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青田ケンイチのこと

静岡で小さなスタジオを営んでいるミュージシャンと、知り合いになった。
もう4年も前の話だ。
それより少し前に知り合った、やはり地元の女性シンガーが彼のスタジオでレコーディングすることになり、3日間の音入れに立ち会うことになった。

一つの楽曲が生成されていくプロセスを間近にするなど、生まれて初めての得難い経験だ。何度もテイクを重ねていく彼らのやり取りが実にいい。
音の表現を色や感情、波のうねりや風のささやきにたとえアドバイスしていくのは、彼自身がミュージシャンだからである。
ホームページのブログに、当時の心境が記されている。

ミュージシャンとのつきあいが始まると、音楽の聴こえ方も変わったりします。
ちょっと前だと、ただ「うるさいなぁ」って敬遠しがちだったドラマーの音が、実は緻密に計算された適切な音量だったと突然理解できたり。
情緒的かつ単調に聴こえていたはずのトランペットのミュート音が、とても複雑でニュアンスに富んだものへと変わって響いたり。
もし楽譜が読めるようになれば、これまで以上に豊かな世界が拓けるのかもしれません。
逆に曲の構造が分かりすぎて、聴き方が分析的になっちゃう可能性もあります。
モノの捉え方が変わってくるのは音楽に限ったことじゃなく、私がやっている事業にも文化的側面というのがあって、日常の影響を少なからず受けているはずです。
私の場合、動画を撮影・編集し、短いながらもその中に、個別のストーリーを落とし込む作業となります。
一貫性がなければ単なるコラージュ【ありとあらゆる性質と、ロジックがばらばらな素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせる行為】にしか過ぎず、価値の創造は困難です。
依頼主にご満足いただく仕上がりには、ならないと言うことです。
いっぱしのことを言うようですが、YouTubeにアップされているおびただしい諸先輩の動画を見るにつけ、その技術やノウハウに圧倒されるものの、一つの作品として残るものが極めて少なく感じるのです。
写真と動画には、似て非なる要素があります。
一瞬の空間や出来事を切り取り潤沢なイマジネーションを提供する写真と、連続性の中から一つのテーマを表現していく動画。
絵画と映画の対比を思えば、分かりやすいはずです。両者の関係性は、写真と動画そのものです。
情報量で圧倒する映像表現が、動かぬ一枚の写真や優れた絵画が語りかける雄弁さに著しく劣るパラドックスが、間違いなく存在するのです。
今日も一つ、編集テクニックを習得しました。よって表現の幅もその分、明確に広がります。
ただし技巧は、繰り返されるたび飽きられるものです。それは手段であって、目的にはならない性質のものです。
ここが難しい。
表現の余地があまりにあり過ぎて、目先の新規な技術に偏ってしまう危険性を、動画撮影は常にはらんでいるのです。
明後日、インタビューを撮る予定です。
当日の撮影に限れば、自慢できるほどの仕上がりにしようなどと端から考えていません。
私、うぬぼれ屋じゃない自覚はあります。
限られた時間のコメントの中で、どれだけその方の思いや内面を表現できるかに傾注し、ご満足いただける出来に近づけようと思っています。
さて。
良きイマジネーションを生み出すため、今夜も音楽を聴いて眠るのです。

2021年6月29日 11:46 PM

意気投合した彼と、一緒に事業を始めようと打ち合わせを重ねた。
せっかくあるスタジオをフル活用して、収益化を図ろうじゃないか。相手はミュージシャンに限定しなくてもいい。
まずはご近所にチラシを配布し、いろいろなプランを提示する。
たとえばカラオケ大好きなのに(当時の流行り病から)店で歌えないおとうさん・おかあさんの”名唱”を、ミュージック・ビデオにしちゃうのだ。
クロマキー合成を使えば背景をスタジオから玄界灘にも変えられるし、AKGのマイクを通した最高の音質で記録が残せる。口コミで広がれば、ビジネスチャンスは充分あるんじゃないか。

実現したら、どんな展開になっていただろう。
どっちも商売気ないからうまくいかず違う事を始めていた気もするし、でも楽しい付き合いは、きっと続いていただろう。

まずは彼自身のパフォーマンスを映像におさめ、専用のYouTubeチャンネルを立ち上げようと動き始めた。
それが2021年6月のこと。その翌月、僕たちの計画は水泡に帰してしまう。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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