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「じぶんと向き合う」について

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人類学に触れて同棲を決意した話

「そろそろ彼氏と一緒に住むんだ」 「え、うそ、彼すごいね」 周囲に伝えたとき、表現は違えどみんなの反応は同じだった。 「あなたに同棲を決断させた彼、すごいね」という意味だ。 そう、彼はすごいのだ。 28歳の独身が、4年近く交際した人と一緒に住むのは、世間一般から見たら自然な流れと捉えられることも多いだろう。 私に対する反応が異なるのには、当然理由がある。 ひとりでいるのが大好きだからだ。 「一番の仲良しが自分」みたいな感覚で、ひとりは最高に楽しい。 喜んだり、

大丈夫かもしれない、という希望

約半年ぶりにcotreeでカウンセリングを受けた。 根本的な悩みというのは、ここ10年近くずっと変わっていない。「このままの私ではいけない、もっと頑張らないと」と思い続けるのが辛い、という話だ。 何か成し遂げたい目標があるわけではないし、高級なものが欲しいとか、いいところに住みたいという欲もそんなにない。自分で稼いで、きちんと自立して暮らしていければ十分だと思っているはずなのに、どうしても罪悪感や焦りがある。何があれば満足なのかわからなくて、どこに向かって走ったら良いのか

「人の役に立ちたい」と思ったら、一旦落ち着こう

私は、自信がなくなったとき、人の役に立つことでその穴を埋めようとすることがある。 人が嫌がることをすすんで拾ってみたり、自ら些細なことの犠牲になったりして。「役に立てているし、存在してもよいだろう」と安心したいのだ。 しかし近頃、この一連の行動が安心につながったことはない、という残念な事実に気づき、また自分の浅はかさに呆れている。 冷静になってみれば、そらそうだ。 「あの時のあれのおかげでうまくいっている!」なんて絶対にわからないのだから。 そういえば、世の中ってそ

ていうか、人生にたいした意味なんかなくていいのかも

私には、夢や目標がない。 夢や目標がないなら、せめて人の迷惑にならないようにしたいのに、仕事で大活躍するわけでもない。 何も成し遂げられないのに、何を成し遂げたいかも分からないのに、私が何かを楽しむなんておこがましいと思っている。 友人に誘われて行く旅行では、楽しみながらも思ってしまう。 「これって人生において意味あるのかな。他の人よりも出遅れているのに、こんなことしてていいのかな。」 コメディ映画を見ると、たっぷり笑ったくせに、なぜか悪いことをした気持ちになる。 「

やりたいことがない私は、幸せになれない

「やりたいことがないから、幸せにはなれないんだ」 「やりたいことを見つける努力をしてこなかったから、幸せになる資格はないんだ」 ずっと、そう思ってきた。 世の中には、やりたいことを見つけて、仕事にしている人がたくさんいて(いるように見えて)、嫉妬が止まらなくなることが多々ある。 「私だって!」と、未来を変えたくて彼らを真似しようとしても、彼らほどの熱量がない自分に気づくだけ。 過去にヒントを求めて振り返っても、大した事件がない、平凡な人生にがっかりするだけ。 『彼ら』

助けて!過信と期待の違いがわかりません!

仕事のことを考えると、 なんでここまでしか出来ないんだろう…もっと頑張らなくちゃ… といつも思うのです。 社会人6年目、途中で転職をしていますが、前職でも現職でも常に思っています。 「辛いかもしれないけど、もっと頑張れ!やれるよ!」って自分を応援しているのだと思っていました。「大丈夫、やれるよ、頑張れ」と自分を保ってきました。 でも近頃、「頑張って自分はこのくらいなんだ」ってできない自分を受け入れられないだけなのかな、と思うのです。「私はこんなはずじゃない、もっとやれるん

過信と期待の違いが分からないので、カウンセリングを受けてみました!

