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見た目は思われているより努力の要素が強いという話

 しばしば才能・努力・環境を巡る議論の中に「容姿」という要素が加わることがある。大抵が本人の努力でどうにもできない形質として使われることが多い。だからこそ見た目で人を判断するのは憚られるし、他人の身体的特徴に言及することはタブーとされるのである。

 以前、デヴィ夫人のインタビューを見たことがあるのだが、面白いことを言っていた。「見た目と賢さのどちらが大切ですか?」という問いに対し、デヴィ夫人は「愚問です」と即答していた。「賢さがあればある程度見た目は着いてきます」とのことだ。私は「見た目」に関しては思われているほどは「才能」要素が多くないのではないかと思っている。

 人間がなぜ見た目で人を判断するのかを考えてみよう。人間は視覚情報がほとんどを占めている。従って、相手の性質を判断する時に最初に注目するのは容姿である。肩書や会話内容も大切だが、やはり第一に来るのは容姿だ。人間の本能は高性能であるため、相手の性質は即座に判断できる。例えば若い男性にとって魅力的に写る人間は同年代の女性であり、同様の感情を同性や70代女性に抱くことはない。これはほぼ見た目で瞬時に判断できる。生殖の相手となりうる人間を嗅ぎ分けている訳である。

 正直なところ、見た目がかなり重視されるのは若い女性が多い。確かに広瀬すずや橋本環奈のような域に達するには天賦の才が必要だろう。ただし、世の中のほとんどの人間は女優になるわけではないので、顔面偏差値70とか80の域に達する必要がない。こうなると、意外に持って生まれた顔の重要度は下がる。特に人生の後半戦は顕著になる。

 実のところ、見た目が悪い人間は先天的な要素だけが原因というわけではない。むしろ生活習慣や心がけの方が重要だ。普通の社会人の場合は見た目偏差値はせいぜい50か高くても55あれば十分なので、先天的な要素は原則として不要である。見た目が悪い人間の原因は周囲を見る限り以下の通りだ。

・単純に汚い(浜辺美波であってもホームレス生活を続ければ見るに堪えない状態になる。ソースはゴジラ)
・健康状態が悪い(暴飲暴食等をしていると露骨に見た目に出るし、過労を重ねている人間を見ても同様だ)
・人間性が悪い(他人を見下したり、嫉妬を繰り返したりしている人間はなんとなくの黒いオーラが伝わってきてしまう)
・身だしなみが駄目(やはり人前に出るときはスーツとか仕立ての良い私服にしたいものだ)

 世の中には見た目で差別されている人間もいるにはいるが、どちらかと言うと「見た目からしてヤバい」というケースの方が多い。やっぱり人間性と育ちと遍歴が出てしまうことが多いのである。定年退職した人間を見ていると、退職と同時に露骨に見た目に手を抜くようになり、一気に容姿が劣化するという人いる。やはり社会的な責任を持って頑張っている人と、糸の切れたタコのような人では見た目は随分違う。実際、見た目に気を使わない高齢者は老化が早いという調査もあるようだ。清く正しく生きていて、なおかつ一定の注意を見た目に払っていれば、必ず見た目偏差値は50を超えるはずである。若い女性が恋愛するときは別かもしれないが、それ以外の場面では持って生まれた顔の造形が与える影響は少なく、年収やコミュ力と比べても比較的努力が反映されやすい領域だろう。

 ただし、それでも「見た目問題」というものは存在する。見た目に問題を抱える人が「見た目からしてヤバい人」と本能的に混同されてしまうのが原因だろう。顔の半分にアザのある人間は健康状態に特に問題はないが、それでも人間の本能で健康状態に深刻な問題を抱えていると判断されてしまうので、不当な差別を受けることになる。美容外科の類は本来こうした人のために存在しているのだろう。



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