【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第7話 黎明期編(1)
【カチコミ前日】
父の眠る仏壇に手を合わせ、神妙な面持ちで物思いに耽っていたフリムン。これまで生きてきた27年と10か月という人生の中で、父と過ごしたのは僅か2年。
よって彼の記憶の中に、写真以外の父の姿は存在しない。
子を授かり、親となって初めて父の無念さを痛いほど感じることができたフリムン。
「きっと、親父も我が子に背中を見せたかったに違いない」
そう思うと、志半ばでこの世を去った父が不憫に思えてならなかった。そんな父の写真に向かって、フリムンは照れながらこう語り掛けた。
「明日は親父の分も暴れてくっから、力貸してくれよな♡」
そう言いながら両手を合わせ、少しだけ、はにかんだ。
【ニセモノ】
仏壇に手を合わせ、それから慌てて旅支度を始めるフリムン。何故か旅行バッグに詰め込んだ空手着の横には、真新しい「黒帯」が添えられていた。
確かフリムンは白帯だ。
それなのに、なぜ「黒帯」が手元にあるのか?
実は申込書の出場資格欄に、「空手歴3年以上」「有段者に限る」と記されてあったからである。
それを見て慌てふためいたフリムンは、急いで近くのスポーツ店へ直行。
店内に置いてあった守礼堂の「黒帯」を即購入し、刺繡まで施し準備万端整えたのであった。
「これを逃したら、また来年まで待たなくてはならない」
とにかく早々に選手として結果を出し、早く石垣島に極真空手の道場を立ち上げたかったフリムン。その思いが彼の心を逸らせ、このような暴挙に走らせたのだった。
こうして“虚偽”の申告をして出場を決めたフリムン。
その県大会のパンフに載せられた写真と、実力ではなく通貨により手に入れた“偽物の黒帯”がこれである。
ちなみに当時のプロフィールは、身長168㎝、体重70㎏ 、空手歴 (無所属) 2年、段位無し(白帯) が正解である。
しかし、これでは通らないと思い、少しでも強く見せようとプチ改ざんした結果こんな事になってしまったが、お陰で申込書は難なく受理されたので結果オーライであろう♡
(いやオーライちゃうわっ)
こうして県大会出場を勝ち取ったフリムンは、罪悪感を微塵も感じることなく、ルンルン気分で旧石垣空港を飛び立ったのであった。
【祖母の口癖】
当時フリムンは、3年後の30歳までに現役を引退し、その後は指導に専念するつもりでいた。
しかし、結果的に彼が引退したのは30年後の57歳。
この沖縄県大会(一般男子)にも、実に51歳まで出場し続ける事となる。
そんなフリムンに対し、空手を続ける事を当初から反対していたのが祖母であった。
「アナタが叩かれるのは見たくない」
「もう想像するだけで気が滅入る」
「お願いだから早く止めてくれないかね」
それが祖母の口癖であった。
それもそのはず、小中高生の頃はよく怪我をして帰ってきては、確実に祖母の寿命を縮めてきたフリムン。
それがこれから毎日のように続くのだから当然だ。
ちなみに中学生の頃にはこんな事件もあった。
友人数名と高校生に集団暴行を受け、顔面をザクロのように腫らして帰宅。顔が2倍に腫れ上がった孫の顔を見た祖母は、気を失い掛けその場に崩れ落ちた。
泣きながら庭に植えてあった「アロエ」をフリムンの顔中に張り付け、一晩中看病を続けた祖母。
お陰で顔の腫れは殆ど無くなり、氷で冷やしてきた友人たちとはまるで違っていた。若い母親と、人生経験豊富な祖母の知識の違いが、如実に現れた結果であった。
これぞまさしく「亀の甲より年の功」である。
更に上京した後も、粉砕骨折で長期入院するなど気の休まることが殆どなかった祖母。
それが家庭を持ち、我が子を授かってからも心配を掛け続ける孫に対し、正直“辟易(へきえき)”していたのだった。
そんな祖母の気持ちは痛いほど分かってはいたものの、こればかりは譲る訳にいかなかったフリムン。
