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<地政学>最強ゲリラ国家?ベトナムの地政学について考察する

 今回はリクエストのあったベトナムの地政学を考えていこう。ベトナムは日本にも近い国である。最近はベトナム人の労働者を多数目撃するようになった。文化的にもコンゴやエジプトよりは遥かに近い国だろう。

 この国は現在急速に発展していて、中国の後を追いかけている。40年前はベトナムと言えば戦争ばかりの危険な国というイメージだったので、見事に転換したものだ。

 しかし、筆者の見解ではベトナムは一つの地政学的危機を迎えており、今後数十年の間に火を吹く可能性を持つ国でもある。今回はそんなベトナムについて語っていこうと思う。

東アジアと東南アジアの境界地帯

 ベトナムは通常東南アジアの国として分類される。東アジアに分類されることはまず無いだろう。確かにこれは間違いではない。しかし、ベトナムは東アジアと共有する特徴を多数持つ国でもある。ベトナムは漢字文化圏の国であり、ベトナムは「越南」である。タイやカンボジアに比べると人種的に東アジアのような見た目をしている。他にも干支や儒教など、多くの特徴を東アジアと共有している。

 ベトナムという国は東アジアと東南アジアの境界地帯の国と言えるかもしれない。ベトナムは1975年まで南北分断していたが、これはベトナムの異なる特徴を浮き彫りにしていた。北部は中国に習った共産党独裁国家だった。南部は東南アジア風の軍事政権だ。タイやインドネシアにも通じる雰囲気があった。ベトナム戦争の結果、北部が勝ったため、ベトナムは中国に遅れること一世代で急速な経済成長を遂げている。

 というわけで、筆者はしばしば東アジアの考察をする際にベトナムを入れたり入れなかったりする。欧州におけるウクライナやトルコのような曖昧ゾーンの国だと思う。ベトナムを考える上で参考になるのは朝鮮半島だ。地理的には離れているし、人種も結構違うのだが、中国に隣接する「ミニ中華」という点が良く似ている。同じ中国由来の儒教文化圏だし、中国の服属国だった時代も長い。第二次世界大戦後に分断された点もそっくりである。

ベトナムの地勢

 地図でベトナムを見てみよう。一目で見て分かるのは、この国が南北にものすごく細長いということだ。北部のトンキン地域と南部のアンナン・コーチシナ地域にそれぞれ人口密集地帯があり、細長い回廊で繋がれている。

 一見不安定な国土にも見えるが、意外とそうでもない。ベトナムの国土は山脈に沿って分布しているからだ。ここはチリと同じである。

 ベトナムの地政学的な安定性は見かけよりも高い。西部国境は山脈が背骨のように走っており、その向こうには人口希薄なラオスとカンボジアのジャングルが存在する。高温多湿で平坦にも関わらず、最近までこの地域はかなりの人口希薄地帯だった。これらの緩衝地帯のお陰でベトナムの西部国境沿いが侵略されたことはない。近世にタイに攻め込まれたことがあったが、労せず撃退することができた。

 ベトナムの国土は細長いため、東西方向の戦略的縦深性に乏しい。これは海から攻められた時に弱みとなる。ベトナム戦争の序盤で米軍がダナンに上陸したのもこうした理由かもしれない。この時、ベトナムは勝手にラオスとカンボジアの国土を通過することによって問題を解決した。

 ベトナムの脅威は北に存在する。2000年の宿敵である、中国だ。ベトナムは歴史上何度か中国に服属したり、併合されたりしてきた。今後も中国は脅威であり続けるだろう。しかし、中国が勝てる見込みは高くない。ベトナムと中国の国境には山脈が存在し、自然の国境となっている。それにベトナムは南北に細長いため、相当奥まで進まなければ中国はベトナムに打撃を与えることはできない。

 ベトナムは過去1000年間に渡って北方からの脅威を撃退してきた。モンゴル帝国・明朝・清朝はベトナムを侵略したが、全て敗北している。ベトナムという国はものすごく強いのだ。

