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『完全無――超越タナトフォビア』

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哲学における究極の未解決問題「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を解決するとともに、タナトフォビアで苦しんでいた過去の自分を、四年掛かりで自ら救った、新しい思想を総括するマ… もっと読む
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2020年9月の記事一覧

『完全無――超越タナトフォビア』第三十章

たとえば、完全なるつまりは最も美しく最も精確なる円を、何者かが任意の場所に書き記せば、そ…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十九章

さらにさらに、ウィッシュボーンは言の葉を集めては花火のようにこのマックの店内からすべての…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十八章

さらに、ウィッシュボーンがきつねさんの代わりに述べさせていただきます! 是と非とを超えた…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十七章

「世界そのもの性」への取っ掛かりとして、主語と述語との関係性は成立しないのだ、という認識…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十六章

ある この文字だけを世界に残してみましょう。 あることがある、でもだめです。 あるのみで…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十五章

「世界の世界そのもの性」を、理性のあらゆる推理力を結集することで、袋小路に至るまでほじく…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十四章

唯有論(ゆいうろん)の「有」や、唯在論(ゆいざいろん)の「在」、そして、たとえばここで新たなる造語といたしまして、唯全論(ゆいぜんろん)なるものを考案したとしましょうか。 その唯全論(ゆいぜんろん)の「全」という文字にも対義語が存在するじゃないか、そんなことより根本的に、「ある」という文字に対義語があるんじゃないか、とおっしゃる読者さんがいらっしゃるかもしれませんが、きつねさんのおっしゃるところの「ある」とは、対義語のない「ある」だそうです。 言葉であらわそうとすると、ど

『完全無――超越タナトフォビア』第二十三章

きつねさんによりますと、精確には、生き物の持つ自意識や知的主観という動的主体性こそが、唯…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十二章

語り得ぬことだから沈黙すべきだ、という哲学的名言かつ明言かつ迷言に関しましては、きつねさ…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十一章

世界とは「あるだけである」という前-最終形真理、それをさらに超えて究極の【理(り)】に近…