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誰も、誰かの心を縛ることはできない

7/10(日)の参院選投開票日まで、気付けば残り二日になっていました。この数週間、夜な夜な政治について調べては、何か書きたいと思い続けて、結局書けないまま今に至ります。書けないかも…と半ば諦めていましたが、昨日の夜に親友が書いていた文章を読んで、やっぱり頑張って書こうと決めました。まとまらなくても、書く。

私は小さい頃、家族が選挙に行っているのを一度も見たことがありません。そのせいか、選挙権を持つようになってからも、選挙とは何か特定の人たちがやる行事だと思っていました。

テレビの中の政治家は何を言っているかわからないおじいさん、おばあさんばかり。選挙の時だけ都合良いことを言って、当選してしまえば何をしているのかわからない。不祥事があれば心にもない謝罪をして首をすげ替えるだけで、誰がなったって同じ。与党も野党も互いの批判ばかりだし、事前に用意した台本を読んでいるだけで全く議論になっていない。一つの物事を色んな角度から真剣に協議しようという気が感じられない。

「投票したって何も変わらないでしょ」そう思っていました。

けれど2013年の参院選で、緑の党から出馬したミュージシャン 三宅洋平さんの演説を聞いた時、初めて、何を言っているのかわかる政治家が現れたと思った。正反対の意見を持つ人と真正面から向き合い、対話によって道を探っていこうとする姿勢に希望を感じました。
2019年の参院選では、無駄な公共事業をやめて生態系や環境を保護しようというれいわ新撰組の環境アナリスト 辻村ちひろさんの主張を聞いて、幼い頃から悲しみ続けてきた環境破壊を政治の場で正しく取り上げてくれる人が出てきたことが嬉しかった。

あれだけ遠い存在だった政治を身近に感じるようになりました。今どんな法案が通されようとしているのか、その賛否、各党の主張や成り立ちなどを知るたびに、いかに今の政治が偏っているかが見えてくる。

私は「子どもは親の意向に従うべき」という、いわゆる毒親家庭で苦しい幼少期を送ったので、どんな人も抑圧されない世の中であると良いなと常日頃から思っていますが、その考えは「革命的」で、日本の伝統を壊す危険なものとして「左翼」「反日」とカテゴライズされていることも知りました。
調べれば調べるほど、右も左も罵倒し合い、ヘイトが飛び交い、一方的な決めつけを機械のように話し続けるマウントおじさんを見かけるばかりで、この人たちは対話によって暮らしやすい社会を考える気はさらさらなくて、自分の正義を認めさせたいだけなんだなと感じました。

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私は、その土地土地で採れる旬のものを食べることが大好きだし、美味しくて安全な湧水が飲めることは豊かさだと思う。保守と主張する人が国内の第一次産業や資源を蔑ろにするどころか、二度と再生できないほどに壊したり、外国に売り渡すのは何故なんだろうと、単純に疑問です。

育つ環境によって「普通」と思っていることが全員違うのは当たり前。正しい間違いのジャッジではなくて、成熟した対話によって共生する道を見出したいのです。

家庭や教育の場で、幼い頃から社会問題を真剣に議論したり、メディアの情報を鵜呑みにせず、まず立ち止まって様々な角度の情報を持ち寄って議論することを習慣付けたらいいんじゃないか。
そんな積み重ねが若者の政治参加に繋がってくると思うし、考えと人格を一緒くたにして袋叩きにするようなことは減るんじゃないかと希望を持っています。

一方向からの視点だけを切り取って過剰に報道される物事を、私は信じていません。

1985年に生まれて、物心ついてから約30年ずっと不況です。少子化対策だ、温暖化対策だと言いながら、児童手当に所得制限をかけたりあちこちの山を切り売りしたり、若者の投票率が低いと言いながら政治に関して踏み込んで学ぶ機会やオープンな空気は与えない。憲法改正にしろ防衛費の増額にしろ、どう考えたって戦争へ向かって体制が整えられてきている。一体政府は何がしたいんだろうかと不思議で仕方ないです。

不況であり続けること、人口が著しく減少していること、貧困が広がっていることは、政策の失敗ではないのでしょうか?立ち止まり、見直さなければいけない部分があると考えるのはおかしいことでしょうか?

昨年の衆院選の投票率は55.93%。選挙権を持つ人の約半分。
デンマークでは投票率が80%を下回ったことはないそうです。
どれだけ与党の政策に異を唱えても、たった半分の投票率の中で「国民の皆様からの信任を得まして」と決定されていく。少数派は無いものとして扱われる。野党からの質問や指摘に対しても、「検討していきたい」「お答えできない」と、はぐらかしや論点ずらしの答弁で結局何も変わらない。

そのことがどれだけ政治に対する信頼を失わせるかわかっているはず。わかった上であえてやっているのかと思わざるを得ないほど、国会の議論は議論になっていないし、そこに誠実さを感じません。

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「参院選 2022」サッと検索すればYouTubeでもブログでも、今回の参院選の争点や各党の主張をわかりやすくまとめた情報に辿り着く事ができます。

私は特定の政党を支持していませんが、与党には投票しません。与党とほとんど変わらない政策を掲げる野党にも投票しません。それはハッキリしています。


「どこに投票していいかわからない」という方は、マッチングサービスを使うのも良いと思います↓



「自分の選挙区から誰が出馬しているのかわからない」という方はこちら↓

TwitterやYouTubeで主張を発信している候補者の方も増えてきたので、名前で検索して情報を取っていくのも良いと思います。

中田敦彦さんの参院選解説は、「そもそも参議院って何?」「堅苦しい動画は無理!」という方にとってもわかりやすいのではないかと思います。



日本で唯一の主権者教育を行う笑下村塾のたかまつななさんが、投票先の選び方や各党首へのインタビューなどをまとめています↓


日付変わってもう明日が投開票日ですね。


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何も変わらないかもしれない。
それでも、少数派が「こんな人もいます!」と主張し続けることには意味があると私は思っています。声を上げなければ、存在していないのと同じ。

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戦時中でも淡々と日常を送っていた人が一番強かった、という一文を目にして、ああ本当にそうだなと思いました。誰も、誰かの心を縛ることはできない。表現の自由を奪われたとしても、日々の些細な出来事を楽しむ心までを奪うことはできない。

どんな結果になっても、何が起きても、政治に失望することはあっても、絶望だけはしません。してやるものか。

ここまで読んで下さり有難うございます。
あなたの今日が、穏やかでありますように。

松本佳奈

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