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イコール編集長日記 批評とコラム

真崎守の全仕事を整理している。最中さんが土日や休日に事務所に来てくれて整理作業を続けてくれている。昼間、事務所に行って打ち合わせ。マンガの原画整理も貴重だが、真崎さんは、文章の達人だと思う。60年代にCOMで、峠あかねの名前でマンガ評を連載していて、その文章を読んでいた僕は、最初、マンガ評論家を目指した記憶がある。

COMは、マンガ界のもう一人の巨人である白土三平さんや、気鋭のつげ義春さんらを抱えるガロに対抗して、手塚治虫さんが作りたかったと言われている。その雑誌で、虫プロの社員であった真崎さんが、ペンネームで、同人誌や若手マンガ家の投稿を批評した。内容は、以下を見てください。
https://note.com/metakit/n/n524e323619bb

思えば、60年代は批評の時代だった。多くの批評家が活躍し、作品より批評の方が勢いを感じられた。平野謙の批評で近代文学を知り、橋川文三から日本浪漫派を知り、吉本隆明、谷川雁、桶谷秀昭、磯田光一、埴谷雄高らの批評家の文章でさまざな世界を知った。何より、批評家の文体は、物語作家の文章よりも、スリリングな魅力があった。70年代を過ぎると批評家の文章はつまらなくなった。

彼らが堕落したのではなく、批評と言う役割が、社会的意味を失ったのかもしれない。優れた批評家よりも、頼りなくても現実を実践する方が、少なくとも私には意味を感じた。

やがて現れてきたのはコラムニストである。60年代批評家が、自分の立場を理念で追求したのに対して、コラムニストは自分の感性から世界を眺めた。80年代90年だと、私もたくさんコラムを書いた。日経トレンディや、さまざまな業界紙で連載枠をもらった。日経新聞の夕刊で若者ウォッチングみたいなコラムを定期的に書いていた。

そして、インターネットがはじまり、ブログの時代になる。さて、イコールで、もう一度、インターネット以前の出版文化を、再追求するのだが、批評とコラムからはじめよう。まずは、コラムだ。次回の深呼吸講義は、コラム実践講座をやる。コラム書きたい人で、聴講したい人は、橘川まで、連絡ください。5回5日の20時からzoomです。

夕飯は中華。エビチリ。牛肉と筍中華炒め。

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