侵略者を撃退してきたベトナムの歴史

 ベトナムは古代において中国の領土だった歴史が長い。漢も唐もこの地域を領土としてきた。阿倍仲麻呂が長官に任命された安南都護府は現在のベトナムに相当する。この時代においてベトナムは完全に中国の征服地だったのだ。

 ベトナムが安定した独立国家として生まれるのは唐の滅亡後になる。最初の安定王朝である李朝大越国が誕生し、側近の簒奪によって陳朝に後退した。陳朝は北方から攻め込んできたモンゴル帝国を撃退した数少ない国として現在まで知られている。鎌倉日本やマムルーク朝と並ぶ偉業だ。陳朝が滅亡するとベトナムはしばらく不安定な時期に突入する。陳朝滅亡のドサクサにまぎれて明の永楽帝が侵略し、一時併合するが、ゲリラ戦によって明朝は撃退され、黎朝が建国された。黎朝も色々あった後で弱体化し、南北分裂をしたり、混乱期となった。南北分裂した黎朝は北部の鄭氏政権と南部の阮氏政権に分かれる。続いて南部の阮氏政権が西山党の乱で滅亡、北部の鄭氏政権も西山党に攻め滅ぼされ、清朝が援軍を派遣するが、あっさり敗北する。またまたベトナムは中華王朝の介入を撃破したことになる。

 最終的に西山党はフランスの支援を受けた阮氏政権の残党である、阮福暎によって打ち破られる。ベトナム最後の王朝である阮朝はこうして成立した。しかし19世紀後半に入るとフランスの介入はますます侵略的になり、清仏戦争の結果としてベトナムはフランスに併合されてしまう。同時にラオスとカンボジアも植民地化され、フランス領インドシナが誕生した。この際にベトナムにはフランス文化が流入し、文字がアルファベット化されたり、コーヒー栽培が根付いたりした。

 時代は下り、第二次世界大戦となる。大日本帝国はフランス降伏に乗じてフランス領インドシナを軍事占領し、アメリカの逆鱗に触れてしまう。第二次世界大戦中にフランス領インドシナは日本軍の占領統治によって100万もの餓死者を出したと言われる。しかし、これが後の独立の布石となった。

 第二次世界大戦後に始まった東西冷戦の時代、インドシナは大国によってバトルアリーナ化する。緩衝国の辿るワーストケースはこれだ。朝鮮半島やウクライナのような地域大国に挟まれた地域に起こりやすい。インドシナの場合は1949年の共産主義革命で誕生した毛沢東の中国と西側世界の境界線に位置していたため、必然的に争いに巻き込まれることになった。インドシナで発生した紛争は第二次世界大戦後の武力紛争としては最も規模が大きく、投入された軍事力も殺害された人数もナンバーワンである。全部で500万人から600万人ほどが死亡したと考えられる。

 インドシナの戦争が始まったのは1945年8月15日だ。日本の降伏を期にホーチミン率いるインドシナ共産党が独立を試み、フランスの植民地当局と激しく戦闘を行った。戦いはフランス側が有利かのように思えたが、フランスが第二次世界大戦によって弱体化していたこと、中国革命によって陸路で支援物資が届くようになったこと、インドシナ共産党の規律と士気が良好だったことにより、1954年のジュネーブ協定でベトナム北部に共産主義の北ベトナムが成立し、南部に西側に友好的な勢力によって南ベトナムが成立した。これが第一次インドシナ戦争である。

 第二次インドシナ戦争はベトナム戦争と言った方が通りが良いかもしれない。ただ、実際はラオスとカンボジアでも激しい戦闘が行われていた。大人の事情で明言されなかっただけだ。南ベトナムは腐敗で弱体化しており、反政府蜂起が頻発していた。これ幸いと北ベトナムはゲリラ部隊を送り込み、アメリカは共産主義の拡大を恐れた。アメリカは大規模部隊を展開し、ベトナム戦争が勃発する。当初は南ベトナムの内戦だったが、どんどん規模が大きくなり、最終的にはインドシナ三国で北ベトナム軍と米韓軍が激しい戦争を行うという事態に陥った。アメリカはこの戦争に敗北し、1975年にサイゴンが陥落する。