「祖母のためにも、何が何でも凱旋帰島するしかない」
そういう思いで、彼はこの大会に全てを掛けていたのだ。
【孤独】
遂にその日がやってきた。記念すべき「第1回全沖縄県空手道選手権大会」の開催である。
高1の時、N道場で体験したサポーター無しのガチンコ組手。その時は他団体の県大会準優勝者に後れを取ったが、あれから10年、もうあの頃のフリムンではなかった。
しかし、ここは本物の極真空手家や他流派のトップ選手がひしめく公式大会である。
選手のレベルはダンチであるのは言うまでもなかった。
そんな大会に、筋トレとサンドバックのみでカチコミを掛ける無謀な行為が、これから自らの手によって行われようとしている。
ただ、極真に対する熱い思いだけは誰にも負けないと自負していたフリムン。
「今は他流派だけど、極真に対する想いは俺の方が上だ」
「今日は俺の本気を県内の空手家たちに見せつけてやる」
その気持ちだけを武器に、意気揚々と会場に乗り込んでいった。
しかし、選手控室に入った瞬間、その考えが甘々だった事に気付かされる。そこでフリムンが目にしたのは、鍛え抜かれた野獣たちの群れであった。
「ウッソーーーーーーーーーーン」
その時のフリムンの体重は70㎏程度。それでも島に帰省してから10㎏ほど増量して臨んだのに、そこには80㎏~90㎏台の猛者がウヨウヨ居るではないか。
自分の肉体が、呆れるほど“貧相”に見えて仕方がなかった(ToT)
そんなフリムンの存在に気付いたのか、他の選手たちが急に彼のことをジロジロと凝視しだした。
後で聞いた話しによると、石垣島から「上地流」の選手が来るというので品定めをしていたとの事だ。
当時フリムンは何処の流派にも属していなかった為、Z先生の承諾を得て「上地空手道場所属」と申込書に記したのだが、それを「上地流」と勘違いしての事であった。
そんな事とは露知らず。皆の視線を背に受けながら、少し驚かせてやろうとフリムンはいきなりシャドウを始めた。
すると、背後から撮影クルーの集団が近付いてきて、フリムンのウォーミングアップを撮影し始めたではないか。
実はこの大会、沖縄テレビ放送(OTV)にて後日放映される事が決まっていた。
当然、フリムンにも事前にその情報は入っていた。
「おっと、ここはカッコいいとこを見せなきゃ♡」
いつもよりも派手な技をハイスピードで繰り出すフリムン。これぞお調子者の本領発揮である。
ただ、いつも以上に“増し増し”で張り切ったため、息も“絶え絶え“となり動きが急激にダウン。
「これはヤバい」
「このまま続けるとスタミナが無いのがバレる」
そう思ったフリムンは動きを止め、タオルを取るフリをしながらさり気なく振り返った。
すると、そこにクルーの姿は既になく、他の選手の撮影に移動した後であった。
それもかなり遠くの場所に( ̄▽ ̄;)
それに気付き、急に恥ずかしくなったフリムンは、バレないよう壁に持たれながら静かに体育座り。
急激な孤独感に苛まれる羽目となった(ToT)
ちなみに今大会の「大会ドクター」が偶然にも島の同級生で、あの「P-サイズ」の一員であったから驚きだ。
実はその同級生の上司が沖縄支部所属であったことから、大会医師のお手伝いを依頼されたという。
その同級生が後で教えてくれたのだが、会場に居た極真関係者は異口同音、「この大会で君の友人が勝つのは厳しいんじゃない?」と口を揃えていたという。
そんな人生初となる県大会の初戦は、フリムンより10個も歳上の茶帯の先輩であった。
【思いの丈】
ここまで来るのに随分と遠回りをした。
高校時代に3ヶ月間だけ触れたキョクシンという世界観。
その後上京し、華々しい空手人生を歩むはずだったが、まさかまさかの粉砕骨折により都落ち。
そこから何とか這い上がりここまで来たものの、果たして自分の力はこの世界で通用するのだろうか?
