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しあわせの在り方

人によって”しあわせ”の定義は違うと思うのですが、昨日ふと「しあわせとは……?」と考えさせられる瞬間と出会いました。
自分の中に2つ説があるので、書き残しておきます。

育った環境の影響でしあわせを感じられない説

わたしは去年結婚して、至って普通に暮らしています。(心が死ぬときはあるけど)
まわりから「結婚してよかったね、しあわせでしょ」と言われるけど、そこまで毎日しあわせだ〜思ったことがないです。
「結婚=しあわせなもの」という定義がしっくりこないのです。
しあわせというよりも、自分はずっと結婚できると思っていなかったので、結婚できてよかったな。という気持ちが強いかも。

ただ、こうした時間がずっと続くとかも思えなくて、人はいずれ離れていくのだろうなとか、もしかするとひとりになる可能性もあるだろうなという気持ちも持っています。
普段からあまり”しあわせ”を感じていないと思うし、この先にこんな風に〜みたいな、想像?イメージ?をすることもないです。(籍を入れたり、結婚式をしたときはしあわせだな〜って感じたよ!)

結婚したてホヤホヤ(でもないか)で早速、パートナーと問題があるとかではなく(むしろ自分にもったいないくらいだと思う)、自分の生きてきた環境に「家族がしあわせ」というものがなかったから、うまく想像ができないでいるのだと思います。

家庭にいろいろあるけど、あまり意識しないようにしていたし、それが普通だったし、もうだいぶ時間も経ってしまったのでなんともないと思っていたけれど、考えてみたらずっと家庭不和の中で生きてきて、まだ傷が癒えていないんだな〜と気付きました。


父は普段、見た目はとてもいい人なんだろうけれど、実際はDV気質な人でした。
母に対して怒鳴ったり、喧嘩をすれば長いこと無視したり、すごく幼い時の記憶だけど、仕事から帰ってきた父はなぜか怒っていて、母が出したご飯を机ごとひっくり返し、洗濯カゴをぶっ壊して家から出ていきました。(帰ってきたけど・笑)
そのときの感情は今、わたしの中にないけれど、その瞬間を見たということだけは覚えています。
子供に対しても思い通りに動かなければ怒鳴るし、だいたい叩いておけば、子供はそれ以上悪さはしないだろうという人でした。
家から締め出される日もありました。蹴られたこともあったな〜。今思えば、虐待だったのかな?自分でもわからないです。それが日常でふつうだったから。
ついでにお金の使い方もわかっていなくて、いつも家計は火の車でした。

そしてわたしが中学生の頃に両親は離婚しました。家族は解散です。
それからわたしは母方の祖母の家に預けられるのですが、そこも決して良いといえる環境ではありませんでした。
ただ、両親と暮らしているときよりもお金に余裕はあったので、今まで火の車だったことを考えると、お金で心はすこし満たされていたと思います。

そういう環境で15年間くらい育って、でも今はそれから10年くらい経っているし、もうなんともないような気がしていたけど、今でもこうして思い出して書けるということは、意識せずとも自分の中にずっと、こびりついているのだとわかりました。
それが、最初の方に書いた、

ただ、こうした時間がずっと続くとかも思えなくて、人はいずれ離れていくのだろうなとか、もしかするとひとりになる可能性もあるだろうなという気持ちも持っています。
普段からあまり”しあわせ”を感じていないと思うし、この先にこんな風に〜みたいな、想像?イメージ?をすることもないです。

ここにつながっているように思います。

家族が仲良く過ごしていた記憶や経験があまりない、
両親が離婚して、パートナー同士のしあわせな様子を間近で感じることができていないため、自分でも感じられない、この先に今の状態で続いていくと思えない。

そこまで自分は不幸だと思っているわけではないけれど、まあしあわせにはなりたい。
だけど身内に家族みんなが仲良くしているひとや、そもそも成功経験がないから、しあわせの想像ができない、感じることが難しい。
ずっと仲良く暮らしていけたらいいけれど、両親の離婚を見て、イメージができない。どうしたら仲良くいられるのかわからない。
まわりから見てしあわせなことでも、わたしがしあわせだと感じられず、負のイメージに変換されるようになっているんでしょうね。

「結婚してるからしあわせ」ということ以外にも、わりとみんながしあわせ!と思える瞬間でも、もしかするとわたしはそう感じていないのかもしれないです。
へぇ〜って見過ごしているか、よかったね〜くらいの気持ちなのかもしれない。
しあわせという感覚に結びつくことが、あんまりないような気がしています。

これは昨日気づきました。
(旦那さんから「いつも俺に対してネガティブなことばっかり言われるし、いつか何事もなくしあわせな日が続いてても、良かったねとは言ってもらえないんだろうな」って言われて、わたしなりに考えた。いつもネガティブですみません)

という経験や環境の影響で、しあわせを感じることができてない、イメージすることができないよという説。

今がしあわせだから、しあわせだと感じられていない説

もう一つは、もしかして今が、めっちゃしあわせなのかもしれないけれど、めっちゃしあわせの中にいるから、しあわせだと思えない、感じられないでいる説。
これも十分にありえるなと思いました。

仕事うまくいっていないな〜とか、お客さんの相手疲れたなとか、髪の毛パッサパサで嫌だな〜とか、細かい悩みはあるんだけど、それで生活ができないとか、究極に不幸というわけではないです。

でももし何か悪いことが起きた時、例えば一気にお金がなくなって明日生きることさえどうするのか、みたいな状況になったとして、そのときにやっと「あぁ……あのときは、しあわせだった」と感じられるのかなと。

もしそうだとしたら不幸にならないとしあわせを感じられないって、なんだかなあ。

辛い状況にならないと、辛いを感じられないように
体調崩さないと、体調崩してしんどいを感じられないように
変化がないと何かを感じられない。

おなかいっぱいのときに大好物を食べたら、おいしいなーっていう、いつもどおりの気持ちになるけど
空腹時に大好物を食べると、もう最高においしいな!って、いつも以上においしい感覚を味わえるように、

ん?あれ?

しあわせも、普段の状況よりもよかったとか、いいことあった!とか感じられないと、しあわせだ〜って思えないようになってるのかな。(これ3つ目の説か?)

う〜ん。

もしかしてこれ、今、ふつうにしあわせでお腹いっぱいな状況?(笑)

なんというかきっとわたしは、何かと比べないとしあわせを感じられない、という感じなのかもしれないなあ。

追記:この「何かと比べないと」っていう部分、失ってから気づくという感じなのかもしれないですね。
できるだけそういうことは避けたいなと思うけど、なかなか避けられないものなのかもしれないなあ。

ひとに押し付けるものじゃないです

自分のために残しておこうと思って書いた記事なので、誰かに共感してほしいとか、こうじゃないの?と押し付けるような考えではないです。
あ、あと何言ってるんだ…?ってなったらすみません。
感覚的に伝えがちなので、伝わらなかったらすみません。

でもどうなんだろう、みんなはしあわせをどういう風に感じているんだろう?
いつかそういう話し合いができたら楽しそうだなあ。

とりあえず、思ったこと記録でした。

あ〜しあわせになりたいな〜。しあわせの中にいるのかな。


2020.8.13

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