生まれて初めてオンラインでカウンセリングを受けてみたので、その記録です。 きっかけはこの記事。 自分が存在してよいのだとどうしてもこんなに自信が持てないのか、自信をつけるためには頑張らないと、とずっと思って頑張ってきたつもりでしたが、いや、まてよ、手に入らないものを永遠に追い続けているだけなのでは?逆に調子に乗ってない?と思い始めた、という話でした。 青い鳥を追い続けてこのまま人生が終わりそうで、恐ろしすぎて震えている今日この頃です。 これまでずっと悩んできたことだか

そもそも悩んでいるポイントがズレてる説

最近は初めてのオンラインカウンセリングで話した内容をずっと考えています。 ああでもない、こうでもない、と考えるのが好きなので、とても楽しいです。 どうして自分はこんなに何もできないんだろう、と思っていて、自分の能力を過信しているのではないかと疑い始めていたけれど、どうやら本来の保有スキルと自己認知に差があるか、とかそういう話ではないようですね。 確かに、もしかしたら能力以上のことを自分に期待しているのかもしれないけど、結局のところそれはどうでもいい…というか誰にも分から

ねえ私、本当は変わりたくないんじゃない?

積み重ねてきた思考のクセで、人からの見られ方や評価を基準にこれまでいろいろなことを判断して生きてきました。 私にとっては、以前の自分と比べてどれだけよくなったか、進みたいところに近づけているのか、という視点ではなく、誰に勝ったのか、誰かに称賛してもらえたのか、という視点が一番大事なんです。 でも、あまりにもどうにもうまくいかないと感じているうちに、そもそも他人はコントロールできないということ、このままでは自分に満足し、受け入れられるようになることはないと気づきました。コン

必要なのは自己肯定感ではなく自己効力感なのかもしれない

【自己肯定感】どんな状態でも「自分はかけがえなのない存在だ」と思えること 【自己効力感】何かの目標に対して「自分ならきっとやれる」と思えること こんな感じで捉えています。意味が合っているのか少々不安ですが…。 自己肯定感が低いと消えたくなってしまうことがあるし、辛くなってしまうことも多いので、考え方とか捉え方を変えたいとよく思います。自分はこのままでよいのだ、と思えるように。 でも「どうせ変われないよ、今までも変われなかったんだから」という自分がいつも邪魔をしてくるんで

その悲しみは、無知から来ていないだろうか

学生時代、どの科目であっても授業で内容を理解するのが苦手でした。 勉強そのものは苦ではなく、一人で教科書と向き合って勉強すればなんとか分かることが多かったのですが、授業には集中できず、頭に入ってこない。家に帰ってから、結局、一人で理解するところから始めるので、他の人よりも時間をかけないと人並みになれないことに悩んでいました。こういう方、いらっしゃいませんでしたか。 当然、社会人になってもこの要領の悪さは変わりません。 優秀な同期とあまりにも理解のスピードに差があって、そ

強みとか弱みとか、その前提がそもそも違っている?

「人には強みも弱みもあるけど、強みを生かせばいいんだ!」とか「弱みも個性だ!」とか、何度も思おうとしたけど、とんでもなく難しい。 自分に自信がない人が、自分に自信を持たせるために「私には弱みがたくさんあるけど、強みだってあるはず!」と強みを探そうとすると、より一層辛くなる。 そもそも自分は何かをできる人間だと思っていないのだから、どんな要素も弱みとしか思えない。 強みを探そうとすればするほど、弱みがどんどん増えていく感じがする。 結局、いつまで経っても冷静に自分という

悩んでいるのではなくて、ただ暇なだけなのでは…?

「なんか私って、めちゃめちゃ暇人じゃないですか…?」 「あ…気づいちゃった?」 いつも通り、上司と業務上の悩みや今後のキャリアについて話をしていたときに、自ら言ってしまった。 人からの見られ方を気にしたり、じぶんにはあれが足りない、これが足りないと考える。いつもじぶんのことばかり考えていて、驚くほど暇人なのではないかと。 「まあでも、そういう時期なんじゃない?」 気をつかってくれたのか、面倒になったのかは分からないが、優しく終わらせてくれた。 でも、もう私の頭から

自己肯定感をあげるなんて無理

「私はこのままではいけない」「存在することが迷惑をかけてしまう」と思い続けるのは辛い。 だから、どうにかして自己肯定感を上げようとする。 毎日、帰りの電車でその日できたことをなんとか思い出して、自分を褒めてみる。 自分を好きになれるように、仕事で成果を出そうとがむしゃらに頑張ってみる。 失敗したとき、次に生かせばいいよ、と自分を励ましてみる。 でも「やっぱりだめな私」がどうしても気になる。できたことを振り返っても、他の人との差に落ち込んだり、「てか、そもそもできない私を