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天上の暮らし

マーラーの交響曲第3番に圧倒された少し後、井上喜惟ひさよしが、今度はプロのオケでマーラーの交響曲第4番を指揮するという。
会場は晴海トリトンスクエアの、第一生命ホールである。東京かぁ。静岡からだと、交通費だけで往復1万円程度かかるやんけ。

しかしこんなよだれずるずるのプログラムを聴き逃すことなど、この指揮者を知った後に出来るはずもない。はるばる江戸まで出かけたのである。

世にマーラー指揮者と名高いバーンスタイン、ベルティーニ、インバル、ラトル、若杉弘など、当時は関東にいたから何度も実演に接してきた。そのたびいい演奏だとは思うものの、残念ながら心からの感動を味わったことがない。
彼らをレコードやCDで聴く分には、マーラーを存分に堪能できるのに。実演と録音の落差に何度もがっかりした思いがある。けっこう無理して、高いチケット買ってたからなぁ。

唯一、朝比奈隆の交響曲9番だけは凄かった。フィナーレの慟哭どうこくなど、まさにコブシを効かせた情念むき出しの演歌だ。朝比奈といえば十八番おはこはもちろんブルックナーだが、マーラーの9番は小細工なきインテンポが活きる曲だと思う。

井上喜惟ひさよしのマーラー3番も、かなり遅いインテンポだ。ただし朝比奈の情念とは対極的に、曲の全貌を透かし見渡せるような、理知的表現である。

ところがジャパン・シンフォニアとの第4番は、節度ある緩急のテンポを基軸に展開されていく。バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの旧盤を思わせる表現だが、バーンスタインの”ノリ”というより、計算され尽くした”自然体”に最初から金縛り状態となる。

井上の小柄に対し、第1ヴァイオリンの三戸素子はかなり大柄である。
井上の冷静な指揮に対し、オケをひっぱる三戸の気合がものすごい。
チェロの小澤洋介と共にジャパン・シンフォニアの2大看板というべき存在であり、彼らが去った後のオケの魅力は相当に落ちた感がある。

少し冗長じょうちょうの感を抱いていた第3楽章。その最後に訪れる、恐るべきコーダ。
突然fffでのホ長調主和音に続き、トランペットとホルンが第4楽章の天上の音楽の主題を力強く鳴り響かせた瞬間、「ふわぁ~ワシ、天国おるねん」の心地にさせられてしまう。これ以降、大好きな楽章になってしまった。

第4楽章『天上の暮らし』をソプラノの蔵野蘭子くらのらんこが歌い始めるころ「えー、もう終わっちゃうのー。終わんないでよ終わんないでよ」と、本気で願う。こういう至福の体験は、そうあるものではない。

聴き終わって茫然自失。
これから年2回の定期演奏会、毎回行かなきゃならんやないかい。カネと時間調整が大変やでぇと、はらで悩み、顔でほくそ笑むのだった。

実際それからの数年間、演奏会が開かれるつど足を運び、今回もエかったー!と幸福度全開で帰宅したのである。
モーツァルト、ブラームス、フランクといった交響曲群や、エルガー、ラヴェル、ショーソンの小品に至るまで、全くハズレなしの奇跡のような時間を共有できた。

水戸と小澤がいなくなり、自分の中で100点満点だった魅力度が80点、70点に下がっていったのは否めない。
こども2人がゼニのかかるピークを迎え、私的贅沢は控えねばならなくなってもいた。たぶんその頃、演奏頻度も下がっていった覚えがある。

井上喜惟ひさよしの実演には、10年以上触れていない。しかし指揮者としては、今とこれからが円熟の時だろう。
相変わらずアマオケとマーラーばかり振っているようだが、本当にもったいないことだと思う。

最近亡くなった、日本で最も知名度高い指揮者のマーラーも聴いている。
第2番『復活』をたまたま訪れたザルツブルグで、ボストン交響楽団&ジェシー・ノーマンの独唱という豪華な顔ぶれだったが、あまりのつまらなさに居眠りこいた思い出がある。
べらぼうにウマいけどだから何?みたいな、それは演奏だった。音楽というより、常人がアスリートの動きにオー!と感心させられる感覚に近いかもしれない。

大好きなシベリウスの交響曲第2番も、圧倒された演奏会の一つだ。僕にとっての決定盤はオッコ・カム指揮ベルリン・フィルの演奏だが、実演で井上&ジャパン・シンフォニアに勝るものはない。
実に貧相な音質ながら、YouTubeにその時の記録がアップされている。

今からでも遅くない。ベルリン・フィルは井上喜惟ひさよしを一度、本拠地に招聘しょうへいすべきである。世界最高性能の音楽集団にとって、それは責務であると言っていい。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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