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ピスケの話

ホームセンターでぽつんと売れ残っていて、「この子は手乗りになりませんよ」と言われた文鳥を連れて帰ったのは5年前。名前はピスケ。←後からメスだったことに気付く。

数ヶ月かけて少しずつ慣れて、手にも乗ってくれるようになった。次男が生まれた後、何日か遠出することになり実家の母に預けたら、「もう少し預かるよ!」と言って帰ってこなくなった(笑)

確かに実家の方が0歳児に握られる心配もないし、子どもたちの分別がつくまでもう少し世話になろうかなと思っていた。



1ヶ月前、いつもは飛ばないピスケが、カゴの扉を開けた瞬間に勢いよく飛び出て、壁にぶつかって落ちたと連絡がきた。足を悪くしたかもしれない。それでも徐々に回復している…と言っていたので、じゃあ近々会いに行くねと言っていた矢先の、昨日。

お別れをしに行ってきました。

撫でた感触は生きている時と全く同じで、慣れ親しんだ、いつものピスケだった。長男も「ピスケ寝てるの?」と言って撫でては「可愛いな〜」とニコニコしていた。



ピスケの側で、丸ごとのスイカをみんなで食べた。黙々とかぶりつく息子たちを見ていた時に、弔いってこういうことなのかもしれないと、なんとなく思った。

庭に埋葬する。息子たちは最初、どういうことなのかわかっていなかったけど、掘った穴にピスケをそっと置いて、土をかぶせた時に、一瞬シンとした。「もう会えないの?」と言って、長男が泣いた。私も泣いた。キャンドルに灯りをつけて、手を合わせる。

見送る人、見送られる人。私もいつか見送られる人になる。会って、話せて、触れる時間は限られているから、会いたい人には会った方がいい。生きているうちに食べて、寝て、泣いて、怒って、笑うことを楽しむ。

ピスケはずっと飛びたかったのかもしれない。
落ちてしまったけど、自分の力で飛ぶことに挑戦したその生き方を、尊敬する。

街の中で見かけるカラスはどれも同じに見えるけど、一羽一羽と友達になったら、一人一人全く違うんだってことに気付くんだろう。
また文鳥を飼ったとしても、ピスケはピスケしかいない。あの鳴き方、表情と動き、性格は、ピスケしかいないんだなあ。


生きているだけで価値がある。
それは私もきっと同じ。どんな人も、同じ。

今、私の音楽活動は節目を迎えていて、新しく決まったライブを前に少し緊張していたのだけど、「あなたならできるよ、大丈夫だよ。がんばれ!」と、ピスケが言ってくれたような気がした。

生前、ピスケと遊んでくれた方、愛してくれたファンの皆さま、ありがとう。

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