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グリム童話は、本当に恐ろしいのか?

イントロダクション

これまで掲載してきたものを見ていただければ「こいつ、本当に昔ばなし好きなんだな」と、感じ取っていただけるかと思いますが、こうした話。何かの集まりで初対面の人と「どんなことしてますか?」「趣味ってなんですか?」みたいなやり取りで触れると

「昔ばなしの研究とかしてるんですね!!昔ばなしって本当は怖いんでしょ?ほら、白雪姫ってお父さんと肉体関係を持っていたりとか、王子様って、実は、死体愛好家(ネクロフィリア)だって書いた本もあったじゃない?日本の昔ばなしも、すっごい恐ろしかったのを子供の教訓話のために、内容を薄めたって聞いたことがあります!!」

と、言われることが、そこそこの頻度である。今回は、それについて少しだけ話をしていきたいと思う。

書籍によって与えられた大きな冤罪

まず、話を聞かれるTop3に入る「白雪姫は本当に恐ろしいのか?」については、それに関しての動画をYoutube上に「ゆっくり解説」として配信しているので、興味のある方は見ていただけると幸いです

(現在、最終回の編集をしているので、完成した際は改めてお知らせしたいと思います)

それでは本題に入っていきたいと思う。「グリム童話は本当は恐ろしいのか?」という質問に関しては、「YES」 確かに、恐ろしいと感じる部分はあると思う。
しかし、その恐ろしいという部分が、巷で言われている「近親相姦」や「特殊な性癖」というようなものを指しているのであれば、その答えは「NO」だとハッキリと述べたい。

では、どうしてそのようなことが流布されているのか?答えはいたってシンプルである。

本当は恐ろしいグリム童話  著:桐生 操

すべてはこの書籍から始まったと言っても過言ではない。そう、いまから20年近くまえに出版された「本当は恐ろしいグリム童話」である。多くのかたがこの書籍に書かれたことを元に

「〇〇って話は、実はこういうことなんですよね?」
「△△は、じつは、こういう裏の意図があるんでしょ?」

と尋ねられることがある。まず、ここでハッキリと言っておきたい。この書籍の物語と言うのは、確かにグリム童話に掲載されている話ではあるが、あくまで、それを下敷きに書かれた「二次創作」に過ぎない。

確かに、そういった手の入れられ方がされていない物語も収録はされている、例えば「KHM047 ネズの木」(KHMは Kinder-und Husmarchen の略語で、グリム童話の正式名称「子どもと家庭の昔ばなし」のことを指す。それの47番目の話)という物語も「本当は恐ろしいグリム童話」の中に掲載されている。
しかし、その中身に目を通してみると、情景描写が細かくなっているが、原著とほとんど変わっていないのである。

(あらすじ:継母に継子(男)が虐められ、その子は事故で死んでしまう。そして、その肉体を、継子の実の父親に食べさせ、骨はネズの木の下に埋める。その後、ネズの木から鳥が現れ、継子を殺したのは継母だと呪いの歌う。継母は死んでしまうが、継子は蘇り、父親と継母の子である妹と幸せに暮らす)

つまりこれが、先ほど述べた「グリム童話は恐ろしい話なのか」という問いに「YES」だという理由になる。しかし、この場合の恐ろしいという事に関しては、継母が継子に対して行う行為や、その事後処理に関し、人間としての闇の部分がすべて語られていて「恐ろしい」ということであって、そういったものでは一切ない。

では、性的描写に関するような話がないのか?といったら、一応、あることはあるのである。

そこに「愛」はあるのか?

見出しが、どこかのCMのようになってしまったが、気にしないでいただきたい。気を取り直して本筋に入ろう。
まず、グリム兄弟は「とあること」に関して、特に注意し、物語を修正、または掲載することを取り下げている。

この「とあること」というのが「近親相姦」や「婚前交渉」である。
グリム兄弟はドイツ出身であり、彼らの生活圏はキリスト教である。キリスト教では、近親相姦や婚前交渉に関して厳罰化している。つまり、彼らの手によってリライトされた童話集であるグリム童話のなかに、こういったものは残ることはない。はずなのだが、実際のところは初版本の中に、いくつかそれが残ったままの状態で掲載されている。

この問題でよく例題で挙げられるのが「ラプンツェル」である。


Illustration von Walter Crane, 1920

塔に住む、長い髪を持った少女が出てくる話で、ディズニープリンセスとしても有名である。それで、問題となる場面、グリム童話初版には、こんな事が書かれている

(妖精に内緒で、王子と一緒に遊んでいたある日)
「名付け親のおばさん、最近洋服がきつくなってしまったの。どうしてかしら?」

このあと名付け親のおばさんは「この罰当たりが!」といって、ラプンツェルを塔から追い出してしまう。そして、彼女は双子の子供を産むこととなる。もうおわかりだろう。そう。ラプンツェルは会いに来ている王子と、性的肉体関係を持ち、そして妊娠。結果、お腹が大きくなった。体型が変わった。ということで「洋服がきつくなった」と言っているのである。

どうして、キリスト教圏内で禁止されている「婚前交渉」に関する記述がされているのか?
まず、知っていただきたいことは、グリム兄弟がどういう意図を持って「グリム童話」を編纂したのか?ということである。彼らは単純に、物語を収集し、それに手を加え物語集として発表したわけではないのである。

グリム童話誕生までの歴史をここで語ると、とても3万文字では足らないような膨大な量になるので、結論からいうと、彼らは語り部たちから収集した物語のなかに、「ゲルマン民族の歴史や風習、風土、思想」そういったものが息づいていると感じ取った。
(正確にはドイツの物語では他国の物語も入っているが、今回は、摩擦係数は0とする。と同じように一旦無視していく)
実は、「子供と家庭の昔ばなし」には物語一つ一つに注釈が添えられており、単なる物語集ではなく「ゲルマン民族」の貴重な資料として、歴史遺産として出版したのである。

しかし、そういった意図を汲み取れる人はほんとごく僅かで、キリスト教で禁止されている行為や、実の母親が子供を遺棄する話などが掲載されていることに世間からは批判の声が止まらず、二版以降はさらに手を加え、ラプンツェルが妊娠している描写や、ヘンゼルとグレーテルを森に置き去りにした母親は、継母へと変更されていったのである。

では、改めて問うことにしよう。グリム童話は本当に恐ろしい話なのだろうか?
グリム童話とは、グリム兄弟が創作した物語ではない。語り部たちによって語られていたものを、彼らが読み物語としてのフォーマットにリライトしただけであって、この物語が誕生した裏側には、ゲルマン人の文化や歴史があるのである。では、世界中の歴史をみて残酷ではないことなどあるだろうか?
むしろ、無いほうが不自然であるし、そんなクリーンな世界史を見たことがない。つまり、グリム童話のなかの物語が残酷だということは、それは、人類史のというものが、そもそも残酷という土台の上に乗っている。残酷というものを乗り越えて今があるということである。

だから、ラプンツェルが王子と婚前交渉を行うことが、穢らわしいとか卑猥だとか、そういう事を言うほうが、実は感覚としては間違っているのではないか?愛し合う者同士が、その時代の社会的ルールというものさしに当てはめて、優劣を決めることのほうが残酷なのである。

昔ばなしは残酷である。これは変えることのできない事実である。しかし、それを見て「残酷だ」と感じていられる私達は、いろいろな側面から見ても幸せな環境下にあるということを、昔ばなしから知ることができる。

つまり昔ばなしというのは、その物語が成立した残酷な時代背景の原因、それを乗り越えていく人類の成長を知ることのできる、貴重な歴史遺産だということである。

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