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7歳の私を変えたチューリップ事件

 チューリップが見頃の季節が近づくと、毎年思い出すことがある。

 私が初めて身近な他人の表現に強い衝撃を受け、ものの見方までがらりと変わってしまった日のことである。生まれて初めて”芸術”の力に触れた瞬間、と言ってもいいかもしれない。



 あれは、小学二年の春のことだ。

 私たちのクラスは図工の時間に、校舎と校舎の間にある中庭に連れ出されていた。花壇の花を描く、というのがその日の課題だったと思う。八つ切り画用紙に画板、鉛筆にクーピーが私たちに与えられた画材で、目の前に広がる花壇には、パンジーやチューリップがそれなりの本数で咲いていた。

 私は、チューリップの植わっている花壇全体を描くことに決めた。

 ちなみに当時の私は、「自分は絵が上手い」と何の疑いもなく信じるお調子者であった。幼稚園の頃から、絵のうまさを褒められる機会がやたらと多かったからだ。
 私は意気揚々と構図を決め、ひとまず画面下部を覆う花壇と、チューリップの列を鉛筆で描き始めた。赤や白、黄色とはっきりした色の花弁を天に突き上げるチューリップは、私の好きな花だった。その花々を詰め込んだ花壇全体を描けば、画面が賑やかになってさぞきれいだろう。

 すると、ふいに隣の子が私の絵を見て、ぼそりと言ったのである。

「チューリップって、そんな形じゃないと思うよ」

 同じクラスのCちゃんだった。髪が短くて背が高く、ボーイッシュな雰囲気の女の子である。特別仲がいいわけではなかったが、絵の好きな子だという認識はあった。
 彼女は自分の画板を抱え込んで、覆いかぶさるように顔を近づけて鉛筆を走らせていた。

 そんな形じゃない、ってなんだろう。

 Cちゃんの言葉に戸惑った私は、彼女の画板の内側をのぞきこんだ。画用紙には、彼女の手で一本のチューリップが描かれつつあった。


 その時に見た小さなスケッチが、私の世界をひっくり返した。


 おおげさに聞こえるだろうけれど、本当にそのくらいのインパクトがあったのだ。

 何が衝撃だったかというと、彼女の描く花の輪郭がほぼ”四角形”だったことである。

 私たちの前に並んでいたチューリップは、一重咲きの一般的な品種だった。少し盛りを過ぎつつあるのか、花弁の先がやや開き、湯呑み茶碗のような形になっている。Cちゃんはその形状を紙の上で再現しようと、何度も何度も消しゴムを使いながら、かなり神経質に鉛筆を使っていた。

 一方、私の描いたチューリップはというと全然ちがった。それは花の底が丸くて上に向かってややすぼまり、花弁がトゲトゲと山形を描くアレ……つまり、「チューリップのイラスト」と聞いて人がまっさきに思い浮かべるであろう形の絵だったのだ。
 そんな自分の絵とCちゃんの絵とを見比べて、私はまさに雷に打たれたように理解したのである。

 たしかに、今ここにあるチューリップはこんな形じゃない。
 本物は、Cちゃんが描くような四角い形をしている。
 私は今、「チューリップの絵の絵」を描いていたんだ。
 目の前の花の形なんかまったく見ていなかったんだ!

 もちろんまだ7歳だったから、こんなに言語化された思考ではなかった。でも、頭の中を貫いた理解はまさにこういうことだった。

 幼いなりに、自分の絵の”出どころ”が私にはすぐわかった。好きで読んできた絵本や漫画の類である。私は、今この瞬間目の前にあるものを観察した結果の脳内イメージではなく、いつかどこかで見てきたものの積み重ねのイメージを、何の躊躇もなく「目の前のチューリップを模した絵」のつもりで絵にしていたのだ。

 ショックだった。
 自分が目の前のものを見ていなかったという事実が。
 何より、「Cちゃんはそれをやろうとしている」ということに打ちのめされた。

 Cちゃんは筆が遅く、たった一株のチューリップの花弁だけをいつまでもいつまでも書き直していた。繰り返し消しゴムをかけたせいで、画用紙の表面が毛羽立ち、うっすらグレーがかっていた。
 しかしそれは、彼女が目の前にあるものを正確に描こうと努めていることの証なのだ。