 1975年から1978年の期間は小休止とされているが、実際はインドシナで最も多くの血が流された時期である。思いの外に南ベトナムの捕虜に対する虐殺は行われなかったが、そのかわりに隣国カンボジアで人類史上最悪の虐殺が行われた。ポル・ポト率いるカンボジアは途中でベトナムに戦争を仕掛け、国境地帯で散発的にベトナムの住民が虐殺されるという事態が発生した。

 1978年にベトナムはカンボジアに侵攻し、ポル・ポト政権は2週間で崩壊する。これが第三次インドシナ戦争の始まりとなる。この時期、中ソ対立が絶頂を迎えており、ソ連の支援を受けたベトナムは中国の支援を受けたポル・ポト派と代理戦争の関係にあった。中国は1979年に懲罰と称して自らベトナムに宣戦布告したが、こちらは激しい戦争を経てベトナム軍によって撃退されている。カンボジアの占領戦は思いの外に苦戦した。中国と西側は反ベトナム勢力を支援していた。大人の事情でシアヌーク殿下を建てた連合政府ということになっていたが、軍事力の殆どはポル・ポト派が引き受けていた。10年間のポルポト軍との戦闘を経て、1989年にベトナム軍は撤退し、カンボジア和平合意が結ばれた。1998年にポル・ポトが死去し、これでやっとインドシナの戦争は終結した。

 戦争が集結すると、ベトナムはドイモイ政策を導入してあっさりと共産主義を捨てた。中国の改革開放に遅れて急速な経済成長を果たしている。冷戦時代のベトナムの一人当たりGDPはアフリカと変わらなかったが、現在はフィリピンを上回っている。見事な結果だろう。

ベトナムの強さ

 ベトナムは強い国である。近代以前においてもモンゴル・明朝・清朝を打ち破っているし、近代になってからは第一次インドシナ戦争でフランスを、第二次インドシナ戦争でアメリカを、第三次インドシナ戦争で中国を破っている。世界でもアフガニスタンと並ぶ目立ち方だ。

 ベトナムを語る上で重要なのはこの国が中国に飲み込まれなかった点だ。中国という国はもともと黄河周辺にいた民族がどんどん拡大して多くの民族を同化吸収して生まれた国である。もともとは中国南部にも多種多様な民族がいたらしく、ベトナム系民族も上海辺りに住んでいたらしい。ただ、彼らの大半は2000年の間に消滅してしまった。チワン族や土家族など残っている民族もいたが、現在進行系で同化され続けている。

 巨大な中国に隣接していたが、飲み込まれなかった点は朝鮮半島と同じだ。朝鮮半島の場合は一応半島という形で中国本土と障壁が大きかった点が生き残りに寄与した。チベットの場合は高山気候が、ウイグルの場合は砂漠気候が、モンゴルの場合草原気候と単純に軍事力が中国より強かったことで吸収を免れている。ただしウイグルとチベットは現在は征服されている。

 ベトナムの場合に障害となったのも第一は気候だろう。ジャレド・ダイアモンドも言っていることだが、南北方向の移動は東西方向の移動よりも難しい。中国は南北に分かれたことは多いが、東西に分かれたことは少なかった。中国がベトナムに派兵するのは朝鮮半島に派兵するよりも大変だった可能性が高い。ベトナム戦争においてもアメリカ兵を苦しめたのは熱帯のジャングルだった。国境地帯の山脈も寄与しているが、それだけではない。こうしてベトナムは中国の一部となることなく、独自の国家として長年存続してきた。

 一方、ベトナム自身は南北に拡大している。時間はかかったが、ベトナムは数百年かけて南部を征服した。ベトナム南部はもともとチャンパーという別の民族の国だったが、現在チャム人は数が少なく、多くはベトナムに吸収されてしまった。

