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名残のバラ

3日前、地元公報紙の月イチ会議が開かれ、その場でなかば強引に編集長にさせられてしまった。
前々から代わってくれと言われ拒否し続けてきたのに、今回は押し切られた形だ。
編集長とは言ってもペラ1枚、裏表の構成をパソコンで調整しながら完成させるのが主な仕事になる。

原稿は、取材者自身が執筆する場合もあれば、取材先に依頼する場合もある。おもてを全面1つのかこみ記事にし、裏面を4つないし5つの記事で埋めていく。
20年務めた編集長いわく、この作業に倍以上の時間がかかるようになり、加齢からくる限界を感じたという。いっときは、代わりがいないなら廃刊にするかという話にもなった。

だったら公募して、レイアウトだけを手伝ってくれる人材を探してはどうか。我々より若い世代に働きかければ、やってくれる人も見つかるんじゃないか。そういう意味も含め、昨年より「寺子屋(現在は『井戸端会議』に名称変更)」を始めたし、自治会にも積極的な呼びかけをした。
その甲斐あって、最近この地に越してきた女性が請けてくれることになり、編集長の実質的役割は月イチ会議の進行役程度のことになった。
女性の視点からの斬新な提案も出されるようになり、公報紙はしばらく存続できるめどが立った格好だ。

よかったじゃないか。
これで負担の大部分は減り、ご本人も編集長の肩書そのままに続けられる。

と、思っていたのが甘かった。
「もう編集長って言ったって会議の進行くらいなんだから、アンタやってよ」と、自治会館のカギを僕の机の前に置くのだ。
「オレさぁ、動けるのもあと何年かだと思うし、1年かけてつくってきた庭にようやく満開のバラが咲いてさぁ。そっちをやっていきたいんだよ」

しょうがねぇなぁ、拒否する側にだって理由はあったんだぞ。
今後は肩書だけになるにしろ、担ってきた役割を降りると、途端に老化も進行しちゃうような気がしてたんだ。
あなた、アレもやりたいコレもやりたいってタイプだから、他に興味が移行したとき編集長ってポジションだけでも不動であれば、自分の中に軸が残せる気がしたんだよなぁ。

そんなわけで来月号から、僕が編集長になる(もう、なっているのか?)。
そこで最初の記事は、元(?)編集長の庭を特集することにした。
バラを育てる人にとって、1年の集大成になるこの短い期間に、丹精込めて作り上げたお庭を紹介しようと思う。

総じてバラを育てるには体力と経験、そしてそれなりの財力が要求される。山の中腹に位置する編集長のお宅は、いわゆるリッチな階級の佇まいでない。
おそらくは独自の工夫(YouTubeが先生)と努力の積み重ねで、ここまで見事な庭園をこしらえたのだろう。

そういえばアナタ、これから広報は、ネットでやってくんだとも言ってたよな。そっちのホームページもせっかく骨格までは作ったのに、その後手つかずになっている。アレどうすんの?

そんな折、行政とのやり取りから「道の駅」実現に向けたトライアルの事業が、始動できそうな雰囲気になってきた。
実現すれば、まずは地元情報発信基地を確保し、オラが村の広報紙も常設できるようになるかもしれない。
せっかく形だけ作ったホームページも、あらためてやってみるか。
地域の魅力を発信するというより、どこにでもありそうな日本の田舎で、名も無き人々がどんな暮らしをしているかを記録していきたい。
ちょっと立て込んでいてすぐには無理だけど、地元情報発信が実現すれば、ぜひメニューの一つに加えたい。
その時の編集長名は、僕じゃなくてあなたのままが良かったんだけどなぁ。何と言っても20年頑張ってきた、最大の功労者なんだから。

しばらくは、編集委員の立場で残るという。「夏の名残の薔薇」とならず、人生を満開にしながら頑張って頂きたい。

編集長宅のバラ庭園
編集長宅のバラ庭園

イラスト hanami🛸|ω・)و

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