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『完全無――超越タナトフォビア』第百十三章

えげつないほどに奇妙かもしれないが、無の連結が運動を生み、それを有の連続として捉えてしまうのが知性とやらを進化させてきた生きものの宿命であり限界でありおもしろさでもあるのだろうか、と不思議に思う。

位置しか持ち得ない点の確率論的ネットワークは果てしなく非有非無的概念とリンクしている。

「あるというわけでも、ないというわけでもないこと」。

それは「空」。

誰も彼もが嬉々として引き較べる二つの領域、それは量子力学と仏教思想なのだが、それにしたってこの二十一世紀においても、そのような突き合わせに議論が終始してしまうのは大変に歯痒い。

仏教経典の『華厳経』などにおける重要テーゼ「一即多、多即一」が完全無としての世界において機能するということは、完全無という思想が上書きすることで無効化される。

個物が多物であり、多物が個物であるという等価性の修辞も、完全無の側から世界を捉えた場合、当然のこと、根本的に意味そのものを持ち得ない。

小さいものと大きいものとを比況することは不可能。

大きいものは小さいものと同じである、という命題は不適切。

何かが何かを包摂することはない。

完全無は「あらゆるすべて」を部分として持たない。

完全無は動的無限性も有限性も包摂しない。

完全無は何かと接触することはない。

動的無限性かつ夢幻性としての合わせ鏡、そのエッジにおけるフラクタル図形のような事象を内包することもない。

引き合う力と斥け合う力は、完全無という【理(り)】への手掛かりとはならない。

生を肯定する、死を肯定する、生の前を肯定する、死の後を肯定する、生きものを肯定する、生きものでないものを肯定する、宇宙を肯定する、宇宙でないものも肯定する、何をするのも勝手だ。

完全無はそのような肯定を否定することもない。

【理(り)】とは最終的には捨て去ってしかるべきものであり、完全無という概念も例外ではない。

そのためには人間独り独りが、独り独りの非哲学を持つこと。

ひとりひとりの哲学を信じることをやめること。

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」に対して答えを出すことによって「どのように『ある』ということを肯定するのか、そして、どのように『ない』ということを肯定するのか」という問いに対しても答えを出すことができるとしても、そう、たとえ何らかの答えを何者かが論弁したとしても、忘れること、聞き流すこと、それができるかどうかに掛かっている。

わたくしきつねくんの着眼点を信じようが信じまいが関係ない。

答えようとするプロセスそのものを示すことに意義があろうとなかろうと、世界そのものは、断ち切れない絆に嘆息するための筋肉を持たない。

このわたくしの哲学、それをわたくしは新しい思想である、という自負を持って、この作品というかたちでこのように語ってはいるのだが、似たような思想は現実社会において出現することがあるかもしれない。

しかしこれだけは言える。

極私的な実感は「学」を超える、ということを。

2014年あたりの、特殊で個的な(それは皆、誰しもがそうではあるのだが)死に至る病からのタナトフォビアが契機となって生み出されたこの思想を、他者が真似をしたところで、世界の【理(り)】の解読と抛棄に対する何の貢献になり得るだろうか。

思想の魂は嫌悪感を示すだろうが世界そのものはびくともしない、という冷やかしをたとえ考慮に入れたとしても、わたくしのこの思惟の企みは自尊に値するはずだ、と身勝手ながら思っている。

もちろん、魂などというけったいなものは、形而上学的-前-最終形真理のレベルにおいて珍重される代物に過ぎないので、本当はここで口にも出したくはないのだが、それではお話にならないだろうから、そこは我慢している。

哲学と呼ぶにはおこがましい、という理由でわたくしはわたくしの思惟を非哲学と謙遜しているだけではなく、あらゆる知への愛を放棄する、という意味合いにおいても「非」哲学と自ら呼称し得るものがこの思想には充満しているのではないだろうか。

そこを見極められる読者が現れることを切に祈っている。

理性による究極的な認識論的大転回以上の離れ業、それは形而下学と形而上学の鬼ごっこからの可及的速やかなる逸脱、つまり存在論の超越であり、そこからのさらなる非超越認、つまり無体感・無体験の「非」哲学的プロセスを皆さんの前に披露し続けていることにわたくしは喜びすら感じている次第なのだ。

わたくしなどは生意気で不遜な狐ではあるが、疑うことと考えること、信じることや無であること、また「学」的なさまざまな思惑を忘れることのできる存在者を目指しているという点では、世界そのものを無的に表すことのできる資格を有している、とは考えられないだろうか。

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