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【読書録】沖仲仕の話〜研究と読書と社会人生活と〜

おはようございます。

先日書いたnoteにもちょろっと書きましたが、最近丹羽宇一郎氏の『死ぬほど読書』という本を読みました。


読書に関する丹羽氏の考えや信念のようなものを、様々なエピソードやテーマとともに書き綴った、まさに随筆という感じの本。新書というのもあって、かなり読みやすいです。


私はこの本を読み終わってからはしばらく経つんですが、この中で、「沖仲仕」の話が特に印象に残っていたので少しかき連ねてみようと思う。


曰く、

 読書は心を広く深く豊かにしてくれます。とはいえ、本だけ読んでいればいいというものではありません。やはり仕事をやって人間というものと向き合わなくては、本当に人間を知ったり、理解したりすることにはならないと思います。
 (中略)
 学問の世界に閉じこもって書物ばかり相手にしている学者は、その点でかなり偏っているのかもしれません。その意味では、学者よりも、たとえば、人間を相手にしている沖仲仕のほうが、人間を理解する能力に長けていると思います。
 なぜなら貧しい境遇の中で、いろいろ辛い目にあって生きてきたような沖仲仕は、象牙の塔の中で専門分野の本に埋もれて安穏としている学者よりも、豊富な人生経験をしているはずだからです。

『死ぬほど読書』丹羽宇一郎


伊藤忠商事で、経営危機を乗り越えながらも経営者としての人生を全うした丹羽氏らしい意見だなと思いました。


これについては、私も20代の頃はずっと考えてモヤモヤしていたなと、これを読みながら当時の記憶が蘇ってきました。


大学卒業後、私は日本研究(厳密にいうと、近代日本文学の研究)をするためにアメリカの大学院へ進学しました。日本文学を勉強するために何故アメリカへ?と思う方もいるかもしれないですが、その詳しい理由や経緯については今回は割愛します。いつかまた別途書くかもしれない。


大学院では、日本文学作品を一通り全て読み込み、西洋で発展した理論を適用しながら分析をしたり、解釈をして論文を書いていました。当時はまだ修士課程だった私。しかし、分野的にも通っていた大学院的にも修士に上がるような人はほぼ100%博士課程に進んで研究者になる環境でした。


当然私も修士課程に進む前には学者になるところまでのビジョンを一応描いて、覚悟の上で入った環境であります。



なんだけど、なんだけど、修士一年を過ぎたあたりからモヤモヤが止まらない。


アメリカで唯一の日本人として、日本研究をするという特殊な環境にいたことも大いにあると思う。教授陣ももちろん全員アメリカ人。


学問としての文学というのは、ものすごく人生や文化、歴史、人間性について深い深いところまで掘り下げていく分野です。とても哲学的でもあるし、下手すると深く潜ったまま表層の日常生活に戻ってくる事を忘れてしまうこともある。
だから、研究すればするほど、日本というもの、文学の中で描かれている日本人の在り方、文化、歴史、社会、そして日本に限らす人間性というものを深く感じるようになってくるし、考えるようになる。


一方で、感じたもの、考えたものを論文という形で人の理解できるよう表現していく際には近代的、西洋的な理論を出発点にしてそこから話を発展させていく。


元々私は日本生まれの日本人でありながら、どこか自分の「日本人」というアイデンティティにいまいち自信が持てなかった人間です。

今思えば、人が暗黙知として共有している、「空気」のようなもの(日本ではそれが占める割合がかなり大きい)を上手に読み取れていなかっただけ(そして、その割に人一倍感受性が豊かで違和感だけが強く残る)ということに集約されている気がしますが、同時は自分にとっては大きな問題だった。そして、もっと「日本」「日本人」を知りたいと思って研究の道に進んだ。


しかしやってみて気づいたことは、本質的な部分は深まるものの、同時に、実際の手にとって触れる、この世界の「日本」「日本人」から遠ざかってしまうということ。
私の場合アメリカで研究してたので、物理的にも距離がかなりありましたし。

これこそが『象牙の塔』というか、誰よりも社会をはじめとする自分の専門分野に精通しているはずなのに、現実世界とは相容れない世界にいる感覚。
遠くの遠くの場所から望遠鏡で遠巻きに見ている感覚。


多分、研究に真摯に向き合いながら過ごしている人ほど、この感覚を自分自身で痛いほど感じているのだと思う。
私の周りにいる、研究の道に進んだ人は「自分は実社会では生きていけないから(研究を)してるだけ」「自分は世間知らずだ」という言葉をよく口にする。



なんというか、自分がどこにいて何をしてても「日本人です!」という感覚がしっかりあれば、逆に実社会から離れてしまっていたことにそこまで気後れやモヤモヤを感じずにいれたのかもしれない。

あるいは、ほんの少しの間でもアメリカにいく前に社会人経験を積んで、手に触れられる(Tangibleな)現代日本社会というものを感じていれば違ったかもしれない。

でも当時の私は大学から卒業したばかりの世間知らずだったし、深く深く理解すればするほど遠のく負のループから抜け出せず、そしてやっぱり近くにいたいと感じるようになった。


だから、日本に帰ってきて、研究分野とは全く違う分野・業界で仕事を探し、社会人として生活することにした。会社以外のプライベートでは、今まで概念や思想ばかり学んでいた、伝統芸能や伝統工芸を実際に手を動かし、体験し、身体を使って触れるように努めた。


今は、少しずつその頃の自分の「濃い部分」が薄れてきて、いい感じに周りの環境と馴染むようになってきた。頭でっかちで思想の世界の中で生きてきた人間が、身体をやっと手に入れて身体を動かし、自分の周りの世界を実際に動かせるようになってきた。

自分の会社員としての仕事は、総量としては日本社会全体の中でいうと本当に本当にちっぽけだと思う。でもその小さい範囲であっても、手を動かし、身体を動かし、人や社会を変えてっているという感覚があるというのは、とっても素晴らしいことだなと思う。研究をしているときには得られなかった感覚。

色々と遠回りはしたけれど、私は結局、自分自身で「経験」として知っていく事をしたかったのだろうなと思う。様々な人がいるし、研究の大切さもわかっている。社会にとって「象牙の塔」と揶揄されてしまう、特殊なアカデミアの世界も必要だと思う。ただ、今の私にはそこではなかったというだけ。それだけの話をこんな長くつらつらと書いている。

丹羽氏の言葉を借りると私は、沖仲仕に憧れていた温室育ちの偏った学者だったろうと思う。そこにいた方が楽ではあったと思う。でも、多少無理を感じたとしても、外に出てみてよかったなと思う。今では、そう思う。外に出たことで、180度だった世界が360度になるような、次元が変わったような感覚。


日常のあれやこれやに追われていると、それさえも忘れてしまうことがままあるけれど、一歩立ち止まって過去を振り返り、この感覚思い出させてくれてありがとう、という気持ち。これだから、読書はいいですね。



死ぬほど読書、
死ぬまで読書、です。



終わり。

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