【掌編戯曲】雪原に落とされた一粒の種【#007】
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車窓から見える雪原はとても奇麗だった。車を走らせていた僕は、ふいにブレーキを踏み、外へ出た。西日が差し込む。キラキラと輝く世界。現実の世界に失望した僕は、その虚構のような世界に吸い込まれていった。
目の前の光景に見とれていた僕は、隣に人が立っていることに気づいていなかった。何もない雪原に、そこまで見とれていたかと思うと、ふいに自分のことが恥ずかしくなった。
その恥ずかしさを隠すかのように、僕は隣に立っていた女性に、思わず声をかけてしまった。
「寒いですね」
その女性は、奇麗な目をこちらへ向けた。急に見知らぬ男性に話しかけられれば、それは驚くことだろう。長い髪に、紺のダッフルコート、白のロングスカートから見える黒のタイツ。ひときわ目を引くのは、赤い毛糸のマフラーだ。シンプルながらも、洗練された格好の女性。
「そうですか?」
まさかの逆質問が飛んできた。
男:日も沈んできましたし、だんだんと冷え込んできましたよね。
女:あなたは寒いんですか?
男:ええ、寒さでここに立っているのが辛くなってきました。
女:それは大変ですね。
男:ずいぶんと他人事ですね。
女:はい、だって他人事ですもの。
男:本当に、あなたは寒くないんですか?
女:ええ。むしろ、
男:むしろ?
女:暑い
男:は?
女:暑すぎる
男:え?
女:雪女ですから
男:雪?
女:女
男:雪女?
女:はい
男:名前が?
女:人種が
男:はぁ
女:信じてないでしょ?
男:はい
女:ちょっと、おでこのあたり触ってみてください。
男:え!なんでですか?
女:いいですから
男:凍ったりしません?
女:しません。
男:凍傷になったり
女:しません。
女は男の手をつかみ、自分のおでこに男の手を当てがった。
男:びちょびちょだ(手を振りながら)
女:びちょびちょです。暑いんです。
男:あの、その、やっぱり溶けてるってことですか?体が
女:いいえ、汗です。
男:汗?
女:そりゃ、ちょっとは溶けますよ、雪女ですから。でも、汗9、体溶け水1くらいの割合で、ほとんど汗です。
男:暑いんですね。
女:暑いんです。
男:じゃあ、なんで、そんなに着込んでるんですか?漫画とかに出てくる雪女って、大体うすい浴衣一枚羽織ってるような恰好じゃないですか。
女:それが雪女の制服みたいなものですね。
男:暑いんですよね。なんでそんな普通の恰好してるんですか?
女:浮くじゃないですか。
男:浮く?
女:みんな、冬らしい恰好してるじゃないですか。コートだとか、タイツだとか、マフラーに手袋。そのなか、浴衣1枚って浮くじゃないですか。知ってます?浴衣って夏着るものなんですよ。
男:人間の話ですよね?雪女だから、別にそういうの気にしなくていいんじゃないですか?
女:私だって、世間の目とか気にしますよ。だって見た目は、他の人間と何も変わらないんですよ。ただ、中身が雪女っていうだけで。
男:その中身が違うっていうのが大問題じゃ…
女:ひどいですね、あなた。肌の色とか、人種とかで、人を差別しちゃいけないんですよ。
男:…すいません。
女:あなただって、ただの人間に見えますけど、本当にただの人間なのか、わからないじゃないですか。
男:え、僕は普通の人間です。
女:普通の人間は、こんな平日の夕方に、雪原の前に立ち尽くしません。人間って、この時間は仕事してるでしょう。それに、わざわざ寒いところに来ているのも、普通じゃありません。人間は、寒いところが嫌いなはずです。極めつけは、私が雪女だってわかったのに、普通に会話をしているところです。大体の人は、私が雪女だってわかると走って逃げます。
男:…そう、ですね。
女:だから、あなたもきっと普通の人間じゃないんです。
男:そうかもしれないです。
女:あなたも雪女かもしれません。
男:いえ、それは違います。まず、男です。
女:雪男かもしれません。
男:そこまで毛深くないです。
女:ちょっと特殊なあなたが、世間から浮かないように、浮かないようにするように。ちょっと特殊な私も、普通の恰好をしてるんです。おしゃれは我慢から、とも言いますし。
男:息苦しくないですか?
女:でも、世の中で生きるってそういうことでしょ?
男:…一緒に来ませんか?
女:どこにですか?
男:どこまでもです。
女:ナンパですか?
男:そう捉えてもらってもかまいません。あなたともっと話をしたくなりました。僕は息苦しさが嫌なんです。世の中で生きる苦しさが嫌なんです。でも、あなたは、それを克服してる。雪女なのに。妖怪なのに。
女:ずいぶん、言いますね。
男:…すみません、思わず。僕は、どうしても知りたくなったんです。あなたが、苦しさを飲み込めた理由を。いけませんか。
女:…いいえ。でも
その時、急に強い風が吹いた。雪原の雪は舞い、目の前は真っ白になった。そこにいたはずの女性も、雪のなかに隠された。おそらく1秒ほどの短い時間であっただろうが、僕にはとても長く感じた。息もできぬほどの強風。その強風が止んだ時。
「すごい風でしたね。」
「…え、ええ。」
「あなたと一緒に行きますよ。」
「うれしいです。」
「ただし、」
「はい?」
「車内は冷房を入れてくださいね。」
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