 ひたすら花弁の形を見つめ、自分の見たものを、見たように紙の上に再現しようと集中すること。
 それは私の、「何も考えずにチューリップだと思われやすい絵を描く」行為とは根本的に違う気がした。
 私はその違いを、とてつもなく恥ずかしいことのように感じたのである。


 さっきも書いたように、それまで私は「絵が上手い」つもりでいた。

 親もクラスの担任も、私の絵のことはいつも褒めてくれる。自由帳に絵を描くと、クラスの子たちからもじゃんじゃん賞賛される。絵の仕事だって将来できてしまうかもしれない。

 そのくらいつけあがっていたところにこのチューリップ事件である。これを機に、私の鼻はポッキリ根本から折れた。もう自分の絵が上手いなんて思わなくなった。

 その後も変わらず絵を褒められ続けたが、湧き上がるのは自分が何かいやらしい嘘をついているのではないかという恐怖ばかりだった。絵を描いている最中に人が後ろから覗き込みにくると、恥ずかしくて絵の上に体を投げ出して隠した。

 お前ら何もわかってない。

 当時の私の語彙にはなかったものの、そんな苛立ちと屈辱でイライラした。
 私の絵は上手くない。上手く見えてしまっているだけだ。

「主観はいい加減なものだ」という発見を、幼い私はうまく扱えないでいた。主観が信用できなくなったが、かといってどうしたら”思い込み”抜きで良い絵が描けるのかはさっぱり見当がつかない。「正確にものを見る・表現するとは何か」という問いもまだ立てられない、印象派やら写実主義やらといった理屈のことも何も知らないお年頃である。

 しかしCちゃんは、私のそんなチンケな苦悩とは無縁の、生まれながらの芸術家に見えた。

 彼女は図工の時間になると、毎回時間をかけて自分が納得のいくまで絵の下描きをした。時間内に描き上がらなくてもかまわないみたいだった。自由帳には「ドラゴンボール」の絵の模写をしていた。筋骨りゅうりゅうの男性の立ち絵を描く女の子なんて、クラスにはCちゃんしかいなかった。

「Cちゃんってば、人の絵の肌を茶色とか黄土色で塗るんだよ! はだいろで塗らないの。変なの!」

 ある時、ひとりの女子がCちゃんのいないところでそう言ったことがある。周りの女子はその子の発言に同調したが、私は黙ってまた衝撃を受けていた。チューリップ事件を経ていた私にはCちゃんのやっていることの意味がはっきりわかったのだ。

 私は自分の腕を見た。
 日に焼けた肘側の肌を見、それよりはやや薄い色をした内側の肌を見た。

 チューリップがトゲトゲの形をしていないように、肌は「はだいろ(※当時はまだこの言葉が使われていた。のちに「ペールオレンジ」などの名称に変わっていく))」をしていない。私の実際の腕に、「はだいろ」と近いところなんて全然ない。

 私たちが人物絵の肌を「はだいろ」なる色で塗ろうとするのは、世間に出回るイラストがそういう色を採用しているからにすぎない。これもまたイメージの産物、私たちが疑わずにスルーしている前提事項なのだ。Cちゃんはその前提にとらわれず、実際の肌の色を再現するために試行錯誤しているのだ。

 イメージにとらわれずに絵を描こうとしているのは、このクラスではCちゃんだけだ。彼女だけが、私たちと別の目を使って絵を描いている。なんでみんなそれがわからないんだろう……。

 誰にも、Cちゃんにさえ言わなかったが、私はずっとそう思っていた。淡々と、コツコツと鉛筆を走らせ続ける彼女が、私にはいつまでもまぶしく見えた。


 チューリップ事件から、軽く30年もの月日が経つ。
 その間にはいろんなことがあった。親が死んだり家庭が困窮したりといったライフイベントもそれなりにあったし、素晴らしい文学や芸術作品に巡り合う幸運もあった。しかし、Cちゃんのチューリップほど私のものの見方を一気に変えた”作品”はほかにない。

 歳を重ねて、それまでより少しものを考えるようになる度に私はこのことを反芻した。何回思い返しても、このときのショックからは学べることが多かった。

 人は、気づかなければどこまでも思い込みの中で生きるということ。
 その思い込みとは、人それぞれがそれまでの人生で取り込んできた、あらゆる情報の混合物だということ。
 そして、自分以外の誰かの創造したものこそが、思い込みという薄くて硬い壁の向こうに広がる、広くておっかない世界を予感させてくれる鍵だということ……。

