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子どもを産んだ。

8月の上旬に子どもを出産した。36歳、初産である。

お産はまあまあ大変だった。陣痛がだいぶ進行したあとに子どもの首に臍の緒が巻きついてしまい、全然出てこなくて分娩までの時間が長引いたのである。普通分娩だったので痛みを緩和する術もない。結局長時間絶叫しながらのたうちまわったあげく、吸引だ圧迫だといろんな処置を重ねてようやく分娩に至ったが、端的に言って死ぬかと思った。『幽遊白書』の霊光玉継承の儀式を思い出した(古い)。

そんなドタバタ出産ではありつつ、生まれてきた子どもはありがたいことにとても元気である。先日の一ヶ月検診も、私とともに問題なく終えられた。日に日に身体が大きくなり、授乳量も活動量も加速度的に増えてこちらは大変だが毎日楽しい。


振り返れば、34歳の秋に不妊治療を始めてからちょうど2年。ようやく、ここまでの緊張感や強迫観念が薄れてきたように思う。

不妊治療中はホルモン剤の影響で体調も精神状態も悪かったし、妊娠中は妊娠中で当然気が張っていた。そしていざ産んでからは、お産のダメージが辛いのに加えて、「私のうっかりで、このか弱い生命体を死なせるわけにはいかない!」という緊張が絶えなかった。最近になってやっと、のんびり子どもを可愛がったり、短時間ではあっても自分のことに集中するゆとりが生まれてきた。

今考えるのは、子どものことを除くと、やはり今後の自分の生き方について。

この2年〜3年は、一連のライフイベントにリソースをかなり振っていたために、仕事やなんかの優先順位をそれ以前より下げた。それまでの私だったらやったであろうことをやらず、やらなかったであろうことをやった場面がいくつもあった。

今後はおそらくそのツケを払わなければならないし、これまで以上に的確な努力をしないと、理想の半分も実現することはできなそうである。女が仕事と出産・育児を平行させようとすると高確率で突き当たる問題に私も凡庸に悩んできたし、今もそれは進行中だ。

ただ、発生したのは悪い意味でのツケだけではないとも思う。

子どもは可愛い。これまでに私が手にしてきた何よりも愛おしい。子どもが可愛すぎて泣けてくるときなど、「この感情をどうすればいいんだ!」と戸惑う。

この戸惑いは普通に重苦しいし、時には恐怖でさえある。でももうこの感情がなかった頃には戻りたくない。これがオキシトシンの爆発による生理的な情動に過ぎないのだとしても、この感覚こそが私の新しく得た、私以外の誰にも損ねることのできない内面の宝なのだ。

ここまでにサボってきてしまったあらゆる物事と、新しく手にしてしまったこの恐ろしい感情は、私にとって決して等価交換の関係にはならない。だけど新しく増えたこの可愛く重苦しい荷物をテコに、これからもう少し、今までとは違う形で頑張れるんじゃないかという気がしている。これも何かしらのホルモンによるハイがもたらす感覚かもしれないから、慎重に進めたくはあるけれど。

今後が猛烈に不安で、そして心から楽しみだ。こんな冒険と引き合わせてくれた子どもには感謝しかない。

noteも改めて頑張ります。


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