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やりたいことをやるには 前衛編

小説家大学があったとしても、卒業したら小説家になれるわけではないですね。
当たり前ですよね。異論はないと思います。

デザインを学んだらデザイナーになれるわけではないですね。
社会人の資質が必要とか、センスが必要とか、そういうことより重要なことがあります。
私見を言えば、物事の本質を見極めて、要素を具体化表現していく能力だと思います。
翻訳者がある言語を別の言語に変換するように、抽象概念を具象概念に変換すると言うこともできます。

話を戻します。
サラリーマン予備校である一般大学卒業したらサラリーマンになれるわけではないですね。
いや採用されたらなれますよ。何といいますか会社に所属してるだけで、サラリーマンとしてプロフェッショナルになるには、別の積み上げる要素が必要だと思います。

医学部出て、医師免許取れば、医師になれるわけではないですよね。
いやなれますよ。しかし医療業務執行者になっているけど、医師になれていない、ともいえます。
実務に追われ知識が止まってたり、人体への興味を失ってたり、様々な理由で。1部は別にして、医師になれていない医師が多いような気がします。


様々な分野でいえます。
学ぶと成れるは違う。
こう思います。

何か資格を得たら成れるわけではない。
社会的に認知されたら成れるわけではない。
逆に言えば、どんな入り口からでも成れるし、社会的に認められなくても成れているともいえます。
厳しいこと言ってる論調でもあるし、反面、どんなことも可能だと言う暴論にもなってます。

その時の立場によって受け止め方が違うかもしれません。
ただ、learnの先が、beにはつながらないと思うのです。
努力が報われないと解釈になるかもしれませんし、そうなる道が見えないと受け止められるかもしれません。
在り方beがやって来るcomeするbecome(成る)は、learnじゃなく、設定した自分がやって来る設定、という事かもしれません。

自分大学が自分在学生を卒業させる一人三文芝居があるような気がします。当然観客は自分です。
支離滅裂ですか?
意味不明な芝居は、前衛的だと表現すれば大抵逃げられます。
筋書きが予想できる芝居に価値はありません。

何かしたければ何処かへ行って学ぶ必要はありません。
自分で考えて必要なだけ吸収することで、筋書き(プロセス)がオリジナルになり、自分にしか成れない前衛的なbecomeになる、俗に言う個性が生まれると思います。



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