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機嫌よく病院にいられる人間になりたい

病院にいる時の私は機嫌が悪い。これがマンガだったら、確実に顔の横に「ブスーッ」「ムスーッ」という描き文字を入れるところだ。

この癖治したいなあ、と最近よく思う。

当方、出産予定日までいよいよ10日をきった妊婦である。当然ながらこの数ヶ月は、近年まれにみる頻度で通院していた。頻度が高いだけでなく、とにかく滞在時間が長い。毎回軽い本を一冊読めてしまうくらいだ。

で、しょっちゅうかつ長々と病院にいると気になるのが自分のこの、病院にいると機嫌が悪くなる癖のことなのである。

待ち時間のせいではない。私の場合、病院について2分後にはもう機嫌残高が尽きているのだ。おかげでものすごく暗い顔になる。声も電話営業を断る時くらい低くなる。もちろんスタッフの指示には従うし最低限の礼儀は守っているつもりだが、コミュニケーション上の機微が「無」になってしまう。

不機嫌でいると自分でも疲れるのでそろそろやめたいが、これがどうも難しいのだ。抗えないくらい自動的にこうなる。


なんでこんなことになってしまうのかを改めて考えてみると、原因は明らかに子どもの頃にある。


私は今でこそわりと元気に暮らしているが、子どもの頃はずっと病気がちだった。生まれた瞬間から各種小児疾患の塊で、物心ついた頃からは常に皮膚や呼吸器官のトラブルにまみれていた。

少し走れば発作、少し人混みに近づけば発熱、少し食べ慣れないものを食べれば湿疹。抗生物質を注射して、副作用で死にかけたこともある。

おそらく発達の問題もあったのだろうが、あらゆる刺激に弱く、異様に疲れやすい子どもだった。親は大変だったと思う。

そんなわけで必然的に、私は毎週、習い事のような勢いで病院に通うことになったのである。

連れて行く親も手間だっただろうが、子どもにとっても病院は基本的につらい場所だ。ただでさえ体調は悪いし、大人に身体中いじくり回されるのも愉快でない。山ほど通院していればとんでもない医者や看護師にも遭遇する。子どもだと自分の感じている不快を説明する語彙もまだ多くないので、ただただなんとなく気持ちが悪い、腹立たしいという時間が続く。

五感が覚えているのだ。あの独特な薬の匂い、待合室の人々のどんよりした退屈から発される囁き声や咳の音、子どもをコントロールするためのスタッフの猫撫で声。すべてが私に、無力と不自由と、生き物としての脆弱さを感じさせた。

さらに小4のときには、父親がくも膜下溢血で病院に運ばれ、植物人間状態を経て死ぬという一大イベントも起きた。脳死した父に会いに真夜中の総合病院に行ったときの記憶は、おそらく私の中の「病院」のイメージの根幹をつくっている。

大学生になると今度は過労による免疫低下で発熱や全身の蕁麻疹を繰り返し(めちゃくちゃな量のバイトをしていたためだ)、病院に駆け込むことが何度もあった。この頃が人生で一番不健康だったかもしれない。

「あんたの免疫力は7歳児並みだなあ。働くのは向いてないよ。早いとこ嫁にでも行った方がいい」

大学3年くらいのとき、ある病院の年寄り医師に診察でそう言われたことがある。自分でも虚弱だとわかっているだけに、悔しくて腹が立って半泣きになった。

幼稚園のときからずっと変わっていない。みんなのように出来ないことが山ほどある上に、人より頑張ろうとするとまるで罰のように酷い目に遭う。これではいつまで経っても何もできやしない。お金だってどんどん余計に出ていく。健康で頑丈な人間にさえ生まれていれば、こんな惨めな思いはしなくてすんだのに……。

私にとって病院とは、いつもそういう気持ちを噛み締める場所だったのだ。小さな頃から積み上げてきた無力感に加えて、成長するごとに時間やお金を奪われる恐怖がトッピングされた。生まれてから長いこと、私にとっては自分の身体こそが人生の敵で、病院とはその敵にいびられる場所だった。

もちろん前述の通り、今の私はそこまで虚弱ではない。「どうせ私は病弱だから」と思うのをやめて体質改善に励んだことで、実際にかなりの改善があったのだ。今もいろんなことに気をつけて暮らしているので、むしろ健康的な方ですらあるかもしれない。

だけど今でも病院に行くと、過去の鬱屈が蘇ってくるらしいのだ。自分は駄目だ、欠陥品だと思わされていたときの感覚に覆われてしまう。そしてブスーーとなる。記憶の蓄積とは恐ろしい。


と、過去の嫌な病院メモリーを書き出していてふと思った。

今までになかったような良い思い出が加われば、もう少しこの意識も変化したりしないだろうか。

そういえば30年前のちょうど今頃、新しく生まれた弟を見に、妹と病院に行ったときは楽しかった気がする。母のベッドの周りや、個室の外の廊下ではしゃいでキャッキャと笑い合っていた記憶がある。肝心の弟についてどう思ったかはあまり覚えていないのだが。

病院で、あんなに楽しい思いをしたのはあのときくらいだったんじゃないだろうか?

順調にいけば、私ももうすぐこの病院で新しい人間に会える予定になっている。かなり痛い目に合う予定も同時に立っているのが難点だが、少しは病院がらみの明るい記憶が増えるかもしれない。


※この記事は、診察の長大な待ち時間に書きました。

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