期待と不安が入り混じる中、フリムンは満を持して試合場に駆け上った。
生まれて初めて踏みしめるマットの感触を足裏に感じながら、「思いの丈」を全力でぶつけてやろうと相手を睨みつけるフリムン。
これから行うのは正真正銘の殴り合い。
それも素手素足の防具無し。
当たれば激痛必至の直接打撃制ルール。
デビュー戦にしてはかなり高いハードルだったが、フリムンは不安を振り払うかのように、試合開始の太鼓に合わせ得意のパンチと左ミドルを解き放った。
「ドスッ!」
「ドスッ!」
「バッチーーーーーーーン!」
フリムンの怒涛の攻撃に、顔をしかめる対戦相手。
「今のは効いたか?」
「いや誘いかも知れない」
「でも手応えはあった」
「まだ焦るな」
「いや絶対に行ける…チャンスだっ」
初めての公式戦で緊張していたため、考えなくても良いことばかりがグルグルと頭の中を駆け巡る。
これは良くない。これは良くないと思ったフリムンは、手を緩めることなく得意のボディアッパー(下突き)を対戦相手の腹に突き刺した。
「ピーーーーーーーーーーーーーーー!」
相手の体が「くの字」に折れたその刹那、4人の副審が一斉に笛を吹きながら赤い旗を真横に振った。
技有りが決まった合図であった。
「ほら、やっぱ効いてんじゃん」
そう思った直後に、主審が二人の間に割って入り「止めっ」と叫びながら試合を制止。
そして「技有り」のコールをした後、今度は「続行」と叫びながら試合を再開した。
その一連の動作は、瞬時に行われた。
しかし、ここからが極真戦士の本領発揮であった。
そのままフリムンは「合わせ一本」を狙いに行くが、今度は相手が息を吹き返し怒涛の反撃に打って出た。
これぞ極真の意地(底力)というやつだ。
フリムンより10歳も年齢が高く、体躯(たいく)も一回り小さかった対戦相手。当時は30代になっても現役を続ける選手は稀で、殆どが20代の選手ばかりであったから驚きだ。
「これが極真か…」
感心しながらも、フリムンは一切手を緩めなかった。
例え相手が親であろうと、勝負になれば倒せと言うのが極真の慣わしであったからだ。
こうして、これまで積み上げてきた「思いの丈」を全て出し切り、フリムンは終了の太鼓を背に受けた。
彼のデビュー戦は、技有りを含む大差の判定勝利で幕を閉じた。
これも後に同級生ドクターから聞いた話しだが、フリムンの初戦を見ていた極真関係者が、「君の同級生メチャクチャ強いじゃない」と目を丸くしていたとの事。
そんな彼から「誇らしかったよ」と告げられた時、諦めないでここまでやって来て本当に良かったとフリムンは思った。
しかし、それでも最後まで諦めずに立ち向かってくる対戦者に、極真空手家の執念を肌で感じたフリムン。
絶対に倒れないという覇気が拳を伝わり、彼の胸を打った。
「やはり極真は人生を掛けるに十分値する“本物の空手”だ」と溜飲を下げたフリムン。
ただ、そんな彼の快進撃もそこまでであった。
次戦で彼の目の前に立ちはだかったのは、当時の沖縄支部「四強」の一人であり、「優勝候補」の一角でもあるA選手であった。
フリムンと同じガチンコファイターのA選手。
年齢も一つ違いの同世代。
この試合で、フリムンは“極真ブラックベルト”の洗礼を浴びる事となる。
次回予告
ついにあいまみえた"極真ブラックベルト"!
ど、どんな怪物…?
乞うご期待!
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▼「フリムン伝説」の記事をまとめてみました!
この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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