掌編_007

【掌編戯曲】雪原に落とされた一粒の種【#007】

(この文章は約3分で読むことができます。)

 車窓から見える雪原はとても奇麗だった。車を走らせていた僕は、ふいにブレーキを踏み、外へ出た。西日が差し込む。キラキラと輝く世界。現実の世界に失望した僕は、その虚構のような世界に吸い込まれていった。

 目の前の光景に見とれていた僕は、隣に人が立っていることに気づいていなかった。何もない雪原に、そこまで見とれていたかと思うと、ふいに自分のことが恥ずかしくなった。

 その恥ずかしさを隠すかのように、僕は隣に立っていた女性に、思わず声をかけてしまった。

「寒いですね」

 その女性は、奇麗な目をこちらへ向けた。急に見知らぬ男性に話しかけられれば、それは驚くことだろう。長い髪に、紺のダッフルコート、白のロングスカートから見える黒のタイツ。ひときわ目を引くのは、赤い毛糸のマフラーだ。シンプルながらも、洗練された格好の女性。

 「そうですか?」

 まさかの逆質問が飛んできた。


男:日も沈んできましたし、だんだんと冷え込んできましたよね。

女:あなたは寒いんですか?

男:ええ、寒さでここに立っているのが辛くなってきました。

女:それは大変ですね。

男:ずいぶんと他人事ですね。

女:はい、だって他人事ですもの。

男:本当に、あなたは寒くないんですか?

女:ええ。むしろ、

男:むしろ?

女:暑い

男:は?

女:暑すぎる

男:え?

女:雪女ですから

男:雪?

女:女

男:雪女?

女:はい

男:名前が?

女:人種が

男:はぁ

女:信じてないでしょ?

男:はい

女:ちょっと、おでこのあたり触ってみてください。

男:え!なんでですか?

女:いいですから

男:凍ったりしません?

女:しません。

男:凍傷になったり

女:しません。

 女は男の手をつかみ、自分のおでこに男の手を当てがった。

男:びちょびちょだ(手を振りながら)

女:びちょびちょです。暑いんです。

男:あの、その、やっぱり溶けてるってことですか?体が

女:いいえ、汗です。

男:汗?

女:そりゃ、ちょっとは溶けますよ、雪女ですから。でも、汗9、体溶け水1くらいの割合で、ほとんど汗です。

男:暑いんですね。

女:暑いんです。

男:じゃあ、なんで、そんなに着込んでるんですか?漫画とかに出てくる雪女って、大体うすい浴衣一枚羽織ってるような恰好じゃないですか。

女:それが雪女の制服みたいなものですね。

男:暑いんですよね。なんでそんな普通の恰好してるんですか?

女:浮くじゃないですか。

男:浮く?

女:みんな、冬らしい恰好してるじゃないですか。コートだとか、タイツだとか、マフラーに手袋。そのなか、浴衣1枚って浮くじゃないですか。知ってます?浴衣って夏着るものなんですよ。

男:人間の話ですよね?雪女だから、別にそういうの気にしなくていいんじゃないですか?

女:私だって、世間の目とか気にしますよ。だって見た目は、他の人間と何も変わらないんですよ。ただ、中身が雪女っていうだけで。

男:その中身が違うっていうのが大問題じゃ…

女:ひどいですね、あなた。肌の色とか、人種とかで、人を差別しちゃいけないんですよ。

男:…すいません。

女:あなただって、ただの人間に見えますけど、本当にただの人間なのか、わからないじゃないですか。

男:え、僕は普通の人間です。

女:普通の人間は、こんな平日の夕方に、雪原の前に立ち尽くしません。人間って、この時間は仕事してるでしょう。それに、わざわざ寒いところに来ているのも、普通じゃありません。人間は、寒いところが嫌いなはずです。極めつけは、私が雪女だってわかったのに、普通に会話をしているところです。大体の人は、私が雪女だってわかると走って逃げます。

男:…そう、ですね。

女:だから、あなたもきっと普通の人間じゃないんです。

男:そうかもしれないです。

女:あなたも雪女かもしれません。

男:いえ、それは違います。まず、男です。

女:雪男かもしれません。

男:そこまで毛深くないです。

女:ちょっと特殊なあなたが、世間から浮かないように、浮かないようにするように。ちょっと特殊な私も、普通の恰好をしてるんです。おしゃれは我慢から、とも言いますし。

男:息苦しくないですか?

女:でも、世の中で生きるってそういうことでしょ?

男:…一緒に来ませんか?

女:どこにですか?

男:どこまでもです。

女:ナンパですか?

男:そう捉えてもらってもかまいません。あなたともっと話をしたくなりました。僕は息苦しさが嫌なんです。世の中で生きる苦しさが嫌なんです。でも、あなたは、それを克服してる。雪女なのに。妖怪なのに。

女:ずいぶん、言いますね。

男:…すみません、思わず。僕は、どうしても知りたくなったんです。あなたが、苦しさを飲み込めた理由を。いけませんか。

女:…いいえ。でも

 その時、急に強い風が吹いた。雪原の雪は舞い、目の前は真っ白になった。そこにいたはずの女性も、雪のなかに隠された。おそらく1秒ほどの短い時間であっただろうが、僕にはとても長く感じた。息もできぬほどの強風。その強風が止んだ時。

 「すごい風でしたね。」

 「…え、ええ。」

 「あなたと一緒に行きますよ。」

 「うれしいです。」

 「ただし、」

 「はい?」

 「車内は冷房を入れてくださいね。」

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