣の話では全くない。日本の教育にも、素晴らしいところはたくさんある。むしろ、日本の方が教育としては優れていると言える。が、私とは合わない部分が多い。ただそれだけの話だ。

自分が為した労働に対して、支払われる対価が賃金となることが正しいのか。自分がその企業に属し、人生の一部を売っている価格が賃金となることが正しいのか。その考え方の差である。前者が、ニュージーランドの賃金に関する考え方です。最近では、日本もこちらにシフトしている、と言われているが、現状では、日本の賃金に対する考え方は圧倒的に後者である。

これは本当に好き嫌いの話であり、ただ単純に私が後者の考え方が嫌いで、前者の考え方が好きである。ただ、それだけの話。それを改めて考えさせられたニュージーランド。

教育に関してもそうだ。ニュージーランドの賃金に対する考え方が、日本と違う。つまり、目指すべき人間像が違うから、教育の在り方も違う。ただそれだけの話だ。この教育の差についても、本当に勉強になった。実り多き、ニュージーランドとすることができた。

年末には、合唱コンクールなるものがあったが、この話は2018年3月、一緒に戦った仲間が、卒業するときまでとっておこうと思う。

さて、今年もいろいろなことがあったが、とても幸せな1年であった。私は知っている。この幸せな状態を維持しようとすると、人間は怠け、堕落していき、最終的には人の縁の鎖がどんどん錆びていくと。どんだけ強固な鎖も、錆びない鎖はない。鎖が濡れたら拭かないとダメだし、曇ってきたら磨かないとダメだ。

正直、今年は少し怠けた。怠けたというか、今年は幸せを体いっぱいに感じる1年にした。エネルギーを蓄えることに重きを置いたというべきか。

来年の漢字は「崩」。動き、変えて、崩していく。今年の幸せを崩し、何かを動かす。その先に、また不幸が待っているかもしれないが、それでも朽ちるよりは、よっぽどマシである。

2018年はやりたいことに貪欲に。ゆったりと楽しく過ごした2017年。激しく楽しく過ごす2018年にしたい。

それに向けて。

「黒木大遊」という名前で、演劇活動や創作活動をほんの少しだけやってきたが、これはあくまでも、前の精神状態で、前の勤労観で、職場に迷惑をかけないようにやってきもの。

今の精神状態、今の勤労観で、改めて、考え直すと、もう必要がないものである。

「黒木大遊」という名前はすごく気に入っているが、自分には親がつけてくれた大切な名前があるので、事足りるのであれば、それが一番である。

ちなみに、この「黒木大遊」という名前は、なるべく自分の本名から遠ざからないようにしながら、どこかに「dice」をいれたいと考えて作った名前である。私が作った劇団にも、「dice」をいれたように、私はサイコロが大好きだ。理由はなぜかわからない。これは前世がサイコロに関わる仕事をしていたのではないかと思うしかない。

サイコロは、私にとって遊びのシンボル。大げさに言えば、人生のシンボルで、私の世界観のシンボル。どこかのお店とかに、ふと置いてあるだけで、この店は良い店だ!とテンションが上がる、麻薬みたいなものだ。

それに好きな色である「黒」、好きな自然を表した「木」を苗字にして、「大きく遊ぶ」ように活動していきたいという意味を込めて、作ったのが「黒木大遊」という名前であったが、もう必要はない。

気分で名乗りたくなった時に、この名前を使うかもしれないが、この名前での活動の必要性は無くなったと言っておこう。

そもそも2つの名前があると、集客がバラつくし、2つのアカウントを管理することがとても手間がかかる。手間というコストをカットできるところは、とことんしていきたい。少しでも活動しやすい環境を整えていきたいのだ。

長くなりましたが、2017年の振り返り。そして、「黒木大遊」の終わりということで。

今年もお世話になりました。来年もまた変わらぬ、ご指導やら、バカ騒ぎやらお願いします。気軽にお声掛けください。やりたいことは何でもやります。

創作活動は、別アカウントで続けます。見づらいですが、番号は続きでやります。

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