 表現と人間の関わりに関する、あらゆるヒントを私は弱冠7歳で受け取っていたのだな、と今でも思う。
 この経験がなければ、私はもう少し長い間、絵に関して天狗でいられたかもしれない。でも大人になってからは、このとき折れた鼻を私は何よりのギフトだと考えるようになった。

 ちなみにCちゃんとは、私が三年進級時に転校したことで離れ離れになっている。

 が、同じ市内での転校だったために、Cちゃんの進路も時々人伝に聞こえてくることがあった。高校生のときには「美大を目指しているらしい」という噂を聞き、当然だと深く頷いた。彼女の目は画家の目なのだ。

 そして今から10年前、27歳のときに、私は日本画家になった彼女と再会した。FBで連絡を取り、展示を観に行ったのだ。

 彼女は見事な絵を描いていた。素晴らしい彩の鳥や魚たち、肉に包まれた骨の形まで見えるような生命感。

 ああCちゃんの絵だ。これは間違いなく、Cちゃんの描く絵だ。

 20年も彼女の絵なんか見ていなかったのに、私にはすべての絵が強烈に懐かしかった。魚の絵にも鳥の絵にも、”あのときのチューリップ”の小さな鉛筆画が潜んでいるようだった。正確に自分の見ているものを写し取ろうと、丁寧に鉛筆を走らせていた彼女の指が生んだ世界だ。

 もうかつてのような自分への失望を伴うショックはなく、彼女の視点の鋭さに、心地よく痺れるばかりだった。


「Cちゃんの、『チューリップはそんな形じゃない』って発言は本当に衝撃だったんだから。この人は天才なんだ!って思った」

 在廊していたCちゃんと言葉を交わす中で、私はふとチューリップ事件の話をしてみた。Cちゃんはさすがにその時のことは覚えていなかったが、うふふと笑ってこう言った。

「それはさ、私が普段親に言われていることを言ったんだと思う。水って水色じゃないよね、とかよく言われていたから」

 それからこうも言った。

「小池さんの描く線が綺麗で、これどうやってるのかなーって思いながら見てたんだよ」

 20年ぶりに、私はまた自分のしょうもない思い込みに気付かされる。
 自分だけが一方的にCちゃんの絵を見ていたはずだと、なぜか私は信じきっていた。
 Cちゃんの方も人の絵を見ていたんだな、そりゃそうか。

 そしてただただ彼女の慧眼に打ちのめされいじけていた私と、人の絵を見ながら「どうやっているのか」を考えていたというCちゃん……。

 やっぱり根本的に違う、全然違う、と可笑しくもなったのである。




 人の目は基本的に節穴だ。

 人のことばかり見て、自分のことはよくわからない。
 自分の脳内ばかり見て、目の前のものを丁寧に見ない。
 スマホの表面ばかり眺めて、そこで得た情報のことを真剣に考えない。

 私も、三十年以上生きているにもかかわらずそんなことの繰り返しである(大変お恥ずかしい)。
 きっと大昔から私のような人間ばかりだったのだろう。聖書にも、「お前ら、兄弟の目に入ったおが屑のことばかり気にしてるけど、まずは自分の目の中の丸太に気づけよな偽善者」といったくだりがある(マタイによる福音書)。

 これは、人間の機能の限界的に仕方がないことでもある。思い込みが完全除去された、パーフェクトにフラットな人間の精神があり得るかというとちょっと想像を絶する。

 でも人生は長いのだから、少しずつでも自分の思い込みの外にあるものを見にいきたい、と願う気持ちはやはり捨てきれない。
 そんなものが”本当に”あるのかという哲学的な議論はさておき、「ある気がする」と思わせてくれる芸術や、それを生み出す力強い人々が存在するのはたしかだ。


 社会にいまだはびこる暴力も差別も戦争も、細かく見ていけば、小さな思い込みの掛け合わせが生み出し駆動させているものだったりする。
 だとすれば、卑小な私たちが自分の思い込みを乗り越えようとする努力も、決して無意味なことではないはずだ。


 今年もまた、どこかの公園のチューリップを見に行こうかと思っている。
 日々思い込みに流され囚われていく自分への戒め、そして未知の世界への憧れを忘れないための鼓舞として。

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。