 ベトナムの強さは経済面でも現れている。ベトナムの経済成長のペースは非常に早く、世界でも中国に次ぐレベルだ。理由は完全に解明されているわけではないが、経済発展は地理的・文化的・政治的に隣接した地域に広がる傾向がある。日本で始まった東アジアの経済成長は韓国と台湾に広まり、続いて中国に広まった。現在は経済成長の並みはベトナムまで至っている。中国とベトナムは同じ儒教の国であるばかりか、共産党の一党独裁という点でも良く似ている。中国という「先輩」の後を追ってベトナムも30年遅れて近代化を果たしている。ただし、中国経済の減速を踏まえると、ベトナムは韓国よりも一段劣り、中進国止まりになると思われる。

ベトナムの地政学リスク

 とはいえ、ベトナムに地政学リスクが無いとは言えない。米中が対立した場合、ベトナムは矢面にたつ可能性が高いからだ。

 東西冷戦の後半期において、ベトナムはソ連と極めて親密だった。一方で中ソ対立が激しかったこともあり、中国とソ連・ベトナムは対立していた。中国はベトナムと戦うカンボジアの抵抗勢力(すなわちポル・ポト派)を支援しており、東南アジアを舞台に中ソの代理戦争が行われていた。1980年代を通して西側はベトナムの侵略を非難し、「正統政府」であるポル・ポト派を擁護した。アメリカとベトナムは敵陣営だった。

 ところが冷戦が終結し、アメリカの封じ込めの対象が中国に変化すると、中国と対立するベトナムの戦略的価値は上がってきた。アメリカとベトナムはかつての交戦の過去は忘れ、対中政策で利害が一致してきている。しかし、正式な同盟国にはならないままだ。

 ウクライナがまさにそうなのだが、大国間抗争において一方の「領地」が攻撃されることは少ない。そうなると大国が確実に参戦し、大戦争となってしまう。アメリカはワルシャワ条約機構の国に攻撃しなかったし、ソ連もNATO加盟国には決して攻撃しなかった。現在のアジアでいうと、日本・韓国といった国がこれに相当する。台湾は正式に条約を交わしているわけでもなければ米軍が駐屯しているわけでもないが、アメリカは台湾を保護する政策を明言しているので攻撃のハードルは高い。

 一方でベトナムはアメリカの同盟国ではない。対中政策で接近することはあっても、正式に同盟を結んだことは一度もない。こういった「無主地」はしばしば大国間抗争の舞台となる。中国がベトナムを攻撃してもアメリカが参戦してくる可能性は低いし、むしろ「早いもの勝ち」という可能性もあるからだ。ベトナムの地政学的位置はウクライナに良く似ており、抗争が発生しやすい状態になっている。

 しかし、中国がベトナムを征服する難易度はロシアがウクライナを征服する難易度とは比べ物にならないだろう。ウクライナは周囲が平坦な土地であり、政治も経済も破綻状態だった。ベトナムはウクライナと違って攻め込める国境の地点が狭く、しかも山脈とジャングルによって守られている。経済も力強く成長している。ウクライナよりも国民意識はしっかりしており、おまけに共産党の強力な指導下にある。中国とベトナムの戦争が勃発したらそれは近年稀に見る激しいものになることは間違いない。しかし、中国がそれに勝てる可能性は高いとは言えないだろう。

まとめ

 今回はベトナムの地政学について考察した。ベトナムは見かけよりも攻めるのが難しい。西方の脅威からは山とジャングルによって守られている。北方の中国は脅威だが、山脈や気候によって守られている。脅威があるとすれば海だが、今のところそのような攻撃を仕掛けてくる勢力は無い。仮にあったとしてもベトナムの陸軍力なら排除できるはずである。

 こうした特性により、ベトナムは外敵を常に打倒してきた。モンゴル・明朝・清朝はいずれもベトナムに敗北しているし、近代に至ってもフランス・アメリカ・中国を倒している。ベトナムが経済成長を遂げればますますこの国の軍事力は強大になるだろう。中国がこの戦いに勝つのは相当骨が折れるはずだ。

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