6章

 小説の目的について語るのを忘れてました。
 著者であるわたくしが小説の目的について読者に直接説明するというこのやり方に怒り心頭の方もいらっしゃるかもしれませんが、これは実験小説という一面も持っていますのでお許しを。
 普通、語り手がそんなことを言ったら本を投げ出したくなりますよね。特に紙の本で読んでる読者なら投げつけるのは鼻くそをほじるよりも楽でしょう。
 でもそんなことをしたら、この小説から、チビ、ウィッシュ、しろの三匹が外界に飛び出しちゃいます。だめですよ、そんないじわるは(笑)。
 投げ出すならば、小説に対するありきたりな固定観念にしていただくのが、賢明かと思います。

 ともかく、チビ、ウィッシュ、しろ、この愛すべき三銃士、崇拝すべき三位一体(キリスト教の教義の一つですね)、もしくは仏教における三宝(さんぽう)とも言うべき彼らをいかにチャーミングに小説に登場させることができるか、それかすべててす。
 全人類に通用するかわいさ、キュートさ、ラブリーさはこの世界に拡散すべきではないでしょうか。

ところでわたくしは小説を書いたことがありません。
詩狐ですから、詩を書くことに関してはそこそこ自信がありますし、在野の中の在野の哲学者としては己の思想には過剰ともいえる自信があるのですが。
まあ、一度小説を書いて一発当てたいと思い、というのは嘘で、少ない読者でも構わないのでチビたちのかわいさを知ってもらえたらな、という純な動機があるんだ、とチビたちにアドバイスを求めたところ、チビたちを単純にいっぱい登場させればいいじゃーんと、チビが月光を粉々にしたようなお目目でおっしゃった、というわけです。

 その瞳のきららな感じは今も私の野望を照らし続けてくれる、秒速三十万キロメートルを超えて事象の地平線の向こう側さえ見せてくれるありがたき波であり粒子であるのです。
 ではまた!
 わたくしきつねくんこと、詩狐(キリッ!)をこれからもよろしくお願いいたします。

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